キマグレ競馬・備忘録

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ジョージ・マーティンのドキュメンタリー

2014年05月06日 | Music & Movie

BBCドキュメンタリーで、ビートルズのプロデュースで有名なジョージ・マーティンの特集をやっていて興味深く見ました。若い頃はどうだったかわからないけれど、現在の彼は紳士で、ナイトに相応しい印象でした。
彼が語る自身の人生とビートルズのエピソード。
・子供の頃はピアノの演奏家になりたかった。ラフマニノフに憧れていた。
・戦争で空中戦をやっている飛行機を見て憧れ、軍隊に志願した。パイロットになりたかったが、パイロットへ空路を指示するナビゲーターしかやらせてもらえなかった。
・軍隊を除隊して、改めて音楽学校に入って音楽を勉強する。若者に囲まれて、一緒に学んだ。
・音楽の仕事が無く、仕方なくラジオ番組の演出を務めた。これが意外に評判で、プロデューサーとして認められる。
・ある時、マネージャーのブライアン・エプスタインに会って欲しいと言われて、紹介されたビートルズの第一印象はそれほど良いものではなかった。しかし、サウンドには魅力を感じて契約を結んだ。
・ビートルズを売り出すにあたり、ドラマーのピート・ベストの交代を画策し、手配したらビートルズの方でもリンゴ・スターを手配していて問題になった。結局、マーティンが契約を考えていた有名ドラマーを切って、リンゴを採用した。
・リンゴのドラムは、他のドラマーとは違った特徴があって、ポイントが後ろにある。演奏の前面に出ないで、他の楽器を惹き立てるような演奏だった。
・ビートルズの演奏には、いろいろアドバイスやアレンジを行った。キャント・バイ・ミー・ラブの冒頭のコーラスもそう。当初のイントロは楽器の演奏だったが、インパクトが弱いので、コーラスを入れた。これで曲の印象が強くなった。
・ジョージ・ハリソンは個性の強い2人に遠慮がちだった。なのでアルバムには必ず彼の作品を1曲を入れてあげた。サムシングは大変素晴らしいラブソング。
・曲のプロデュースにあたって、基本となるメロディを壊さないようなアレンジを常に心がけた。
・ビートルズのほとんどのアルバムをプロデュースしたけれど、LET IT BEの制作にあたって、彼らがプロデューサーを変更したいと言ってきた。それで一旦、プロデュースを止めたが、最後のABBEYROAD制作の時に再プロデュースを依頼された。反対していたジョン・レノンも同意してくれたので、再度制作を行った。
「あなたは軍用機のナビゲータだったが、音楽でもビートルズのナビゲータの役割を果たしてくれましたね」とポール・マッカートニーに言われて、微笑んだ姿が印象に残りました。
彼はその後もある島にスタジオを設置して、ポリス等多くのミュージシャンをプロデュースしたが、ハリケーンにやられて撤収。そこが彼の仕事の分岐点だったようです。
とにかく興味深いエピソードが多く、面白いドキュメンタリーでした。


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