土筆(159)
実はこの時までに、『商売には信用が大事。』という、そんな言葉が蛍さんの胸の内には既にあったのでした。商売屋の祖父や父の話す言葉から、彼等の傍で幼い頃から話を聞き習う内に、彼女は信......
雨が降っても、蒸し暑さに変わりなしという所でしょうか。
土筆(159)
実はこの時までに、『商売には信用が大事。』という、そんな言葉が蛍さんの胸の内には既にあったのでした。商売屋の祖父や父の話す言葉から、彼等の傍で幼い頃から話を聞き習う内に、彼女は信......
雨が降っても、蒸し暑さに変わりなしという所でしょうか。
「父さんだって、」
息子は言い返した。自分勝手な見解で早合点しないでくれ。昔からそうだ、
「だから兄さんだって…。」
彼が言いかけたところで、不意に彼は母に袖を掴まれその後の言葉を言い淀んだ。
「兄さんだって、何だい?」
父はそう問いかけたが、いや何でもと息子は言い、口の中に有る言葉をぐっと飲み込んだ。息子のその様子に、父は何だいを繰り返すと、言いたい事があるなら言いなさいと言い出したが、息子の方はやはり押し黙ったまま俯いていた。その為父の方も無言で考え込んでいたが、彼は目の前の不穏な妻子の様子から何事か決断したのだろう、遂にこう言い出した。
「四郎、お前もさっきの件では言いたい事があったんだろう。」
さっきの件ではこちらの意見を通してもらったから、今回はお前が言いたい事を聞こうじゃないか。父はこう言うと、
「お前の忌憚のない意見を言いなさい。言いたい事を言いなさい。聞こうじゃないか、私はお前の父親なんだからね。」
と息子の中断した言葉を続けるよう催促した。
しかし、事態は相変わらずで、その儘3人無言の儘で時は過ぎるように感じられた。が、ふいと母が言い出した。
「いいよ、言ってごらん。」
お父さんが良いというのだから、お前が思っている事をお言い。言ってご覧よ。息子の言葉を止めた母もこう許しを出した。息子は母に言っていいのかいと念押しすると、そうか、と彼女に頷き決断した。そこで彼は思い切って今まで胸に溜めてきた物を吐き出し始めた。
「じゃあ言うよ。母さんもいいと言ったからな。」
ここで、彼らの息子である私の父は、彼の目の前にいた祖父に向かって話し出した。
父さんは昔から仕事で家に殆ど居なかったじゃないか。たまに帰って来ても、家にいる時は文句ばかりだ。勉強しろとか、兄弟喧嘩するなとか、果ては小遣いにまで口出しするだろ、そんな物無駄遣いだとか、理由も聞かずにいつも頭ごなしに怒鳴るだけだったろ。
「ちゃんとそうなった理由を聞いてくれよ。」
そこまで言うと、私の父は感極まったのか声が震えだし、口に手をやると、うう…と、どうやら嗚咽が漏れるのを抑えているようだった。
そこで、私は父が泣いているのではないかと感じた。祖父母と父、喧嘩しているのだろうか!?。私はそんな風に考えたが、また、私には皆が本当には争っていない様にも感じられた。3人の中に親子の和という物を見たのだ。父も祖父も笑っていた、父と祖母も笑っていた。そして祖父母も同様に笑って互いに目配せしていた。
「分かったよ。」
「以降は気を付けるよ。お前からちゃんと言いたい事を聞いたからね。」
祖父はそう言うと、じゃあもう行こう、遅くなるからね。そう自分の妻である私の祖母を促した。彼は妻の背を押しちらっと私にも目をやると、
「やぁ、智ちゃん、お父さんを頼んだよ。」
そう言うと、孫に息子の事を頼まないといけないなんてなぁ。なぁ、母さん、如何思う。そんな言葉を零すと、祖父母夫婦は何思う所無い様子でさり気なく玄関へと消えて行った。
一方私は、祖父の残した私への言葉を果たそうとした。
『父を見ていなくては。』
私が父の傍へ行こうと歩き始めると、祖母が父の所へ戻って来た。彼女は、父にお前が悪いよ、一郎の事を言い出したりするから。と一言だけ言った。父は顔を強張らせると、兄さんは1人だけじゃない、他の兄さん達だってと言い出した。祖母はその息子の言葉を腕を掴んで押し留めた。
祖母は父に歩み寄ろうとしていた私に顔を向けてほほ笑んだ。
「智ちゃん、いい子だね、向こうの部屋で待っててくれるかい。」
祖母は私に先程の場所、居間へ戻るよう指示した。私が振り返って居間へ戻る道すがら、後方からバンバンと何か叩く音が聞こえた。本で机を叩くような音だった。
「親に口答えするから。」
そんな子はこうなるんだよ。祖母のややきつい言い方の声が私の耳に聞こえていた。
土筆(155)
しかし、自分の石の有る場所へ向かい、その儘その場で皆に背を向けて、しょんぼりと項垂れたままでいる無言の蜻蛉君の姿に、蛍さんの内心の笑いは引いて行くのでした。 蛍さんには内心、......
