一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

468  母と似る爪つくづくと初湯かな  多可

2012年01月09日 | 新年

 

(ははとにる  つめつくづくと  はつゆかな)

 

風呂に入って、つくづく眺めるのは、自分の体の部分で言えば、確かに手の平や指や爪かもしれない。しかし、腑に落ちないことがある。

 

私などは、自分の爪と母の爪を比べたことは一度もないし、母の爪をじっと見つめたことすらないのだ。当然、父の爪だってまともに見たことがない。

 

ところが、どうして、作者は母の爪をよく知っているのだろうか。それは、老いた母の爪を何年も切っていたからではないのか。かくして、この句の謎は解けた。

 

三石

注連縄が張ってあるから、伊勢の二見が浦と同じように

太陽信仰や豊漁祈願と関係があるのかもしれない。

コメント (2)
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