眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

バグ・ポテト

2022-05-06 03:06:00 | 夢追い
 向こうに行けば会えるのかもしれない。次の瞬間には訪れるのかもしれない。動くことも動かないことも危険だ。多くの者はどうするのだろう。捨てた石が大化けすると思うと捨てられない。最初から宝石は見つからないから拾ってみるしかない。自惚れた待ち合わせは待ちぼうけに変わるだろう。僕は石を積み上げて石垣を作る。
 少し気が緩んだのか。石の隙間にファスト・フードができていた。

「ご一緒のポテトはどのようにおつけしましょう?」

「いいえ、結構」

「それでは私が悪者になってしまいまいます。ピアスのように? 最後の晩餐のように?」

「じゃあ普通で」

「本日はお持ち帰りいただけません」

 店員は申込用紙をカウンターに置くとすべての個人情報を書くように迫った。

「全部ですか」

「行政からの指導で」

 どうも話がおかしいのは、石の組み方が甘かったからだ。ほんの少しでも隙をみせれば、あらゆる方向からツッコミが入る。備えないものは滅びる。四六時中気を抜くことはできず、休日と言えどもオフラインにすることは不可能。生きている限りはオンなのだ。恐ろしき野生の時代。
 他国からのサイバー攻撃によって、注文は大混乱に陥った。
 飛び交うナゲットの中で助かる道を探す。
 午後3時の期待は大型アップデート。

「今回のアップデートによって無数のバグが修正されました!」

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風の引出、夢の出口

2022-01-18 02:30:00 | 夢追い
「まもなく……」 

 車掌が駅名を告げる。僕はまだ降りる必要はない。ささやかでも微睡むための時間が約束されていて、いつでも夢の扉は開かれている。それは僕がここに生きていて許されていることの証だった。
 スクールの終わり、街は闇に包まれて僕を迷子にさせた。行きつ戻りつしている内、突如闇の中から商店街の入り口が顔を出した。吸い込まれるように入っていくと店は既にどこもシャッターを閉ざしていた。中央に残る路上飲みの爪痕を町内会の人たちが片づけている。商店街を抜けると宴会が復活していた。若者の外出離れを嘆きながらカップをつきあわす人たち。地べたはミドルの聖域、シニアの天国と化していた。おじいさんの横顔が揺れ始める。

「次は……」

 車掌の声が交差点に響くと信号が瞬く。僕は急いで駆け出した。
 坂道の授業はダラダラとして気にくわなかった。炭酸の泡とジャンクフードに紛れてボールはずっと行方不明になっている。どれだけ声を出し、引き出そうと必死になっても、無意味に思えた。動いているテーマが違いすぎる。「何がサッカーだ!」僕は叫びながら中央に躍り出た。

(僕はこんなにもフリーじゃないか)

 突然やってきたパスに、思わずトラップをミスした。体が状況を理解する時間がなかったのだ。目を覚ましたように僕は駆け出した。突然現れた味方、なでしこの登場によって授業は新しいステージに移行した。ダッシュ、ドリブル、ミス、フォロー、奪取、ドリブル……。一度始まった攻撃はもう加速が止まらない。長く続いた退屈が、疲れを持ち去ったようだ。この坂道は、駆け上がるためにあった。ゴールは一方に限定されているように、敵も味方も関係なく同じ向きに走っている。マラソンかフットボールか、それはもはや同じゲームか、あるいはこれは遠足の中に取り込まれているお遊びの一種なのだ。けれども、突然、線審の旗が上がって、テーブルの前に引き戻される。

 パーティションの向こうのアイスティーは届きそうで届かなかった。見えているのに手に触れられないことが、もどかしい。つばめがやってきては、ぶち当たって戻っていく。何度も登ろうと努力を続けていたカナブンは、いつの間にかお腹を向けてゴロゴロとしてた。透明なパーティションは世界を真っ二つにし、僕らはあらゆる境界を跨ぐことを禁じられていた。突然、向こう側に謎の男が現れて財布を開いた。
「品川まで往復で」
 パーティションの下の隙間から男の声がした。違います。そんなつもりじゃないです。今はまだ待機の途中なのだから。