台風一過、室内に吹き込む風が少し涼しく感じます。
さて、程無くして私は近くの親戚の家に預けられた。預けられたといっても数時間の事だった。数時間後、親戚の家へ私を迎えに来た父は、普段の弁舌爽やかな流弁さは無く、案外と無口だった。そして、私の予想に反して私を全く叱らなかった。叱るどころか私に対して沈黙すると、黙して口を開かなかった。この家へ来る時の彼は、道中、お前だろう、正直に言ったらどうだ、等、盛んに捲し立てると私を責め苛んでいたが、今の彼にはそのような素振りなど微塵も感じられなかった。私はほっとして父と共に落ち着いた足取りで家に帰って来た。
家に戻った私は、先ず問題になっていた居間の障子襖の穴が開いている前に立った。今こうやって穴の開いた障子を見ると、それは同日の出来事なのに、何だか何日か前に起こった昔の出来事のように思える。しかし、確かにそれは数時間前に起きた出来事だったのだ。そう思って部屋を見上げると、家さえ新鮮な感じで私の目に目新しく映った。私はこの木造りの家に不思議な清浄感を感じた。
と、隣の部屋に、自分達の部屋から出て来た祖母が現れた。彼女は直ぐに私が居間に1人佇む姿を見て取った。彼女は笑顔で、ああ、帰って来たねぇとにこやかに私に話し掛けて来た。そして彼女は足取り軽く、しずしずと私の傍らにやって来た。
「智ちゃん、変な人が家から出て行って良かったねぇ。」
祖母は明るい笑顔でそう言うと、美しく微笑んだ。
その眩い微笑みに、私がハッとして祖母をよくよく見ると、彼女の服装も普段と違っていた。祖母は綺麗な色目の柄の洋服を着用していて、その姿はかつて私が見た事も無い姿であり、女性らしく優美で華やかだった。祖母は何時も地味な色合いで黒っぽく見える和服の平服に身を包み、その上に肩掛けや前掛けなどしているという出で立ちだった。それが祖母の定番だったのだ。
私は今や、その祖母の目を見張る様な一婦人としての美しさに目を丸くした。彼女には輝くばかりの後光が差して見えた。これは孫の欲目、決してオーバーな表現では無かった。真実彼女は非常な美の塊と化していた。私は思わず目と口を見開いて彼女の晴れやかな姿に見惚れていた。
「お祖母ちゃん、綺麗!。」
真に美しかった。私はそれを言葉にして彼女伝えずにはいられ無かったのだ。が、一般の社会人の美女に美人と言うのは禁句なのだろう、祖母も例外では無かった。
「い、嫌だね、この子。」
祖母は照れるように言って、美しい微笑はその儘に何やら物怖じしたように身体の方は後退して、彼女は私から遠ざかって行った。祖母は隣の部屋まで戻ると、顔は真顔になり、家の中に向かって四郎、四郎と父の名を呼び出した。父は私達の部屋にいたらしく2階から返事をしながら比較的早めに降りて来た。
「今度は何だい、母さん。」
そう言って父は私の方をちらりと見た。
「お前、あの子に何か吹き込んだのかい。」
そう祖母は言うと父の耳元に自分の両の手を添えてぼそぼそと何事か囁いていた。
「嫌、俺はそんな事は言ってないよ。言ったとしたら父さんだろう。」
そんな事を父は自分の母に言った。
「そうかねぇ、でも何時?。」
「帰ってからはあの人と会っていないはずだよ、お父さんはまだ部屋にいるからね。」
祖母がそう言うのも無理はなかった。彼女が部屋から出て来るまでは、夫とずーっと一緒だったのだから、夫である私の祖父が、私に何か吹き込む暇など皆無なのだ。そこで彼女は息子に再度その事を確認すると、妙だねぇと首を傾げた。
「大抵は男の人から聞く言葉なのに。」
子供の、しかも身内の私が祖母にそんな事を言った物だから、彼女は妙な感じがしたのだろう。父にすると、綺麗という褒め文句の何処が気に入らないのだ、という調子で彼の母に呆れ顔で何やら話していた。
「それでもねぇ、」
祖母は言った。そんな褒め言葉の後は気を付けた方がいいんだよ、男の人なら何かしら下心があってね、後が面倒になって来るんだよ。女の人なら、女の人で、やはり後が有るんだよ。そう彼女は息子に話した。
息子にすると、母がそんな話をするのは初めての事だったらしく驚いた。
「後って?。」
等、母に聞いている。
「人には妬みや嫉み、欲という物が有ってねぇ…。」
彼女は心此処に非ずの態で、自分の記憶を辿る様な遠い目付きになった。
「お父さんは最初からそんな事が無くてねぇ。」
それで…、と過去を振り返る祖母は、先程の優美で華やかな笑顔と雰囲気が全く影を潜めてしまい、顔を曇らせて嫌な記憶の中にでも引き込まれたのだろう。父の傍で俯くと黙りこくってしまった。
「さぁ、支度が出来たよ。」
そんな母と息子の場面へ、彼女の夫が妻と息子のいる部屋に現れた。彼は出掛けようと妻に声を掛けて、妻の沈んだ様子に気付いた。
「四郎!、またお前、話を蒸し返したのか!。さっき、ちゃんと説明しただろう。」
彼は息子に怒りの形相を向けると、語気を強めて息子を詰った。
「全くなんでもきちんと理解出来ない所は、子供の頃から変わらないな。」
そう零すと、彼はきつい顔で息子の顔を睨んだ。
土筆(154)
そんな蛍さんの憤慨して苛立つ様子は、蜻蛉君にとって小気味良いものでした。内心、彼はしてやったりとニヤニヤしてしまいます。自分達は勝利を続ける小生意気な彼女に言い勝ったのだ!とばか......
いよいよ盆休みですね。暑さが少し引いたような気がします。