雛祭は、平安時代から始まった厄除けのための「流し雛」や儀式的な「上巳の節句」と、子供たちのままごと遊びから発展した「雛遊び」が結びつき、江戸時代になって、雛祭として全国に広まったようである。
元は男女一対のみの内裏雛が、次第に華美になり、3段・5段・7段と増えていったので、享保年間には幕府が大型を禁止するほどになったそうである。
さて、この句の知らぬ女とは、作者自身であろう。雛人形は、多少薄汚れはしても、昔と変わらぬ美しさと気品を保っている。ところが、作者は「私には若かりし頃の面影さえない」と言っている。表現にトリックがあって意味が分かれば可笑しいが、実際はどうにも逃れられない悲哀の句である。
湯河原・幕山梅園
5,6分咲きでしょうか。満開にはもう少しかかりそうです。(2月26日)