 さわやかな風を頬に感じた。その時、僕の脳内では記憶の発掘が始まっていた。これはただここに吹くばかりの風ではない。かつてあったさわやかな同士が共鳴し照らし合いながらよみがえって風に交じる。人、水、空、夏、夕暮れ、別れ、猫、草原……。風に結びついてとめどなくあふれてくる。みんな懐かしく、かなしいくらいに僕の味方だ。

「次は……」

 車掌の声が新しい駅名を告げる。きっとこれが最後かもしれない。風を突き抜けて、列車は夢の出口へと向かって行く。

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夢と希望

2021-12-28 02:40:00 | 夢追い
 したのかされたのかよくわからなかった。重なった唇は柔らかく、とてもよい香りがした。僕は誘惑に負けて動くことができなかった。10秒ほどすぎてから、ようやく正気に返ると目を開けて、絡みついた体を引き離した。よく知らない人じゃないか。彼女は笑っていた。
 バスに乗って去る間際に「手紙を書く」と言った。僕にではない。世界中に向けて書くと言ったのだ。
 僕はコインランドリーに駆け込んだ。蛇口をひねっても水はぽつりぽつりとしか出なかった。僕は手ですくって何とか水を飲もうとした。シャツが濡れるじゃないですかと側にいた男が文句を言った。「ごめんなさい」だけど、とても喉が渇いて仕方がないのです。

 落ち葉を踏んでその音で存在を悟られないように、ずっと慎重な姿勢を通していたのに、それでも先生に見つかって当てられてしまう。
「サリーちゃんを知っていますか」
「いいえ」
 本当はわかっていたけど、僕だけが知っていると目立ってしまうから、僕はみんなの答えに合わせてうそをついた。いつから僕はこんなにもおとなしくなってしまったのだろう。
「お食べ」
 おばあさんが差し出した半分のゆで卵には、親切に塩がかかっていて、こんなの上手いに決まっているじゃないか。塩にとろけて僕はスタジアムの中にいた。ランナーが三遊間に挟まれてどうにもならなくなったところで、主審が間に入ってプレーを止めた。マウンドに皆が集合してキャプテンに対してイエローカードが出されると、観衆がざわめいている。
「今のプレーについて説明します」
 審判が問題にしたのはフィールドにいる選手ではなく、ベンチで指をくわえている若者のことだった。
「口に指がくるということは、勝負をなめているということです」
 審判の厳しいジャッジの中に、一匹の犬が迷い込んできて空気が和んだ。

 どこをさまよい歩いているのかわからない。浮遊する力はとっくに失われていた。同じところを何時間もぐるぐると回っているかのようだった。突然、正面に高島屋がみえてきた時には安堵のあまりため息が漏れた。ようやく帰れるのだと思った瞬間、ポケットに財布がないことに気がついた。財布がない!
(彼女だ!)
 誘惑に負けている間に、僕は大事なものを失っていたのだ。バス停の明かりが小さく灯っている。もうバスは来ない。コの字型のベンチにかけて「なんでやねん」へと続くぼやきの輪に加わった。人それぞれに言いたいことはあるのだ。今なら僕にも多少はわかる。そうだそうだ。みんな身勝手なことばかり。鞄がない!
 さっきまで財布の中にあったWAONの残高を気にかけていたが、今度のはそれとは比較にならないほどの問題(喪失)だ。そこには今までしてきたことのすべてが入っている。すべての友がいるのだ。
(どこに?)
 記憶がない。いったいいつからないのだろう。最後にあった記憶は、いつまで遡っても現れない。
 その時、僕は自分の体が布団の上にあることをうっすらと自覚し始めた。そうだ。これはみんな夢だよ。
 僕は少し負けただけ。
 まだすべてを失ったわけではないのだ。

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ビンゴ&温泉

2021-08-02 21:20:00 | 夢追い
 ビンゴ大会でトップ10に入ったので景品を受け取ることになった。「名前が書いてあるから」迷わなくていいと同じトップ10の人が親切に教えてくれた。あの女の人、適当に持って行ったみたい。僕は追いかけて教えようとしたが、そこまですることはないと止められた。景品はどれも同じでフルーツと10キロの米なのだ。こんなの徒歩で持ち帰るのは大変だ、雨だったらとても無理だと誰かが文句を言った。もしも雨なら来てもいなかったと僕は思った。
 米を背負って家路についた。バスの3階から友達が指を立ててエールをくれたので、僕も拳を立ててそれに応えた。声などは届かなくても、不思議とその一瞬の気配を感じ取ることができた。

