一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

484  住み慣れし小さき庭も枯野かな   稱子

2012年01月31日 | 

 お嫁に来て?十年・・・住み慣れた家の小さな庭の手入れは、作者の手に委ねられているのかもしれない。そこには、きっと作者の植えた草花が咲き誇っていたことだろう。しかしそれも秋までの話。今は・・・・・すっかり枯野である。

 

 この句の「住み慣れし」には、作者しか知らない作者の人生があり、庭先に佇めば様々な記憶が走馬燈のように巡ってくるのだろう。

 

 庭の草花を知り尽くしている作者が、そこまで来ている春の芽吹きや花に、期待を膨らませているに違いない。

 

 花か蕾かそれとも実か?

コメント
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