チリの落盤事故が連日放送されていました。長期化するとみられていた救出も予想より迅速にはかどって誰もがホッとしました。だけれどなんとなく心が落ち着きませんでした。それでやっと今日になって記事にしています。
それは私達日本人にも忘れてならない救出すべき同胞があるからです。不当にも北朝鮮によって拉致された人たちのことです。落盤事故で垂直に家族と隔離されてしまった人たちと何一つ違わないどころか、もっと悲惨です。主権侵害という落盤事故によって水平に家族と隔離されてしまい、いまだに安否すら分からないのです。目に触れにくいという理由で私達は日常を何にも思わずに過ごしているのです。無視しているのです。チリの家族たちは事故現場に詰めたし、報道陣は大挙して押しかけました。テレビでは長時間関連番組が流されました。こんなことってあるのでしょうか。
現在世界第一の覇権国家アメリカは捕虜救出に総力を挙げます。先日もアメリカのジャーナリストの救出のニュースを見ました。一人のアメリカ兵を救うために一部隊のアメリカ兵を危険にさらして任務遂行を図るでしょう。でもそれは無言の約束なのです。『きっと助けに来てくれる!』という信頼が国家への忠誠心と固く結びついているのです。助けに行く方もそのために自分が危険な目に遭うことを当然と考えています。それがないと軍隊は結束できないはずです。
ひるがえって戦争を憎み平和を愛する日本人はこんなにも人情無しです。私達の平和はこんなに偽善と欺瞞にあふれています。最近では領土が侵されています。領土は国民の生活の場です。領土が侵され国民が奪われているのに、命あってのものだねと自分が侵されるまで逃げていると、何時か自分の(あるいは家族の)番が回ってくるでしょう。新たに領土拡大のために戦争をする無法国家は現れにくいかもしれません(日本の周囲には南北にそれぞれ現れていますが・・・・・。)でも国際社会は『徳』を規範にはしていないらしい・・・・・。引けば引くほど同胞も返してはくれないし、領土も侵犯されてしまいます。
横田めぐみさんの消息が少なくとも明らかになるまでは、テレビは毎日「今日も横田めぐみさん達がいない」と繰り返し放送すべきです。私達は同胞を取り返すために自分たちの犠牲を我慢すべきです。たとえそのために何か不都合が起こっても、国民は全員それを甘受しないといけません。簡単には戦争はしないけれど、最後には戦争をも辞さないと表明することが必要だと思います。国家の在り方を決める、最終的には戦争をするかしないかを決める権利が主権だと思います。自分が、我が子が、家族がこんな不幸に遭ったとしたら、一体誰が助けてくれるのでしょうか?一体どんな希望を持てるのでしょうか?
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戦争を経験していない世代、戦争は決してするものではないと教育され続けた私には、戦争も辞さないと表明すべき・・ということは考えも及びませんでしたが、喜んで犠牲は甘受したいと思います。
和子先生と同大学卒で留学経験のある主人と「日本人の愛国心の無さ」はどこから来るのかという話をよくします。宗教?教育?など結論は出ていません。
先日の金元死刑囚へのご接待は、滑稽で甚だ恥ずかしいものだと思います。
現代日本人の根無し草的状況が、愛国心、同胞愛、家族愛の希薄化の原因だろうと思います。それで『お米を食べない』ということにも原因の一つを見出しています。
また軽薄に外国語教育、歴史教育、国際化教育を推し進めると、コスモポリタンという現時点を見つめない宇宙人を生みだして、これまた内部崩壊の原因だろうと思います。
拉致問題に私が出来る小さなことの記事をこれから書こうとしています。また感想を聞かせてください。
ご主人様と可愛いおじょうちゃんによろしくお伝えください。
私は先生やnamiさんのようにうまく言葉に表せないのですが…同じ感覚を抱いていました。
いま日本人の愛国心はなぜ希薄なのか?
なぜ隣人の危機、不在を自分の事のように感じられないのか?
自分を、家族を守ってもらえる、という確固たる信頼をどこかに対して持っているのだろうか?
幼い頃、オリンピックなどの国際競技会をテレビで見る度に、メダル獲得選手が国旗を纏い国家を斉唱して喜びを表現する姿を羨ましいと思っていました。そして、それを日本人がやると滑稽に感じてしまう。その感情が私の時代の愛国心の薄さを表していたのでしょう。
少なくとも、少し前までは、日本人は愛国心、忠誠心のカタマリだったと思います。他国を恐れさせるほどの。
偶然にも私は先日、ご飯を作りながら、お米を食べなくなった事が、国へも、両親をはじめ目上の方にも、畏敬の念を抱くことができなくなったのではないかと、ふと考えていました。お米を食べ、質素な?ご飯を「いただきます」「こちそうさまでした」と食べていた時代には、親に背く、とか、自分の立つ位置を間違える、ということはなかったな、と。
前回先生が仰ったように、この自分のモヤモヤに名前がつくように考えてみたいと思います。
私が戦争を嫌いと思うのは、恐いということと同義語かもしれません。
我が国には、軍隊もなく、国防するための手段は自衛隊という徴兵制度のない職業です。
経済が冷え込むと、自衛隊の入隊者が増えるというサラリーマン的な向きもあります。
私達世代は、浅間山荘事件を小学校の教室でTVで朝から晩まで見せられて学生運動は悪いことと教えられそう信じてきて、二十歳の頃、フォークソングの意味や、改めて樺美知子さんなどの存在や学生達の思いを知り、学校で学んできたことに疑いを持ちました。
ですから、道徳の授業も個人の自由を押し殺すものではないかと思った時期もあります。
小学校の頃、親に反抗すると「アカみたいなことを言ってはいけない」と言われました。
アカの意味もわからず、ただ辛かった記憶があります。
二十歳を過ぎた頃、京都に住んでいて、6歳年上の友人は高校生で学生運動を経験し、そのお兄さんは共産党員でした。マルクスレーニンの全集をかしてくれて読みました。
本当に共産主義になれば幸せになるのか?と考えました。平等ってなんだろう?みんな同じっていやだなぁなど、拙い頭でいろいろ思ったものです。
そして、社会に出ていやいやながら組織に入ると、上司は60年安保、70年安保の当時に大学生だった人たちで、ナショナリズムに異議を唱えてきたのにもかかわらず日和見となり、資本主義の組織を構成する立場にいるという複雑な生い立ちの上司に育てられながら大人になってきたように思います。
私達50代の世代は、学校給食で食文化を犯された上に、こんな風にアイディンティティを右往左往させながら、ちっとも世の中の真実に出会わないトラウマを繰り返し、何が正しくて何が間違っているのかが見えなくなってしまいました。
それゆえに、どんどん、個人主義になって隣人を愛することもできない人間になっているのかと思います。
マクロビオティックにであったからなのかどうかはわかりませんが、そんな右往左往に振り回されることが無くなってきました。
自分自身がまずはワクワク(ヒレをふって)して、一生懸命今を生きることをしていきたいと思います。
そして、未来を創る子どもたちには、生きるワクワクを残してあげたいと思います。
私は、毎日そのことを唱えていこうと思いました。
和子先生、いつもたくさんのモヤモヤありがとうございます。
平和は戦争があるからこそ存在するものです。背中合わせにある相対するものが実は同じ
ものであることの認識をしっかり持ちたいです。子どものころから持ってきた右往左往の答えがここにあるように思います。
毎日ご多用ですね。間もなくまたお目にかかります。