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アインシュタイン博士の言葉

2012-08-17 11:29:04 | 父の背負子1(随想古事記)

ずっと何十年も気になっていた、アインシュタイン博士の訪日時の言葉と言われているものがあります。初めてその言葉に触れたのはホツマ伝えの研究(?)というか、人生の真実を追求してホツマツタエに辿り着いた頃のことです。ご存知の方も多いと思いますが、博士は仙台の多賀城をひそかに訪ねて、『日本という尊い国が今残っていることに深く感謝する』といった趣旨の言葉を残されたそうです。

それを聞いて嬉しくは思いましたが、ますます悩みが深くなりました。博士はお分かりだったのだと思いますが、私には何故尊いと言われたのか、その理由が分からなかったからです。今回オリンピックを見ていて、私の頭の中でぐるぐる巻きになっていた『ひも』が解けました。そしてわが国日本が尊いと博士が言われる理由も確信しました。間違いないとおもいます。

『五輪』と『五色人』・・・・・オリンピックを見ながら思うことは私達人類の兄弟姉妹である『五色人』の顔ぶれです。そして全世界に広く分布した足跡を思いました。以前の記事『五色人の謎』でご紹介したとおり、人類は大まかに三つの主要ルートで拡散したと思います。第1が、エジプト・メソポタミアからインドを手始めにアジア大陸の東側に沿って日本列島まで。第2に、エジプト・メソポタミアからバルカン半島を西に向かってブリテン諸島までと北西に向かってスカンジナビア半島まで。第3に第2グループの居残り組からコーカサスを超えアジアの内陸部を進んでインドと極東まで辿り着いた組と。

1と3はそれぞれ更にベーリング海峡を越えアラスカに辿り着き、南アメリカまで到達します。2は後代有史時代になってバイキングとなり北大西洋を越え、北アメリカに達します。それぞれを『五色人』で言うならば、10万年前のエジプト・メソポタミア人は『ウル』、つまりみんな『牛』族でした。色々いたと思います。黄牛、赤牛、白牛、黒牛、青牛・・・・・このころはまだ『バベルの塔』は崩壊しておらず、言葉は通じあっていました。

五色人の謎Ⅰ』で詳しく書きましたからかいつまんで言うと、その後『牛』だったトーテムをそれぞれの環境事情にあわせて『蛇(ナーガ)』→『鳥(チョ)』、『犬(イン)』→『馬「マフ」』とそれぞれをトーテムとする亜集団を生んで、『牛』『蛇』『鳥』『犬』『馬』の『五色人』が誕生することになります。こうして人類は広域に広がり、言葉の癖も生まれ、『バベルの塔』は崩壊します。言葉を共有しなくなったということは、戦争の激化を意味します。戦争が大掛かりになったのです。

先日友人から『ガリア戦記』をもらいました。紀元前1世紀のローマとカエサルを思いました。ローマもガリアもゲルマン人もみな『犬』ですが、貧富の差により、ローマ側にすれば防衛の必要でどんどん国境をローマから遠くに敷く必要がある・・・・・ガリア人から見れば、ローマの恩恵を受ければ、ゲルマン人の餌になる・・・・・ゲルマン人から見れば、裕福な土地を獲得して一族の飢えを無くしたい・・・・・

『蛇』族のインドでは、不毛な土地から『犬』のアーリア人の侵略を受ける・・・・・極東アジア大陸では女媧伏犧『蛇→鳥』からの三皇五帝で『牛』を加え、『夏(牛)』『殷(鳥)』『周(牛)』『秦(犬)』と王朝の交替が起こります。つまり前住人を追い出した、或いは隷従させたのです。こうして人々は中央から辺境に逃げていきます。朝鮮半島も同じで、最終的に『李氏朝鮮(犬)』で現代へとバトンタッチをしました。

秦(犬)の始皇帝が初めて『皇帝』を名乗ったとされています。もしかすると『皇』帝は、『白(馬族の色)の王』なのかもしれないと思います。『五色人』を理解させてくださった恩師とも言うべき川崎先生は、『ウル(牛)』とは動物のことで、その大きなものを『獅子』と言い『犬』の大型、つまり『狼』のことだと言われています。またその『ウル』の都市にはシンボルマークとして『大角鹿』が『獅子』として描かれているとも言及されています。つまり『牛』は『鹿』であり、『犬』であり『狼』であり、そして『馬』であるわけです。

世界は最初に『牛→犬→馬』群団から『蛇→鳥』族群が追い出されてアジア大陸の辺縁部に沿って分布し、次に『牛→犬→馬』群団が侵略(?)席巻して現代に至っているわけです。アジアでは必ず西から東へ、北から南へと侵入にさらされます。現代でもロシアや共産党中国、朝鮮半島の北朝鮮・韓国などは同じことを言っています。決して反対向きに動きません。その中で唯一東から西へと刃向ったのは、高句麗です(そして日本と)。何となく親しみが湧く理由でもあります。

我等が日本はどうなっていたのかというと、およそ3万年前には『蛇』族が辿り着いていました。そして日本独自の環境下で独特の民族を作り上げていました。私はそれを『海津(ワタツ)族』と呼んでいます。その人々の所へ、次々と人々が逃げてきます。先ず同族の大陸『鳥』族が難を逃れて辿り着きます。これが多分邪馬族でしょう。その後次々と同族相食み、犬も牛も馬も渡ってきます。これが最終的にどうなったかというと、我等が日本では『古事記』を完成させて『大和民族』を作り上げました。『大和(やまと)』は『五色人大和(だいわ)』民族なのです。

この国柄をアインシュタイン博士は『尊い』と言われたのだと思います。他にどこにもありません。人種の『坩堝(るつぼ)』はあっても、溶けて作り出した錬金は我が日本以外に有りません。『ホツマ伝え』に関わられた馬野周二先生は石原莞爾研究家でもあり『世界最終戦争論』を出しておられますが、太平洋を隔てて向かい合った二つの国家の運命について書いておられます。今ではそれは『坩堝(るつぼ)』国家アメリカ合衆国と『錬金』国家日本の運命だったのかと思います。大きな戦争を経験しましたが、その間にあるのが太平洋であることに希望を感じています。




そして今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!


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