 昔通った小学校に立ち寄って、先生にみかんをあげようか。思いついたら学校の階段を上がっていた。少しでも荷物を軽くしたかったのだ。ピアノの音が聞こえてくる。今は授業の途中なのか。教室のドアは開いていた。先生のえりあしが見えた。みかんを持って近づく前に、先生は振り返ることもなく手を止めた。その瞬間、音楽が止んで子供が泣き始めた。(やっぱり駄目だ)みかんなんかで先生の邪魔はできない。僕はみかんを鞄に詰めて急いで引き返した。階段を駆け下りる途中でピアノの演奏が聞こえ始めた。




「おはようございます」

 軽く挨拶して入ったが誰も応えなかった。とっくに授業は始まっていたのだ。前に進んでいくと席はピラミッド状になっていて、最前列の2つの椅子は空いていた。近づきかけたところで怖くなって引き返す。皆から離れたサイドテーブルに椅子を持ってきて臨時の席を作った。遅れてきた僕にはちょうどいい。先生は不在で自動音声が流れる静かな授業だった。
 休み時間は菌を落とすための入浴タイムになっていた。人気の第一温泉を避けて、僕は第二温泉に行った。そこはまるで不人気で客は僕一人だけだった。持参したみかんを1つはそのまま、1つは温みかんにして食べることにした。近くで鳥の鳴き声が聞こえる。音声ではない。自然な声だった。野鳥だろうか。

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海のひそひそ話

2021-07-22 22:10:00 | 夢追い
 海の向こうから世界中の人が集まってきて、夏は浮かれていた。
 選手村のスタッフとなった僕は種々のテストをクリアしなければならなかった。肺活量のテストは中でも難易度が高かった。途中で手放した風船がいくつも空に飛んでは消えた。その内に各国の選手が控え室に集まってきたが、誰一人としてマスクをしていないことに驚いた。しかし、考えてみれば当たり前だ。アスリートがマスクなどしている場合ではなかったのだ。僕は反復横飛びのテストの途中で失格となり、村を追われることになった。

 逃走ルートとなった商店街では低空飛行で進んで行った。途中で人とすれ違う時には、習いある江戸仕草を繰り出したが、それがどんな形だったかを言葉で説明することは難しい。アーケードの終わりは古風な帽子屋さんだった。おじいさんはミシンのような機械に向かい人形を打っていた。これ以上歩いても何もないかも……。ちょうど店の奥から出てきたおばあさんに僕は聞いた。

「この辺りに何か食べるところはありますか」
 この先には何もないとおばあさんは言った。
「あの明かりは?」
 そこから少し先に明るく光るところが見えていた。

「あれはうどん屋。かやくうどんが800円じゃ」
 さほど旨くない。だから何もないとおばあさんは言った。
 その時、突然過去の記憶がよみがえってきた。
 あの道は……。

「流鏑馬がありましたよね」
 おばあさんは少し微笑みながら頷いた。

「ずっと昔に来たことがあるんです」

 おばあさんは一度奥に引っ込んでから、何かを握りしめて戻ってきた。

「帰ってこれてよかったね」
 そう言いながらチケットをくれた。

 観戦チケットを持って僕は対局室にいた。他にも大勢の人がいて、大きな対局を見守っていた。指し手が全然進まないので、僕はヘッドフォンを耳に当て、寝そべりながら待つことにした。

「残りは?」
「2時間50分です」
「この手は?」
「20分です」
 八段が記録係に時間を確認する。難しい局面のようだ。

「形勢は?」
「先手65%です」
「その理由は?」
「3筋にできた拠点が大きく駒損を補って余りあるためです」
「そうか……」
 ふむふむと頷いて八段は胡座になった。
 しばらくするとメニューを抱えて職員が入ってきた。

「親子丼セット。冷たい蕎麦で」

 千円札を出してお釣りを受け取ると、五段はポケットの中に入れた。
 1時間しても変化がない。立会人が険しい顔をしながら誰かと電話をしていた。話が終わると怖い顔のまま僕を睨んだ。きみ。僕はヘッドフォンを外した。

