仏画曼荼羅アートの佛日寺教室には、ちょっとユニークな方たちが参加されている。
講座がスタートし、2回目が一昨日行われた。
男性、女性ともにお二人ずつ。
皆さん、それぞれが楽しい趣味をお持ちの方々である。
仏像を彫られている方、仏像をアート感覚で表現されている方、また寺院参拝を楽しんでいる方に、
仏教に詳しい方など多種多才。
それぞれが情報を発信し、刺激しあいながら仏画曼陀羅アート教室がスタートした。
仏画曼荼羅アートの佛日寺教室には、ちょっとユニークな方たちが参加されている。
講座がスタートし、2回目が一昨日行われた。
男性、女性ともにお二人ずつ。
皆さん、それぞれが楽しい趣味をお持ちの方々である。
仏像を彫られている方、仏像をアート感覚で表現されている方、また寺院参拝を楽しんでいる方に、
仏教に詳しい方など多種多才。
それぞれが情報を発信し、刺激しあいながら仏画曼陀羅アート教室がスタートした。
一昨日、久しぶりに大阪梅田の紀伊国屋に行った。
入口を入り目に留まったのが落語家 笑福亭銀瓶さんのポスター。
見ると「師弟」という書籍のPR。ご存じの方も多いと思うが、
笑福亭銀瓶さんの師匠といえば、あの「笑福亭鶴瓶」さん。
ポスターの前には少しながら平積みされていたので、ペラペラと捲ってみた。
“笑福亭鶴瓶からもらった言葉”、という副題がついていた。
鶴瓶さんあっての銀瓶さん、そして他のお弟子さんも、そうである。
それだけ鶴瓶さんの存在感が大きすぎる。師匠を越えての一人前というレッテルが張られている。
銀瓶さんはその先陣を切って、師匠を踏み台に必死に頑張っている。
師匠を越える日もそう遠くないような気もするが、さて。
その笑福亭鶴瓶さんの落語を14年前に大阪松竹座で聴いたことがある。
その時が、後にも先にも一回きり。その時の感想を書いた記事があるので、引っ張り出して転載した。
昨夜は大阪・松竹座に「鶴瓶のらくだ」を聞きに行ってきた。
いや観に行ってきた、と言ったほうがいいかも知れない。
笑いぱなしの2時間半。観衆をひきつけ、笑いの渦に巻き込む才知はやはり並外れている。
彼の話から想像するに生まれつきの天性のような気がする。
天才の粋である。子供時代、高校時代、落語家の道を志し弟子入りした頃の話しを聞いているとまさにそう思う。
ご存知の通り、鶴瓶さんは落語家。六代目・笑福亭松鶴さんに弟子入りして35年に、と言っていた。
弟子入りして一度も稽古をしてもらったことがない、と笑いながら嘆いていた。
その代わりテレビではタレントとして大活躍。誰もが知る全国の人気者。
その彼が本格的に落語を始めたのが5年前から、と言って笑いをとった。
そのときから今回のような企画落語会「鶴瓶のらくだ」を練っていたという。
福岡の嘉穂劇場を皮切りに8ヵ所21公演を見事やってのけた。
東京は歌舞伎座で、最終公演は彼の生まれ育った大阪の地の「松竹座」を選んだ。
落語会、また落語独演会などで歌舞伎座や松竹座で公演できるのは彼くらいだろう。
それもすべての公演が超満員になるほどの大盛況ぶりであった。
その最終公演の初日を観た。納得の演出が施されている。
さすがテレビという媒体で鍛え抜かれた技と企画力に感心。
落語会ではあり得ない価格8500円に文句言う人は誰一人としていないだろう、
と思うほど見事なものだった。テレビの延長線上にある演出だけど、
テレビでは出せない “生” 舞台を披ろう。存分に人間「鶴瓶」を見せてくれた。
刺繍打敷の工房で、日本刺繍の製作現場を見せていただいた。
お寺でよく見かける、卓の天板の下にはさむ敷物。
この敷物の修復している、京都ならではの工房、和光舎の三条店におじゃました。
