一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1082  冬めくや男の美学なんて気障  桜子

2013年11月11日 | 

(ふゆめくや おとこのびがく なんてきざ)

 「美学」とは、「美とは何かを追求する学問」といえる。だから「男の美学」とは、女を強く意識した、女のための、男の考え方や行動のことと言える。

そこでインターネットで調べてみると、一般的には、「高倉健」や「ルパン三世」が、男の美学を体現している人物と目されているらしい。更に具体的に言うと

◎弱音、泣き言を言わない◎軽口を言わない◎強き(悪)をくじき、弱きを助ける◎女性を泣かさない◎孤独を恐れない(信念に生きる)◎人前で泣かない◎大義を大切にする

 ところが最近では、◎エステに通う◎足毛を剃る◎化粧をする◎口臭、加齢臭を消す・・・なども重要視されているらしい。

 この句の作者が、何をもって「男の美学」を言っているのか分からないが、いづれにしても、世の「男の美学」を研究する諸君。女性に気障などと言われては身も蓋もないのですぞ。

クロガネモチ

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1081  警策のあとの静けさ冬初め   てる代

2013年11月10日 | 

  禅堂では、修行者の姿勢が乱れたり、居眠りすることがある。そのような時に、見張り番の先輩(直日・じきじつ)が乱れを見付けると、警策という平べったい棒で修行者の肩や背中を数回叩く。それは、眠気を冷ますため・又は気合いを入れるためであって、音が大きい割には痛くない。骨を叩かず、筋肉を叩くからだ。

 初冬の禅堂では、時々静寂の中に警策の音がパンパンとするだけだ。そんな静寂であっても、小鳥たちの声や雨や風の音、木の葉の落ちる音も聞こえるだろう。

 

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1080  凩になりそびれたる臆病風   康子

2013年11月09日 | 

(こがらしに なりそびれたる おくびょうかぜ)

「あいつは、臆病風に吹かれている」という表現があるが、自然界にそういう風がある訳ではない。あくまで、人間界に吹く風のこと。ところが、この句の「臆病風」は、どうやら自然界の風として扱っているらしい。

凩は、「木枯」とも書き、「木を枯らす風」つまり、木の葉を落とす強風を言う。神無月に吹くので「神渡し・かみわたし」とも、「星の入東風・ほしのいりこち」などとも言う。

又、木の葉がバラバラと音を立てて落ちるのを、「木の葉時雨」「木の葉雨」などと言う。これらは、別に雨が降っている訳ではなく、あくまで木の葉の落ちる音を雨音に擬しているだけである。

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1079  セルロイドいつかすたれてつわの花   やよい

2013年11月08日 | 

  野口雨情の童謡「青い目の人形」に、「青い眼をしたお人形は、アメリカ生まれのセルロイド」というフレーズがある。この童謡は、90年前の大正12年に発売されたそうである。

  ちょうどその頃の日本では、樟脳が原料のセルロイド製のキューピー人形が作られ始めた。薄っペラではあるが、艶のあるキューピー人形は人気で、戦後しばらくまで作られていたようである。しかし、自己発火するほど燃えやすく、火災の原因になりやすいため、アメリカで輸入禁止になり、1955年ごろから急激に製造量が減っている。

 セルロイドは、長期にわたる光や酸素などの影響を受けると、元のセルロースと硝酸に分解・劣化してべとついたり亀裂を生じやすい。このため長期保存に向かないから、現存している人形はほとんどないらしい。

 さてこの句、作者は「石蕗の花」から「セルロイド」を連想したのだろうか。関係がありそうで、なさそうで・・・・・

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1078  老犬の涙目を拭く今朝の冬

2013年11月07日 | 

 15才と7か月のモモの老化の兆候は、半年まえから出始めた。頻繁に口が震えるようになった。車に跳び乗るとき、時々足を踏み外すようになった。呼んでも、動作が鈍くすぐ来ない。おすわりをしなくなった。ちょっと触っただけでも驚くようになった。

 そのモモが、体調を崩して7日経った。首が右に曲がったまま、真直ぐ歩けず、急ぐと時にころんでしまう。自力で食べたり飲んだりできない。餌や水を与えようとしても、顔をそむける。唯一の救いは、苦しんでいないこと。

「犬の最期」をYahoo知恵袋で調べると、以下のような意見があった。 

『自分で食べられなくなると、いつお別れが来てもおかしくないですよ。点滴で栄養を入れてあげても、少し延命ができるだけですね。静かにろうそくが消えるわけですから、何をしても仕方がないのです。生き物は、口から食べ物を入れ、消化して栄養にします。それができなくなるわけですから・・・無理に食べさせれば、拒絶します。誤嚥して肺炎を起し、苦しまなくてはなりません。消えそうなろうそくは、手でそっと炎を守ってあげるのが一番です。決して息を吹きかけて、炎を強くしようなんて思ってはいけないのです。そして彼らは本来、その寿命を悟ると、ひとり静かに群れから離れそのときを待ちます。なので、傍で、「がんばって」の言葉は掛けないであげてください。死ぬに死ねない・・・「ありがとう」って。』(Win031212さん)