「ちょっとやっぱり駄目だって」

 対局者より間接的にクレームが入ったらしかった。
 僕はその場に居づらくなって逃げ出すように対局室を出た。2階に上がって僕は泣いた。ハードロックだったから音が漏れたんだな。もっと選曲を考えればよかったな。邪魔したな。僕が一番悪手だったな。電話経由で伝わったことが、一層僕をしびれさせた。泣いている内に川が流れていた。僕はカヌーに乗っておばあさんの家まで渡った。

「寝かせてある?」
「はいはい」
 おばあさんは家の裏に流れる川に寝かせてあったサイダーを取りに行った。

「こんにちは」
 テレビでよくみる女優さんが家に遊びに来ていた。従兄弟の友達らしい。

「どうも」

「はいはい」
 おばあさんがサイダーとグラスを持って帰ってきた。

「ねえ、みんなは?」

「海に行ってるわ。ここだけの話よ」

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くわえ煙草のジョニー

2021-07-02 08:00:00 | 夢追い
 冷え切った箱に僕は言い聞かせている。
 できる。お前はできる。まだ空っぽじゃない。あるものだけでひねり出すことができるんだ。

「新しく出た製品ですよ」

 知らない人が寄りついてきても、安易に応じてはいけない。この街は油断ならない。微笑んでいる相手ほど、決して心を開いてはならない。できることは何なのか。

「何ができる?」
「鮮度を保ちます」

 聞いていないのに余計なお世話だ。それに酷く的外れだった。もっと他にできることがある。全幅の信頼を寄せて、僕は扉の中に入っていった。
 冷蔵庫の中は野菜畑になっていた。麦藁帽のおばあさんが、大根を抜こうとしている。日射しが強い。腰を屈めおばあさんは格闘している。手強い大根に違いない。お茶を届けなきゃ。遠くから呼んでもおばあさんは気づくはずはない。土に足下を食われながら、僕はおばあさんの元へ歩いて行く。歩いても歩いてもたどり着けない。

「おばあさーん!」


 たこ焼きの上で踊る鰹節の香りが漂ってくる。誰かが手に入れる。僕ではない。最も近くにいる人がそれを手にするのか。あるいは、今はここにいないけれど、最も望む者が手にするのかもしれない。舟が動き始めた。これはまたどういうことだ。鰹節の香りがこちらに近づいてくる。発注もなく届けられる運命的なたこ焼きだろうか。誘惑に手が伸びそうになる。駄目だ。引っかかってはならない。先に1つ食らわせて、後で課金されるトリックが仕掛けられているかもしれない。

「さあ履いていけ」

 それは32センチのスニーカー。主は僕ではない。靴というのは、ただ足が入ればいいというものではない。それでは落とし穴と変わらない。ちょうど納まればこそ、一体となりどこへでも歩いて行けるというものだ。長い道程を歩いてきた。歩き始めた頃の記憶を、僕はもう忘れてしまった。

「鼻毛が伸びたね」

 10年振りに再会したというのに、久しぶりくらい言えないのかね。打ち解ける風景を想像した自分が恥ずかしくなる。目の覚めるようなハエが飛んできたが、やはり眠い。睡魔は最大の思いやりだ。眠らなければどうにかなってしまう。Wi-Fiがハーモニカの音色を飛ばす。バンズに挟まれないように、バッタたちが必死になって逃げて行く。駆けて行くロングコートのお化けたちを尻目に、僕は絨毯に紛れたチャーハンを拾い上げる。

「今日は出張で?」
「いいや、たこ焼きさ」

 歩道から白い煙が見える。歩いてくる女の口元から出ているようだ。歩き煙草の女を避けて、車道に飛び出した。この街の歩道は狭いのに、なんて真似をしてくれるんだ。女が吐き出した煙が道を越えて広がってくる。逃げても逃げても逃げ切ることができない。降下してきた宇宙人がキットカットとサーキットを混同してショートカットを起動した。おかげで僕は家の中にワープすることになった。薄暗い部屋に戻ると僕はわけもわからずに冷蔵庫の前で新しい別の扉を探していた。エアコンの奥か、テレビの裏か、本棚の隙間か、ここにはない。この部屋の中に扉はない。

