ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

関雪記念館の煎茶会で、「ムーラン」と「呉昌碩」を語る 【一茶庵煎茶追想】

2021-07-14 11:00:57 | 文化想造塾「煎茶」

昨日、白沙村荘(はくさそんそう)橋本関雪記念美術館と文人煎茶・一茶庵共催の煎茶会が行われ、

手伝人として参加した。梅雨晴れの日曜日、午後1時30分から4時まで

美術館と存古楼(ぞんころう)に分かれ2席行われた。

 

 

美術館では、大正7年に描かれた関雪の名作といわれる「木蘭(ムーラン)」をガラスケースから取り出し、

関雪のお孫さんにあたる橋本家御当主橋本眞次氏が “関雪の世界” を朗々と披ろう。

そして関雪がこよなく愛した煎茶を来場者とともに堪能。                     

この「木蘭(ムーラン)」の話になると、ご当主も力が入る。

中国に伝わる民話で老病の父に代わり、娘の木蘭が男装して従軍。

各地で勲功を上げ、自軍を勝利に導いて帰郷するというストーリーのもの。

帰郷の途につく木蘭と従者が、馬を休ませている場面。

従者から少し離れた木陰で兜を脱ぎ、束の間少女の優しい顔に戻る木蘭が鮮やかな群青の衣服で描かれている。

 

 

一方、存古楼では、一茶庵宗家嫡承 佃梓央氏が関雪と親交があった、

近代中国の大文人・呉昌碩(ごしょうせき)の名筆を、美術館同様にガラスケースから取りだし、

読み解きながら解説。呉昌碩を通し関雪の文人画家として生き様を紹介した。

この席では極上の玉露がしみる一席となった。

 

久々の着物に動きが鈍ぶったが、大文字を借景に眺める庭は、京独特の蒸し暑さを忘れさせてくれた。

 

※この記事は2019年7月「心と体のなごみブログ」に掲載したものを加筆し転載

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老舗の"のれん"は重い。 

2021-07-13 17:22:13 | 伝統文化

この重いモノを外さず守るのは並大抵のことではない。

守り発展させるのは、人の力と知恵があってのこと。

 

 

そんな老舗は全国でも数えきれないほど存在する。

時代が変わったので、私の世代で終わる、という老舗店主の話もよく聞く。

京都で代々伝わってきた老舗は、そう簡単に暖簾をおろすことはできない。

そんな老舗の経営者の苦労を耳にする。

 

苦労を重ね、守りぬき、さらに発展させている老舗も多い。

その経営手腕の極意を取材してみたいと思っている。

 

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時代劇は、刀に次ぐ「草鞋」が重要。小道具を重んじる巨匠 中島貞夫監督

2021-07-11 15:11:44 | 伝統芸能

最近、漫画やアニメーション、ゲームなど新しい時代の時代劇が映画化され、若い人たちにも人気を博している。

時代劇の復活として、年齢を問わず時代劇ファンは嬉しい。

しかしながら、昭和に馴染んだ世代の者(私)には、いまの時代劇には少々馴染めないのも事実。

馴染めない一番の理由は、やはり「時代背景」にある。いまの時代劇は、時代背景はさほど重要ではない。

見せる観点が違うからだ。やはり、時代感覚の違いだろう。

いまの製作観点は、時代劇文化を生かしつつも、

いまの「テクノロジー」をフルに活用したエンタテイメント性が何よりも重要なファクターである。

 

 

我々の世代では、時代劇を観ることが嬉しくてたまらなかった記憶がある。

そんな昭和世代が、ドキドキして時代劇を観る機会がほとんどなくなった。

そんな中、ドキドキする場面に立ち会うことがあった。

その年の「京都国際映画祭」のヒヤリングで、時代劇の巨匠である「中島貞夫監督」の話を聞く機会があった。

お会いするのは当然初めてである。時代劇、やくざ映画ファンとして中島作品観賞は欠かせない、

という時代を過ごした。その巨匠が20年ぶりにメガホンをとるという。

それに関してはまたの機会に紹介するとして、監督の熱い時代劇噺を聞かせていただいた。

 

