ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

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お茶を訪ね宇治・萬福寺へ。「全国煎茶道大会"月見の煎茶会<追想Ⅰ>」 

2021-05-04 14:36:37 | 文化想造塾「煎茶」

初めての宇治・萬福寺。大阪から京阪電車を乗り継いで行ってきた。

ブログで書き綴っている「煎茶入門」。大阪の煎茶の宗家「文人会一茶庵」に7月から通い始めている。

その一茶庵の佃一輝宗匠から月見の煎茶会のご案内をいただき、

昨日その会場である宇治の黄檗山萬福寺を訪ねた。

茶会は午後2時からということで、せっかく宇治を訪ねるのだから世界遺産に登録されている平等院へ、

と朝から出掛けた。平等院の話は次回にまわし、ここでは “四方山茶話” を綴ってみたい。

 

10月3日、十五夜。この日にあわせ月見の煎茶会なる「第54回全国煎茶道大会」が

京都宇治・黄檗山萬福寺で行われた。入門講座仲間と待ち合わせ萬福寺へ。

着物姿の女性たちがぞろぞろと三門をくぐっていた。

私にとっては場違いの雰囲気を感じたが、永年図々しく生きている筆者には興味津々に思える光景だった。

どんなことが始まるのだろう。

今回は10の煎茶道流派が参加している。この黄檗山萬福寺には全国煎茶道協会の事務局本部があり、

近畿地区や全国の流派が集まり、年に数回煎茶道の大会が催されている。

持ち合わせているチケットで3つの流派のブースに入席でき、お手前を観てお茶をいただける。

 

最初に入席したのが黄檗売茶流という席。

煎茶道会館の一角にある有声軒という部屋と庭を使って披ろうされていた。

お庭に椅子が約20席余り、お手前が一番よく観える処へと思い座った席が正客席。

何にも知らないものの強さ、って言うのはこのことか、と。

それを知ったのは、解説される方が常に私に向かって声を掛けられる。

男が少ないせいなのか、ええ歳したおっさんだからなのか、

と思いきや一緒きていた方から渡邉さんの席もしかして"正客の席???"

いまさら言われても。まぁ、とっさの開き直りは慣れたもの。

いかにも煎茶を知り尽くしている顔をしながら解説の方へ笑顔を返していた。

目の前でお点前されたお茶がまず私のところへ。

 

特に茶の湯のような作法は求められないので助かった。ただただ飲み干した。

飲んだ湯呑は煎茶にしてはいささか大きい。流派が違えば作法も道具も違う。

眺めていると湯呑の裏に金粉の塗られた菊の御紋が入っていた。

眺めていると、解説されていた方が私のところへこられて説明をされた。

後に、その時のことを思い出せない、頭が真っ白になり覚えてないのである。

菊の御紋ということだけは耳に残った。由緒のある道具というのだけは、なんとなく私にもわかった。

※この記事は2008年10月のブログに書いたもの。少し手を加え転載。

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建仁寺 法堂の周りを百花の王が見守る

2021-05-02 10:51:21 | 雑感

「ボタン(牡丹)」という和名は、中国の花名「牡丹(ボウタン)」をそのまま使い、

中国語読みの「牡(ボウ)」を日本語読みにしたものである。

牡丹は、絹のような花びらが幾重にも重なる優雅でふくよかな花姿が特徴で、

中国では「花王」「花神」「富貴花」とも称されている。

日本でも「富貴花」「百花王」「花王」「花神」「花中の王」「百花の王」などと呼ばれ、

花の中でもこれほど多くの別称をもつ花も珍しい。

桜が終わるころに色とりどりの大輪の花が咲き始める。

牡丹と言えば美人の比喩に使われるほど色彩豊かで、花王の風格を感じさせる花。

その牡丹がモノトーンのイメージをもつ禅寺などでよく見かけ、その取り合わせが絶妙である。

 

先日訪れた建仁寺の法堂の周りには多種多様の牡丹が植えられている。

法堂の窓や白壁を背景にした大輪が見事に映える。

本尊である釈迦如来立像や天井画の双龍図がある法堂を百花の王が見守っているかのようだ。

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建仁寺に存在する、生きた文化財「茶畑」

2021-05-01 16:23:37 | 雑感

今日は5月1日。八十八夜である。立春から起算し88日目をさす。

煎茶を楽しんだ者には、夏を目の前に茶摘みが始まり新茶を楽しめる季節として馴染んでいる。

茶の生産地の有名どころである鹿児島、静岡、京都などでは一斉に茶摘みがはじまる。

随時刈り取られ、その地の銘柄として全国に出荷されていく。

 

お茶の産地ではないが、こんなところにも茶畑がある。

ご存じの方も多いかもしれないが、京都・建仁寺の境内に本格的な茶畑が存在する。

そこには「榮西襌師茶徳顕彰碑銘」の石碑があり、その冒頭に “茶は養生の仙薬、延齢の妙薬なり” という、

建仁寺開祖の栄西禅師の言葉が彫られている。

この時期に参拝すると必ず茶畑をのぞく。

4月中旬に差し掛かった頃だったので、陽射しを避けるためまだ筵が被さっていた。

時期がくれば僧侶によって随時茶摘みが行われ、

外部には出ないものの京都市下京区産の「建仁寺茶」として飲まれているようだ。

 

茶の始まりは、栄西禅師が中国から茶の種を持ち帰り栽培をはじめ、

それを日本全国に奨励したことから普及したといわれている。

そして禅寺には喫茶の法として広がったようだ。

禅語として「喫茶去(きっさこ)」が生まれ、意味は、”お茶でも飲んで、去れ” ということになる。

厳しい言葉であったようだが、いまでは「どうぞお茶でも飲んで行ってください」という優しい言葉に、

解釈されるようになった。

 

茶畑は見ての通り(写真)、陽を浴び成長した茶木に葉をつけ青々と繁っていた。

栄西禅師の禅精神がこういう形で受け継がれ、価値ある生きた文化財として今に伝承されている。

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