大きなモノはパーツごとに刺し、それを一枚の厚めの布地にまとめる。
写真のものがそうである。同工房は修復がメイン、
長年使うと糸が擦れ切れてしまうのでお寺からの修復の依頼が多い。
たまに祇園祭や時代祭りなどの刺繍美術品などの修復も手がけている。
この和光舎は、僧侶が着る法衣や布物をクリーニング、そして修復をする、
いわゆる京都ならではの寺院とともに生き継がれている会社である。
その業務の一つが、全国でも珍しい刺繍専門の修復事業。
京都刺繍修復工房として別事業で運営されている。
工房は年間約100枚以上の修復依頼があり、
100年、200年前に作られた古い刺繍を中心に修理修復作業を行っている。
ひと針ひと針刺す作業は気が遠くなる。
同工房では、それをコツコツと丁寧に仕上げ、昔からの技法で刺繍を通し伝統文化を守り続けている。
その刺繍の技術は宝物である。そのための技術者育成は企業として最大の役割であり、
企業を存続させていく何よりの財産になる。
昨日、祇園祭を見に行ってきた。
通常なら7月17日は、前祭りの山鉾巡行の日。
しかしながら、新型コロナウィルスで昨年、今年は中止。
その代わりに山鉾町の代表者が徒歩で八坂神社の四条御旅所を目指し「拝礼行列」を行った。
通常17日は、山鉾巡行のあとすぐに山鉾は解体され後祭りにつなげていくのだが、
今年はこの日、車輪とタペストリーが外され、翌日の18日に一斉に山鉾が解体されていく。
その山鉾の骨組みがむき出しになり、山鉾を支える祇園祭ならではの伝統技術が見えてきた。
コロナ禍において祇園祭は中止と言われた中で、
山鉾を建てるのは組み立て技術の伝承を欠かさず続けることがもっとも大きな理由、と関係者は言う。
山鉾建ての作り方を大まかにいうと、柱を重ねそれに縄をかけ締めていく縄がらみ作業を「手伝い方」といい、
天井や床などを組み立てる大工仕事を「大工方」という。そして、山鉾を支える車輪を担当するのが「車方」。
大きくこの3つに分かれ「作事三方」という。
山鉾建ては3日間かけて組み建てられるが、その前半が「手伝い方」の作業である。
三方共に巡行を支える、専門技能を持った技術者集団がいる。
今回、紹介するのが縄がらみ。蝶と称される縄がらみは、10t以上ある長刀鉾には両側に7本ずつあり、
正面の結び方を特に「雄蝶」(写真)という。強度だけではなく見栄えも大事なことのようである。
山鉾建てでは吉例として奇数という決まりがあり、5本の山鉾もあるが、どの山鉾でも毎年寸分違わぬ形に組みあがる。
写真の下方の縄がらみは海老と称される部分。構造上の必然性はなく、装飾としての意味合いが強いようである。
縄がらみが作れるようになるのに少なくとも10年はかかるようだ。
伝統文化を育む歴史背景や神事に加え、それを司る山鉾や神輿など、
そしてそれらを作り操る方法や人があってこその文化継承である。
今回、祇園祭で見た “人の力” “匠の技”が、もう一つの祇園祭の祭典のように思えた。
東寺の蓮池のほとりに柳の木がある。
平安時代の能書家 小野道風の逸話に、蛙が柳に飛びつこうと何度も繰り返す。
このひたむきの蛙の努力を見ていると、努力すれば運も味方する、という話がある。
小野道風が「柳」と「蛙」を結びつけたことにより、
その後、柳と蛙が一対で俳句や川柳にもよく登場する。
そこに初夏の寺院の風物詩である「蓮」が池を彩る。
そんな風景が、寺院の静寂とよくマッチする。
「柳」といえば、中国の古典によく出てくる。
別れの場面で近親者が別れの餞に柳を輪にして手渡す風習があったようだ。
そんな数々の風習の素が、
空海が唐から持ち帰った行李(こうり/柳で編まれた収納箱)の中に詰まっていたのかも知れない。