 

中島監督が時代劇をつくるとき、とくに気にすることが「小道具」だという。

時代劇では小道具の代表が「刀」であるのは言うまでもない。刀の製作には監督の目が光る。

そしてもう一つが「草鞋(わらじ)」。これにはびっくり。

草鞋は、その時代の履物で、侍や武士にとっては、いまの時代で言うならアスリートのシューズのようにモノ。

旅に出る、闘いで走り回る場合の動きの時もすべて草鞋である。

時代劇等で使用する場合、当時の草鞋をできるだけ忠実に再現する必要があり、

しかも動きの激しい立ち回りでは昔のままでは当然履物として機能しない。

そこに小道具をつくる人たちの知恵と工夫がある。

いいモノができれば、これが、時代劇をつくるものにとっての喜びにつながり、隠れた資産になっていくようだ。

だから、小道具ながら草鞋への製作には特に注力するという。たかが草鞋 されど草鞋である。

見えないところへのこだわりがモノづくりの「価値」をさらに高めていくように、

一流の監督の “一流たる所以” なのだろう。

 

 

※この記事は2017年7月「心と体のなごみブログ」に掲載したものを加筆し転載

リポート & 写真 / 渡邉雄二 トップ写真 / 中島貞夫監督作品画像を借用 ('19年20年ぶりのメガホンで、高良健吾主演の「多十郎殉愛記」)

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タライに月を映し、毬と、梶の葉の裏に願い事を添えて ! 【一茶庵稽古追想】

2021-07-08 14:00:50 | 文化想造塾「煎茶」

七夕は、7月7日。
ご存知のように、すべての暦(こよみ)は新暦で行われている。その昔、旧暦で行われていた歳時や祭り事は、いまの新暦でいうと当然ながら季節のズレが生ずる。
自然の摂理に基づいて行われていた事が、新暦に準ると違和感が生じる。そういう違和感をもつ祭り事の中で七夕もそうである。新暦では7月7日であるが、旧暦にあはめると通年8月10日前後となる。

いつもは8月10日前後に夜空を眺めると、もしかすると天の川と織姫星と彦星と上弦の月が見られるかもしれない。上弦の月があっての七夕のようだ。この時期が一番織姫星と彦星が接近する。しかし天の川を挟んでいるから逢うことはない。
そこで、彦星が上弦の月に乗って織姫に逢いに行く。そんな楽しい伝説がある。だから七夕は、上弦の月を入れ”七夕伝説”が成り立っているようだ。

さて、稽古で写真にあるお軸が掛かっていた。
これが七夕を表現するお軸 ?
賛を観ても画を観ても、七夕を想像させる要素が全く見あたらない。なら、画はなにか、ということから始まった。たぶん毬(まり)だろう。なら、葉っぱは何なんだろう、となるが思い当たるものが出てこない。
賛の漢詩を詠むと最後に「乞巧(きっこう)」と書かれてある。ご存知の方も多いだろうが、この言葉が、中国でいう七夕のこと。
七夕は、古代中国の祭り事である。それが日本に伝わり日本の風俗や地域にあった七夕に変化していった。中国はいまも七夕を祝う風習はあるようだ。日本のようにお供えをするらしい。中国の場合、女性のお祝い事のようである。裁縫や手芸が上手になりますように、と。
賛に書いてある七針(針に七つの糸を通す穴がある)で七色毬をつくる。その毬を置いて、七夕の夜に天の川と2つの星、そして月をたらいに映し出し、梶の葉の裏に願い事を書いて浮かべるというお遊び。だから、毬に梶の葉を添えて七夕を表現している。

解説を聞いていると一つの祭り事でも、時代や地域、また人の捉え方で内容が異なる。基本情報をおさえながらそれぞれの捉え方で楽しむのがいいのかも。

昨夜は全国的に雨、曇りで夜空に天の川は見ることはできなかった。旧暦でいうと8月10日前後だから、もう一度チャンスがあるかも。ぜひ!

