ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

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祇園祭のもう一つの祭典。山鉾巡行を支える「作事三方」の人と技 【祇園祭シリーズ〈縄がらみ〉】

2021-07-18 14:48:54 | 歴史文化

昨日、祇園祭を見に行ってきた。

通常なら7月17日は、前祭りの山鉾巡行の日。

しかしながら、新型コロナウィルスで昨年、今年は中止。

その代わりに山鉾町の代表者が徒歩で八坂神社の四条御旅所を目指し「拝礼行列」を行った。

 

通常17日は、山鉾巡行のあとすぐに山鉾は解体され後祭りにつなげていくのだが、

今年はこの日、車輪とタペストリーが外され、翌日の18日に一斉に山鉾が解体されていく。

その山鉾の骨組みがむき出しになり、山鉾を支える祇園祭ならではの伝統技術が見えてきた。

コロナ禍において祇園祭は中止と言われた中で、

山鉾を建てるのは組み立て技術の伝承を欠かさず続けることがもっとも大きな理由、と関係者は言う。

 

 

山鉾建ての作り方を大まかにいうと、柱を重ねそれに縄をかけ締めていく縄がらみ作業を「手伝い方」といい、

天井や床などを組み立てる大工仕事を「大工方」という。そして、山鉾を支える車輪を担当するのが「車方」。

大きくこの3つに分かれ「作事三方」という。

山鉾建ては3日間かけて組み建てられるが、その前半が「手伝い方」の作業である。

三方共に巡行を支える、専門技能を持った技術者集団がいる。

 

今回、紹介するのが縄がらみ。蝶と称される縄がらみは、10t以上ある長刀鉾には両側に7本ずつあり、

正面の結び方を特に「雄蝶」(写真)という。強度だけではなく見栄えも大事なことのようである。

山鉾建てでは吉例として奇数という決まりがあり、5本の山鉾もあるが、どの山鉾でも毎年寸分違わぬ形に組みあがる。

 

 

写真の下方の縄がらみは海老と称される部分。構造上の必然性はなく、装飾としての意味合いが強いようである。

縄がらみが作れるようになるのに少なくとも10年はかかるようだ。

伝統文化を育む歴史背景や神事に加え、それを司る山鉾や神輿など、

そしてそれらを作り操る方法や人があってこその文化継承である。

今回、祇園祭で見た “人の力” “匠の技”が、もう一つの祇園祭の祭典のように思えた。

 

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貴重な代物「浪華の魁」。当時の店風景がリアルに伝わる

2021-04-18 16:23:41 | 歴史文化

「浪華の魁(さきがけ)」、と言われてもピンとこない。

現物を見せられてもよう分からない代物だ。

タテ8㎝、ヨコ15㎝、そして厚みが3㎝ほどの冊子である。

表紙は色厚紙がめくれボロボロ状態だが、中身はきれいに保存されている。

奥付に、発行日が明治15年1月19日とあった。

挿絵付の店頭風景が充実した大阪の業種別商人名鑑である。

この時代は、まだ内閣制度の前の太政官制の時代で議会政治が始まろうというとき。

大坂(阪)では東区を中心とした商いの町「船場」が活発に賑わっていたころである。

そのとき繁盛していた商店の名簿である。これに掲載されている商店は、

当時、数多くある商店の中のパイオニア的存在として一斉を風靡していたようである。

 

貴重な物を見ることができた。驚いたことは、当時から多種多様な商店の数が実に多いことにびっくり。

その中でも、武田薬品工業、小野薬品、コニシボンドなどの薬品問屋さん、

そして飲食分野では花外楼、駿河屋、鶴屋八幡、渋谷利兵衛商店などが挿絵で掲載されている。

この絵を見ると当時の商売の雰囲気がリアルに伝わってくる。

写真にあるいくつかの商店は、いまも健在で一部上場企業として、

また老舗店として現在でも隆盛を極める企業として存在している。

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四天王寺と松の所縁に興味深々。

2020-11-12 15:28:09 | 歴史文化

数年前に煎茶会で訪れた四天王寺の本坊玄関の衝立には見事な松の画が描かれていた。

そして待合いの大広間の中庭には黒松だろうか、あるいは五葉松だろうか、それは見事な松が広がっていた。

煎茶席で使った茶室が「和松庵」という。松下幸之助氏が寄贈されたものと聞いた。さらに座談会が行われた「方丈」の床の間には、歴史を想像させる中国松の壁画が描かれていた。"松"づくしである。