「やっと気づいたか」

 小馬鹿にしたような兄の声が遠くから聞こえた。
 迷子になるために僕は再び家を飛び出した。疲れを感じなくなるまで歩いた。「ここは2丁目です」お節介なグーグルを閉じて橋を渡ったところでホログラムが現れた。僕は足を止めて映像の中の人々を眺めた。

「どこに捨ててくれてるんだ!」
「すみません」

 青年は事務所の前に投げ捨てた煙草を拾った。短くなった吸い殻を手に持ったままトラックに乗り込む。運転席と助手席の間に挟まれたまま、枯れ木のように縮まりながら現場へと運ばれて行った。

「あれがかつてのお前だ!」
 突然、耳元で老人がささやいた。
 こちらは現実に人間のようだった。

「お前は現場について社員の手伝いをする。エレベーターがなく、何度も階段を往復して荷物を運ばなければならなかった。握力を失ったお前が運ぶ布団の裾は何度も地面に触れて汚れをつけていた。箪笥を運ぶのを手伝う時、お前はうっかり手をすべらせて箪笥は社員の頭を直撃する。その瞬間、罵声と共に社員の足がお前の下腹部を攻撃し、お前はうめき声を上げた。仕事が終わるとお前は見知らぬ街で解放される。車の中にお前は持ってきた靴を忘れてしまう。夕暮れの街をお前は駅を探して独り歩いた。人の流れについて行くが、いつまでもお前は駅にたどり着くことができない」

「あれがお前だ!」

「(俺に貸せ!) お前は街角に立つ少女からマッチを奪い煙草に火をつけた。おかげで少女が創りかけていた希望の物語は光を失って闇だけが残った。お前は燃えかすになったマッチ棒を道端に投げ捨てて歩き出す。お前の頭の中には、街のどこかにあるはずの駅と今日の復讐のことだけがあった。自分が不条理な力で奪い取った小さな物語のことなど微塵もなかったのだ」

「あれがお前だ!」

「違う!」

「くわえ煙草のジョニー。それがお前の名だ」

「違う! 絶対違う」

「お前が受けた煙。それは10年前にお前が吐いた煙なのだ!」

「違うったら違う! いったい誰のことを言ってるんだ!」


 ラスト・オーダー19時30分、女はカウンターで入店を断られて帰って行く。先に入っている我々は、最後の最後まで居続けることができるのだ。
 我々はずっとここにいる。朝よりも早く夏よりもずっとずっと早くからだ。

「おじさん、令和の前からいるの?」

「もっと前だ」

「そんなに前なんだ」

「君たちが生まれるよりもずっと前だ」

「もしかして昭和の人?」

「もっともっと、我々は宇宙人だ」

「やっぱりそうだ! ずっと何してるの?」

「友達を待っている」

「そうなんだ。でも来ないんじゃないかな。ずっと待ってて来ないんだから」

「我々の感覚は違う。もう来ているかもしれないのだ。人間の振りをして近づいているのかもしれない」

「楽観的なんだね!」

「それが宇宙だ」

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逃げた魚

2021-05-14 01:15:00 | 夢追い
「まもなく閉店です」
「大丈夫です」
 入ろうとすると女は顔の前に手を広げて止めた。
「もう閉店です」
「空いてるじゃないですか」
 空席を指して僕は訴えた。
「いえ、そういうことじゃなくて」
「あの席は何なの?」
「あれは、未来のためのスペースです」
「というと?」
「私たちはみんな欠けた存在ではないでしょうか。だからです」
 そう言って女は一冊の本をくれた。そこまでされては引き下がるしかない。


 屋上に逃げて主人公はドラキュラのことを思い出す。傘をさすドラキュラ、靴紐を結ぶドラキュラ、テイクアウトするドラキュラ、ATMでキャッシュを下ろすドラキュラ、コンビニ行くドラキュラ、傘を畳むドラキュラ。一度離れてみてわかったよ。どれほどそれを愛していたか。失われたわけじゃない。ただ忘れていただけなんだ。ドラキュラこそが私にとってのハッピーターンだったんだ。