 

※この記事は2015年7月「心と体のなごみブログ」に掲載したものに加筆し転載

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鉄舟の「ふじのやま」が教えたもの。 [おやじ感想文シリーズ]

2021-07-07 13:57:47 | 伝統文化

懐かしい雑誌を手にした。ご存じだろうか、「PHP」。

1947年に創刊された本である。数十年前は多くのサラリーマンや経営者の愛読書として人気を博していた、

B6版の雑誌である。その雑誌の発行元であるPHP研究所は、“人類のよりよき未来のために”という願いのもと、

昭和21年、松下幸之助氏の深い宗教心によって創設された機関である。

PHPとは、『Peace and Happiness through Prosperity』の頭文字で、

「物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう」という意味で、

研究所の機関誌として月刊「PHP」が発刊され、74年になる。いまの時代、

多く人間啓発書やビジネス書が氾濫しているので、その陰は薄くなっているが、超ロングセラー雑誌の一つである。

 

 

そのPHPを昨日、勤務先の学園長から、この雑誌を知っていますか、と見せていただいた。

2009年発行のものだった。少し懐かしさもあってペラペラと頁を捲くると、改めて目に留まる内容のものがあった。

それは「鉄舟の掛軸」というページ。エッセイスト・山川静夫さん (元NHKアナウンサー/エッセイスト) が

" 父のこと 母のこと " の副題で書かれたもの。

山川さんの実家は静岡の神社。お父さんが骨董好きでいろんな掛軸を保存されていた。

その中に、山岡鉄舟の「ふじのやま」という掛軸があった。その墨画に賛が添えられていた。

「はれてよし、くもりてよし、ふじのやま、もとのすがたは、かはらざりけり」と。

 

 

ある時、山川少年がお父さんにたずねた。

「あの鉄舟の軸はホンモノなの?」

お父さんは苦笑いしながら「ニセモノかもしれんな。でもそんなことはどうでもいい。

わしはすきだよ、はれてよし、くもりてよし、だろう」。

真贋はつきとめられなくても、自分が気に入っていればそれでいいではないか、ということであった。

 

最後に、山川さんはこう結んでいる。

どうも日本人の価値観や美意識は他人まかせが多い。自分自身の評価はどこへいってしまったのか。

問題は "自分の尺度" だ。審美眼を高めていく必要がある。

それを教えてくれたのが、鉄舟の「ふじのやま」と父のことばだった、と。

 

 

追伸

山岡鉄舟が書いた「ふじやま」の掛け軸の賛について少し書き足すと、

晴れてよし曇りてもよし富士の山 もとの姿は変らざりけり

幕臣、山岡鉄舟が宮中に仕えていた頃に詠んだ歌である。無私無欲の清廉な生き方を貫き通した鉄舟も、徳川家に仕える身でありながら明治天皇の臣下となったということで、陰口を叩かれることもあったという。自らすすんでの宮仕えではないにせよ、真摯に職務を全うしていたところへのいわれのない誹謗中傷である。さすがの鉄舟も言うに言われぬ胸の内があったにちがいない。禅の心得を反芻し、泰然自若の境地へと達した鉄舟の生き様に学ぶものは多い。

 色不異空。空不異色

 色即是空。空即是色。

 色は空に異ならず。また、空も色に異ならず。
 目に見えるあらゆる現象は実態がない。実態はないけれども目に映る。
 
なんのこっちゃわからん!
そう、すべて目に見えるものは、なんのこっちゃわからんのだ。
はらはらと舞う落ち葉を見て美しいと思う人もいれば、道が汚れて困ると思う人もいる。
見えるものは同じでも、感じる心は人それぞれ。
もっと言えば、自分自身であっても、状況や心の状態によって日々の受け止め方は微妙に違ってくる。
 
自分を含め、すべての現象は関係の仕方によって変化し続ける。そんな移ろいやすいものに気を取られていても仕方がない。どんな状況であろうとも、我は我の道をゆく。どしりと富士の山のように坐していたいものだ。

山岡鉄舟が「般若心経」の神髄を富士山に喩えてわかりやすく書いた内容のものである。

 

リポート & 写真 / 渡邉雄二 写真トップ / 鉄舟の富士の山画像より転載

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