江戸時代の天明2年、現在の三重県鈴鹿市白子を出港した船頭大黒屋光太夫の船は、江戸へ向かう途中、暴風に遭って難波し、ロシアに流れ着く。
10年の歳月をロシアで過ごし帰国した光太夫は、第11代将軍家斉に謁見し、その記録は『漂民御覧之記』としてまとめられ、幕府は樺太や千島列島に関して防衛意識を強めていくようになった。
光太夫は、ロシア語が堪能であり、海外情勢を知る豊富な見聞は、その後の蘭学発展にも大いに寄与したそうである。
光太夫の生涯を描いた小説には、井上靖の『おろしや国酔夢譚』、吉村昭の『大黒屋光太夫』がある。