ここに300年前の古文書がある。これはわが田舎の先代が残してくれた小さな柳行李の中にあった。主には江戸寛政・文化・文政の頃(西暦1800年前後)の先代が取引をした農地の古文書ですが、その中に混じって享保2年、西暦では1717年、今から300年前のものがある。これが当家に残る最古の古文書、「志ち物入置申畑手形之事」である。上畑三畝拾歩、中畑弐畝五歩、堀田共、弐口合せ五畝十五歩の畑地を当酉極月(歳末)に当り、諸払方不罷成候ニ付(もろもろのしはらいまかりならずにつき)、右之畑弐口ニ而金子七両借用したい旨の証文です。年季(期間)は酉(1717年)より未(1727年)極月迄の10年に相定置候とある。なお、3割の利足(利息)のうち1割は作徳(地主に払う小作米、手数料)、2割を利足とすることが五人組連判の上約定されている。私の先代が活躍した文化・文政の時代の地名は現在でもあるのですが、これより遡ること100年近く前のこの文書に載っている地名は近隣には見当たらない。でも家にあったのですから何か関係があるに違いない。ことしは100年に一度の経済不況とのこと、この際にわが祖、大先人を想いおこしてみた。周辺の丘陵の木々の葉はほとんど落ちていた。<岩殿山荘主人>
<志ち物入置申畑手形之事>
<つづき>
<熟柿 11/17>
/P>
/P>
/P>