 真ん中まで読んだところで白紙になった。次のページも次のページも、ずっとずっと白紙のままだった。当惑の先に女のほくそ笑む顔が浮かんだ。


「偽本をつかまされた!」

 
 駆け込んだ交番は薄暗くて、干からびた人形がかけていた。
「あと1つなんだけど」
 最後のキーワードが解けないと人形は言いながら出て行った。勝手に忍び込んでいたようだ。
 おまわりさんは戻ってこない。代わりに魚屋さんがやってきた。何かが始まるぞという雰囲気に街の人々が集まってきた。

「どこにでもありそうなまな板ですが」
「何が切れるの?」
 男は人参を切ってみせた。
「他には何が切れるの?」
「何でも切れる」
 男は人参を切ってみせた。

「もっと他にも切れるの?」
「勿論ですよ」
 そう言って男は人参を切ってみせた。
 そうしている間に魚たちは逃げ出して海へと帰って行った。

「普通と違うんですか?」
 誰かが聞くと魚屋さんは鷹になって飛んでいった。

「あれ? これまな板じゃないですよ」
 そこにあるのは恐竜の卵だった。

「早く知らせないと」

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秘伝のたれだと?

2021-04-20 10:46:00 | 夢追い
 大切なボールペンがどこかに埋もれている。それを見つけ出すことが僕に与えられたミッションなのだと思う。せっかくなのに、迎合することなどできるものか。どこ行くの? 行くの? 本当に? あなたも? 一緒に行く? 同じようなキーワードがピンボールをしているようだった。「まあ待て」そのような中にあっても、自分の態度を保留している策士も存在していたが。僕はゆっくりと席を立った。教室を抜け出し、階段を下りる。ガヤガヤガヤ♪ ガヤガヤガヤ♪ 誰からも呼び止められない。霊のように抜けていく。

 やっと明るい世界に抜け出すことができた。笛を吹けば吹くだけいい曲ができていく。鴉、猫、イタチ……。共感を示すものたちが、集まり僕のあとをついてくる。いいね♪
 僕はこれから新しいクラスタを作るのだ。ノー・マスク、ノー・カテゴリ。


 横たわりながら硝子戸を叩き看護師を呼んだ。午前中に自分で手術をしたので入院させてほしいと頼んだが、彼女は渋い顔をした。

「無理ですよ。この街のボスが……」

 やっぱりそうか。この街はまだボスの影響が強く、入院もままならない。僕は首の皮が不安定な状態に耐えねばならなかった。
 スーパーの店先には家が2軒3600円で売られていて、魅力的な物件のように思えた。しかし住むとなると常に騒々しいことは予想されるし、健康面の不安もあった。だいたいこういうのは商売をする人用のものではないか。


 この鶏は旨い! たれが旨い! と親戚の人たちが焼き鳥のことを誉め始めた。しかし、それはこの前食べたチェーン店の味と同じだった。なぜ、気づかないのだ? 揃いも揃って味覚音痴だろうか。叔父さんの同級生という人が突然現れて、テーブルの主役となった。話題が一気に昭和に遡ったのは、店のBGMのせいでもあった。


 バスタオルを求めて僕は百均ショップに飛んだ。ここが一番いい。店内を歩きながら、確信が深まる。他とは違う。普通のもの、大きいもの、おしゃれなもの、バスタオルだけでも色んな種類があって迷うくらいなのがいい。

「ちょっと並んでくださいよー!」

 角を曲がったところでいきなり怒られた。

「いや、見てるだけです」

 まだ会計に進むつもりなどなかった。ただ商品を見ているだけだったのに。女は僕の見ているものに対し納得がいかない様子だった。

「そんなわけないよね」

「いやほんとに」

「みなさーん! この人見苦しい言い訳してますよー!」

 認めるか立ち去るかしないと許さないという態度だ。
 僕は自分の首をつなぐための道具を探しにきたのだ。

「糸がいるんで……」

「はあ? なんで?
 バスタオルと糸って!
 男なのに!」

 いや関係ないだろ。

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魂の叫び

2021-04-09 01:19:00 | 夢追い
 昨日見た時は青かったのに、今はそうでもない。何か違う。青かったり白かったり、浮いたり沈んだり、強かったり弱かったり、好きだったり嫌いだったり、熱かったり冷たかったり、きれいだったり淀んでいたり、いつも振り回されてばかりだった。50パーセント? いったいどういうことなのだろう。
 いつもよりも歩けすぎている。歩いている途中で異変に気づく。背中が妙に軽すぎる。荷物を忘れてきた! そればかりか耳が寂しい。どうして手にお茶を持っているのに、大事なものばかり忘れているのだろう。行きすぎた道を僕は引き返した。荷物になるので電柱の下に、お茶は置いて行くことにした。

