場所:茨城県取手市本郷3-9-19。国道6号線(取手バイパス)「桑原」交差点から北西へ約1.3kmで右折(北へ)して、直ぐ(約40m)右折(東へ)、約140m。駐車場あり(本堂の背後。境内入口の手前で左折(北へ)する。)。
開山の経緯等は不明だが、天正2年(1574年)の創建とされる。東西に通る道路の北側にあって、牛馬の往来が多かったらしく、その守護神として元和3年(1617年)に馬頭観世音菩薩が安置され、寛文7年(1667年)には現在の観音堂が建立された。この馬頭観音像は高さ2尺4寸(=約70cm)、家運隆昌・除災招福に御利益があるとされる。行基菩薩作と伝えられ、この辺りに居館があったと伝えられる県犬養春枝(娘が平将門の母とされるので、将門の祖父に当たる。)所縁の仏像ともいい、当寺院の創建以前にあった小堂に祀られていたものとの伝承がある。また、山門(仁王門)を通った正面に観音堂があるが、馬頭観音の霊験により、馬を乗ったままで門前を通ると必ず落馬することから、山門と観音堂の間に目隠しとして銀杏(イチョウ)を植えたという。これを通称「目隠し銀杏」といい、樹高約19m・目通り幹周り約6.2m・樹齢約600年の大木となっている。山門も元禄3年(1690年)の建立で、昭和26年に鉄板葺に変えられていたが、平成22年に修復工事が行われ、茅葺屋根に戻った。観音堂(附:宮殿、軒札)と山門は、平成27年に茨城県指定文化財に指定。現在は天台宗に属し、本尊は阿弥陀如来。なお、境内に新四国相馬霊場八十八ヶ所の第70番札所、第71番札所がある。
因みに、当寺院境内に源三位頼政公の供養塔がある(通称:ヨリマサ様)。源頼政は平安時代末期の武将で、怪物・鵺を退治したという伝説で有名。治承4年(1180年)に「宇治平等院の戦い」で平氏側に敗れて自害したが、郎党である下河辺氏が首を持って坂東に落ちのびて葬ったとの伝承があり、茨城県内では龍ケ崎市と古河市に「頼政神社」がある(2022年1月1日及び同年1月8日記事)。当寺院の供養塔は明治4年建立の銘があり、どういう経緯かは不明だが、あるいは鵺退治の超人的活躍に肖ったものかもしれない。手・足・腹の痛みや脳の病に霊験があるとのこと。
取手市のHPから(東漸寺観音堂・山門・宮殿・棟札)
写真1:「東漸寺」境内入口、寺号標(「天台宗 興隆山 東漸寺」)

写真2:山門(仁王門)

写真3:「目隠しの銀杏」。取手市内で最大のイチョウの巨木。

写真4:観音堂(堂本尊:馬頭観世音菩薩)。なお、観音堂の左側にある楠(クスノキ)は県内最大とされ、樹高約26m・幹周約7.0m・樹齢約320年という。

写真5:本堂(本尊:阿弥陀如来)

写真6:大師堂(新四国相馬霊場八十八ヶ所第71番札所)

写真7:同上(新四国相馬霊場八十八ヶ所第70番札所)。旧・寺田村の廃寺となった「永福寺」にあったものを移設。

写真8:頼政公供養塔。正面に「治承四庚子年 源三位頼政公建法澤山頼圓大居士神儀 五月廿三日」、左側面に「明治四辛未年九月吉日立之」銘がある。本体の高さ約56cm。
