私の母には二人の兄がいました。つまり私の伯父になるのですが、上の伯父はシベリヤ抑留中になくなりました。もう一人の伯父が、私の母の里の主でした。その伯父はあの有名なビルマ戦の部隊の生き残りでマラリヤに悩まされ、戦後の貧困を農地解放で残された田畑を守って細々と暮らしました。過酷な戦争時の慰みはタバコだったらしく、『これだけはやめられない』と、キセルに煙草をつめて火鉢の炭で火をつけ嬉しそうに煙をくゆらせ、吸い終わると火鉢だったか五徳だったかにキセルを打ちつけて煙草をしまっていた姿を思い出します。伯父は大層端正な人でしたが、長年の農作業で苦労し日に焼けしわが刻みこまれた顔は一種独特の雰囲気を持っていました。妹の子である私たち姉弟にはとても優しい伯父でした。戦後の食糧難の時代、母が里帰りをした時などは、卵を取るために買っている鶏を犠牲にしてくれたことをよく覚えています。
今の子供達にこんな風景は残酷かもしれませんが、伯父は伯母と相談をして数羽いた鶏のうちどれをつぶすか決めました。その鳥を捕まえてきて脚を縛り首を落として逆吊りにして血を抜きました。毛をむしって火であぶりました。残った毛や毛根を取れやすくするためだと聞かされました。それから解体です。「これがモモだよ、これがムネ、これが砂肝、これが卵・・・・・」鶏が体内に抱えている卵は殻が無く赤い黄色の真丸い玉でした。そして「これがササミ、刺身で食べられるよ」。伯父の教育は続きます。そして伯父のごちそうは鶏の煮つけでした。鶏一羽全部をお醤油味で煮つけたものです。とても美味しかったことを覚えています。それが母の里の味でした。
伯母は母と同い年でしたが、大変な苦労をしたと思います。まず両親に仕え、シベリヤに抑留された兄の家族の世話をし、里帰りをしてくる姉や妹(母)の子供たちの口の世話・・・・・ただでさえ大変な時代なのですから。でもその伯母は料理が好きでした。多分工夫によって困難を乗り切ったのだと思います。私が結婚してからも色々と届けてくれました。お得意の押し寿司、物相で抜いた型寿司、筍の塩漬け、淡竹の柴漬、しその穂のみそ漬け、ごぼうのみそ漬け、カジメのみそ漬け・・・・・・。そんな伯母が晩年に考案したのが、カボチャの白和えです。昨日作って伯母をしのんで食べました。カボチャを蒸した後完全に潰して和えれば黄色い炒り卵のようになります。コロコロと大きいまま和えれば、彩りもきれいです。昨日はゴマをたっぷり強めに炒ってすりつぶし、好みの味噌で味をつけ、木綿豆腐を蒸して和えごろもを作りました。カボチャは半潰しにしました。青々とした刻みネギを飾りました。
私達は遠くに離れている懐かしい人々や恩を受けた人々に何が出来るでしょうか。つまりは思い続けることや思い出すことしか出来ません。懐かしい両親のこと、祖父母のこと、家族の事・・・・・祖先のこと、同胞のこと・・・・・。先日の拉致被害者の記事を書いて以後考えてやっと思いついたことがあります。それはこうしてブログという便利な公開状をもっている私には、記事を書くたびに思い出している心、忘れない心を表明できるということです。それは、
朝記事を書いた時は: 今日私達は横田めぐみさん達を取り返せるだろうか!
昼記事を書いた時は: まだ私達は横田めぐみさん達を取り返していない!
夜記事を書いた時は: 今日も私達は横田めぐみさん達を取り返せなかった! と、
私達が横田めぐみさん達を取り返すその日まで記事の最後に一行入れることにします。賛同して下さる方々が同じようにしてくださったら、私達は何かしらめぐみさん達のご家族の思いを支えられるのではないかと思います。
このことを思いついた時、私の心の中に湧きあがってくる言葉がありました。それは『ワタツミ』という言葉です。以前体のワタツミのことを記事にしたことがあります。これは国の規模でも同じです。一つ一つの細胞と一人一人の国民、切っても切れない海の水の部分部分、ワタとは全体であり、ワタツミとは一つ一つだったのです。そしてその一つ一つは全体とつながっているのです。ワタツミなくしてワタはありません。そういうわけで今日は希望を込めてこの一行を最後にします。
今日私達は横田めぐみさん達を取り返せるだろうか!
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そうか!そういう支え方もあるか!と思ううれしいような気持ちと、即効性のなさに切なさを感じる気持ちと、いろいろな気持ちになりました。でも、マクロビオティックと同じで、知っているだけでは意味が無く、少しでも何かすることによって初めて価値があるのだと思います。私も自分の波動の中に、めぐみさんを初めとする拉致被害者の方々を取り戻す!という決意を毎日いれて過ごすことにします。
ワタツミのお話・・・ヒレフリヤマもお預けの私には、またまた魂が喜ぶお話です。参加できないもどかしさが、また募ってしまいました(笑)時々で良いので、ヒレフリ初心者講座の記事もお書きいただけたら嬉しいです!ヒレフリの話にふれると、DNAレベルが震えるような、言葉に表現できない喜びというか、そういう深い部分が満たされる、生まれてきた喜びに触れるような感じが致します
ヒレフリ山教室はなかなか不特定多数向けに言葉を一般化できません。でも共有できる言葉の音叉は使いたいと思います。私の限界でもあると思っています。