耳にないアジカンのこと気づいたら今更引き返すのか我が道

 空も人も移ろいから逃れることはできない。誰だってつなぎ止めておくことは難しいのだ。人は上辺から心から作品も含めて変わって行く。昨日は捨てられたかもしれないが、今日には拾ってくれる人もいるのではないか。
 エレベーターは強制的に最上階に引っ張られてしまう。僕は30センチほど背伸びして威嚇していたが、乗ってきた人は僕よりも普通に30センチ高かったので驚いた。

「ここに住んでる人?」

 初対面の人は気安く話しかけてきた。勢いに押されるまま僕は正直に名前と部屋番号を教えてしまった。7階の部屋は改装中で窓もドアも開けっ放しのままだ。こんな時に限って個人情報を晒してしまったことを後悔した。せめて通帳だけでも鞄に入れて持って行こうか。1つ思いつくと大事なものは他にもある気がして憂鬱になる。

「崩してくれる?」
 会計が済んだあとで客は10円玉を差し出した。崩れるパターンは知れている。先輩は100円玉と50円玉を複数用意してトレイに並べようとしていた。
「いや10円でしょ」
「えっ、本当? どれ?」
 預かった元の硬貨は既に行方をくらませていた。
 僕は1円玉を並べて客に差し出した。

「こちらで」
「そうなのか?」

 客は硬貨の輝きが足りないと駄々をこねた。他にも色々とパターンがあるのに、決めつけられたと不満を露わにした。財布に収めないけれど、突き返しもしない。膨らんだ頬は水掛け論を待ち望んでいるようだ。非生産的な間に耐え切れず、僕は早く休むように持ちかけたかった。明日も早いでしょうに。

「油売ってないでよー!」

 夢の中での叫びは声にならない。
 口が乾き意思は唇に伝わらない。
 それでも僕は叫ぶことをあきらめない。
 魂より叫ぶことは体にいいのだ。

「……売ってないでよー!」

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消える人

2021-02-25 02:41:00 | 夢追い
 遙か向こうから手を上げる彼女に気がついた。その瞬間までまるで気づいていなかった。僕は思い出し笑いをしていたかもしれない。おかしな顔を見られてしまったかもしれない。一瞬そう思ったがそれには距離が遠すぎた。見つけるのが(知らせるのが)あまりに早すぎるのだ。まだ十数メートルもある中で、合図した以上は意識せずにはいられない。顔を合わせるのは久しぶりだった。何週間、それ以上かもしれない。どう声をかけようか。立ち止まった方がよいだろうか。周辺視野の奥にずっと彼女の存在が浮かんでいる。もう少しだ。
 彼女は不意に彼女の右を指さした。

「私はこっち……」
 唇がそのように動いた。
 そちらは駅の方向ではない。
 そちらには何もない。何もない風景が無限に開けているだけなのだ。どうして……。僕は彼女にたずねることも追いつくこともできない。

(みつけておいて消えるなんて)
 おかしな人だな。

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さよならフォーメーション

2021-02-18 05:34:00 | 夢追い
 廃棄された椅子はまだかけることができた。真夜中にミニトマトを食べるのは、クリエイティブを炸裂させたかったからだ。テーブルがガタガタと震える。近くに霊的な何かが降りてきたせいだろうか。冷たい風がおぼろげな断片をさらって行く。風だけを頼りにしたい。僕はもう空っぽになりかけていた。