今日は立冬。 「今朝の冬」は、立冬の朝を言う。

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1077  打ち立てのうどんを入れる茸汁  雅男

2013年11月06日 | 

 昔の小麦粉は、薄力粉、中力粉、強力粉の三種類しかなかった。しかし最近は、天ぷら用、うどん用、お好み焼き用などとそれぞれの用途によって売られているから実に便利。手打ちうどんも当然うどん用小麦粉を使うが、稲庭うどんのような腰があって柔らかく喉越しの良いうどんが、素人でも出来る。

 さて、私は茸が大好きで1年中用意している。椎茸・湿地(シメジ)・舞茸(マイタケ)・滑子(ナメコ)・榎茸(エノキダケ)などを、鍋に入れられるようにミックスしてから小分けして冷凍している。

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1076  干して濃き鰡子の朱と秋惜しむ   しおん

2013年11月05日 | 

(ほしてこき からすみのしゅと あきおしむ)

  ボラ(鰡、鯔、)は、ほぼ全世界の熱帯・温帯に広く分布する大型魚。港に行くと、4,50センチのボラが悠然と泳いでいるのを見かけることがある。沿岸部の水質汚染が進んだ時、ボラは臭い、と嫌われた影響が今でも続いている。

 それでも秋になると、泥臭さが抜けて脂が乗りうまくなる。そのボラの卵巣が「鰡子」。豊臣秀吉が「これは何か」と尋ねたところ、長崎の代官が「唐墨」と答えたという。本来の「唐墨」とは、書道に使う中国の墨のことで、ボラの卵巣を干しているカラスミと形が良く似ている。

 いづれにしても、江戸時代から肥前のカラスミは、越前のウニ・三河のコノワタと共に日本の三大珍味と言われているそうである。

 

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1075  秋燈のうらおもてなき影法師  実

2013年11月04日 | 

  灯火によって、特に単一のローソクや電球によって、人の影ができる。それを影法師と呼ぶ。しかし最近は、例えば複数の蛍光灯などの光源によって光が拡散するので、鮮明な影が出来にくい。

  影法師は、江戸時代以前のロウソクしかなかった時代に生まれた言葉ではなかろうか。百歩譲ってせいぜい裸電球の時代までだろう。

  影にお坊さんを意味する「法師」を使うのも、影に生命力や幽霊のような存在感があるからだろう。又、琵琶法師、一寸法師、つくつく法師などという使い方もあるから、法師をお坊さんと限定しなくても良いかもしれない。

 透けて見える障子やカーテンなどは、裏表ができる。しかし、地面や木材のように光を透過しないものは裏表ができないが、そのことに何か特別な意味があるのだろうか。

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1074  古新聞読むホームレス文化の日   萌

2013年11月03日 | 

  11月3日、「文化の日」の由来は、天皇の誕生日「天長節」、つまり明治天皇の誕生日「明治節」である。敗戦後、「文化の日」と名前を変えた。

 ところで、「文化とは何か」、と問われると答えに窮する。余りに範囲が広すぎてうまく定義できないのだ。しかし、日本文化、室町文化、下町文化、おたく文化、出版文化、食文化、などと範囲を限定すると使いやすいし分かりやすい。

 さてこの句、どうして「古新聞」に限定したのか疑問ではあるが、日本人の識字率は高いから、ホームレスと言えど新聞を読むに決まっている。そこには「ホームレス文化」なるものがあって、研究の対象になるかもしれない。

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1073  元記者が虚無僧となる石蕗の花   研三

2013年11月02日 | 

  尺八を吹く日本人は、どのくらいいるだろうか。私の知り合いに3人いるということは、1万人くらいはいるかもしれない。その中の知人の話である。

  虚無僧は、深い編笠を被り、和服に袈裟を掛け、「明暗」の箱を首から掛け、草履を履き、尺八を吹いて家々を回り、喜捨をいただき路銀とする。

  休みになると彼は、江戸時代と同じような虚無僧の格好をして、近所に住む小学生時代からの同級生たちの家を回ったそうである。

 同級生の家に行くと、尺八を聞く前から門前払いされたり、無視する家もあったそうである。又、最後まで聞いてくれた上に菓子やお金を渡す家もあったそうである。

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1072  ひきこもる青年の家柿たわわ   加支

2013年11月01日 | 

  数10万年の人類の歴史は、常に飢えとの戦いであった。江戸時代に寛永、享保、天明、天保の大飢饉、昭和でさえ東北大飢饉があった。

  ところが、戦後生まれのほとんどが、飢えどころか空腹さえ知らない飽食時代を生きている。人間以外の動物、例えば犬を見ていれば、満腹ならば動く必要がないから寝ている。人間だって同じで、いつも満腹ならば、欲望や行動力や好奇心が湧くはずがない。

  不登校など、社会に出て行かず、家に又は個室にひきこもっている「ひきこもり」は、日本に300万人ほどもいるらしい。中には50代の「ひきこもり」もいるという。それは、物質的に豊かな社会が生んだ副産物とも言える。

  糖尿病は飽食時代の副産物と言えるそうだが、ひどくなると壊疽を起こす。ということは、人間社会でもあちこちで壊疽を起こしているのかもしれない。

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