四天王寺はなぜこんなに松との関わりが深いのか、という疑問が湧いた。

歴史的建造物や庭園には、松は不可欠な定木である。松は天に昇る龍をイメージさせる縁起樹であるのはいうまでもない。

それにしても"松"へのこだわりが強いような気がしたので少し調べみた。

それは極楽門と西重門の間に「鎧かけ松」と呼ばれる有名な松の木がある。この松は、源義経がここ四天王寺に一宿をとったときに、ちょうどよい高さの松を見つけ、自分の鎧をかけた、という伝説が伝わりこの名称になったようだ。

この伝説が、四天王寺の松づくしと深い関係があるのかも知れない。改めて松への執着が深まりそうである。

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目を惹いた、絢爛な「鼻煙壷」。大阪市立東洋陶磁美術館

2020-11-03 16:41:25 | 歴史文化

大阪市立東洋陶磁美術館の片隅に目を惹くコーナーがあった。それは豪華絢爛で可愛いらしい「鼻煙壷」コーナー。日本では馴染のないもので、はじめはなんだろう?と思ったほどで、ただ小さな美しい容器に見えた。

 

解説文を読むと、粉状の嗅ぎタバコを入れる小さな容器。アメリカ大陸からヨーロッパへ、そして中国に伝わり清朝の王宮ではやり、中国独特の華やかな美術工芸品として人気を博したようだ。

その材質は陶器、ガラス、金属、貴石、動植物などから造られ、それに中国独特の美しい工芸細工が施されている。容器はヨーロッパの箱形容器から中国独特の密閉式容器に変容発展し生み出されたのが、これらの鼻煙壺。

ちなみに嗅ぎタバコは粉末状のタバコを鼻腔に吸い込んだりこすりつけたりして、香りと刺激を楽しむものとして一般にも広がったようである。

 

同美術館の2階のラウンジ1のスペースの先の一隅に「沖正一郎コレクション」として展示されている。沖正一郎氏は4年前に亡くなられているが、初代ファミリーマートの社長を務められた実業家。同氏から1200点の作品が大阪市に寄贈されものである。

 

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居眠りしていたら達磨さんになれないよ、という声が・・・

2020-07-24 16:00:43 | 歴史文化

数年前に初夏に、京都のあるお寺で坐禅の体験をさせていただいた。
坐禅は、「体」「呼吸」「心」を整えるために行うものだ、ということを本で読んだことがある。むかし、合気道や太極拳の稽古をしていたときに、「呼吸法」は欠かせない稽古だったので、いまでも身体が覚えている。
坐禅同様に、武道でも呼吸法によって「心」と「体」を一つにすると言われている。とくに合気道の場合は、「心」と「体」を一体にしていくために研鑽を積むといわれている。

そんなことを思い出しながら坐禅に入った。問訊(もんじん/合掌し一礼をすること)し坐り足を組む。そして手を組み姿勢を整え、半眼で目線を決める。この一連の所作を済ませ坐禅に入る。
30分はいささか長いような気がした。はじめの15分くらいは、"お腹すいたなぁ~"とか"明日はどうしよう~"とかの雑念が頭に浮かんでは消え、また浮かぶ。考えるのをやめよと思えば思うほど集中できなくなっていく。
ところが、である。考えるのも面倒になったのか、気づくと30分が経っていた。後半は記憶が飛び何も覚えてない。坐禅の効用で瞑想状態に入ったかと思いきや、どうやら居眠りしていたようだ。

歳を重ねると穏やかに達磨さんのようになっていくのかと思っていたが、雑念が多く心と体が一体になれそうもない。

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