月曜日に仕事に行くと
”イジー 鹿を跳ねたんだって、、” と
土曜の夜 ポリスの会話を スキャナーで聞いていた
従業員の何人かが
私の顔を 見るや 聞いてきた。
その中の一人 キャッシャーのリンダさんと
レジで 鹿事件の話 (こんな話)をしていると
” 雄の鹿だったら 角が目当てだろ
高く売れるからね。”
と 私たちの会話を聞いていた客が言う。
ハンティングをするその客は
鹿の角を 1500ドルで
売った事もあったようで
道路に倒れていた鹿の首を
その場で切り取った人に対し
当たり前の行動 のように
”僕だって同じことをしていたよ” と言い
彼のトラックには 常に
鹿の首を切る事ができるハンティング用の道具が
入っている事も話してくれた。
バッキーも 鹿の首を切り取った人を
私のように 責める気持ち は
持っていなかった。
生々しい鹿の姿を目の前にし
動揺した私が
首を切り取った人に対して
まるで スクールシューティングの犯人のように
非難した事に対し
”この不景気に お金の困っている人も多い
これで その家族が助かったらいいじゃないか”
と 言う。
あの生生しさを思い出すと
心から バッキーのような気持ちには なれないけど
鹿の首を切った人への
嫌な感情 は消えていった。
乱射事件の事での動揺が合ったからと言って
鹿の首を切り取った人をも
一緒にした事を 反省もした。
そして
人に対して 憎しみの感情 をぶつけると
まるで そこから
別の罪が生まれそうな程
どんどんと どす黒くなって
心の中で 深まっていく事を 思った。
”人でなく 罪を憎め” というのは
そういう意味なのだろうかな、、、、 と 考えた。
そうして 二つをうまく分けて
受け入れることができると
何よりも 自分が救われるんだろう と思った。

今晩 積雪があるようだ。