 橋を渡ると爆音が響いた。トマトを持っていれば、襲撃されることはないだろう。渡り切ったところで家が反対方向だと気がついた。

 部屋のあちこちに飲みかけのトマトジュースがあった。甘いものが欲しくなって、残ったミニトマトの1つにはちみつを垂らした。はちみつの蓋が突然消えた。さっきまであったのに、いくら捜してもみつからない。いつの間にか、窓が開いている。風に引き入れられたカーテンが、ちょうど子猫のような形になった。

 本と本の間から何かわからないコードがみつかる。テレビだか、ゲームだか。何でもいい。捨てようか。何かわからないシャツも、捨てようか。シャツのようなパンツのような、わからない奴。



「さよなら」
 目も合わさない。別れの言葉がそれだけ。またねの1つもないとは、僕らはいったい何だろう。ああ、友達とは難しいものだな。
 朝が近い。おにぎり2つしか食べていなかった。
 スーパーの前では夜を通して作業する男の姿がある。開店時間をたずねると無言で上の看板を指した。8時30分。中途半端に早い。
「わしらより早いでー」
 スーツ姿の酔っぱらいが看板の下でくだを巻いていた。

 コンビニの前に立つが開かない。ドアは手動になっていた。中に入ると大勢の男たちで賑わっている。夜の間は立ち食い寿司屋になっているのだ。お弁当やサンドウィッチやアイスやお菓子やカップ麺など、昼間売られている商品の一切が姿を消していた。
「テイクアウトで」
 数秒前に入った男が大将に慣れた様子で注文している。
「4ー4ー1ー1で」
 数字が何を指すのかさっぱりわからない。

「一人前持ち帰りで」
 女将さんに言って丸椅子にかけた。
「時間がかかるから奥へどうぞ」
 奥のソファーには誰もいなかった。畳の上に新聞や雑誌が散らばっていて、隅っこには無数の縫いぐるみが山積みになっていた。
 テレビ画面に映る大家族の映像を、興味ありげに睨みつけた。
 きっと時間がかかる。前の男が凝った注文をしたからな。

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小刀少年

2021-02-06 10:41:00 | 夢追い
「勝手に行くな!」
 追いかけてきて後ろから肩をつかまれた。
「暗号は解いたのか?」
「はあ?」
「そんなことも知らないのか。だったらなおさら行くな」
 どういうつもりかと奴は問い詰めてきた。
「何となく前へ前へ進んだんだよ」
「もう勝手に動くな!」
 話にならんという顔だった。あまりにむっとしたので僕はその場でつばを吐いた。ちょうど通りかかった女性につばが当たりそうになり、女性は露骨に嫌な顔をしてみせた。

 宿泊先の民家に上がるとまだ段取りが整っておらず、皆は細長い通路で待機することになった。赤いラジコンカーが猛スピードで部屋を出入りしている。走らせているのは小さな女の子だ。不意に奥の部屋から少年が姿を現した。手に小刀を持って一番隅にいた僕に近づいてきた。気づくと小刀は僕の手の甲を這っていた。それから徐々に上に這いTシャツの袖を抜けて首筋にまでたどり着いた。

「こいつを見ろ!」
 少年は僕を人質にして身代金を要求した。それを持って高飛びしたいと少年は漏らした。けれども、少年の声は喧噪を制することはなかった。夜の楽しみへの関心が高いのか、僕への関心が低すぎるのかはわからなかった。「飛んでどうするんだ」首筋に刃先を感じながら、少年を説得した。いずれにせよ、既に計画は頓挫しているも同然だ。そして、皆が無関心だからこそわけなく何もなかったことにできる。ひと時の過ちくらい誰にでもあるものだ。

「もういいや」
 状況を呑み込んだのか、少年が離れた。
「ありがとう。僕の命を救ってくれて!」
 無意識に感謝の気持ちが漏れた。(本当はそれより先にすべきことがあったのだが)その時、少年の目が鋭く僕を睨んでいることに気がついた。

(えっ? 違うの)

 痛恨の解釈ミスをしていた。
 小刀はまだ首筋に残ったままだった。僕はなぜか身動きできないのだ。

「待て! あきらめるな! 助けてくれ!」
 僕の言葉だけが少年と向き合っている。
 一度安堵したあとでは、震えるほどに命が惜しい。

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飛び入りランナー

2021-01-17 10:39:00 | 夢追い
 会館の隅を勝手に借りて着替えた。徹夜仕事の疲れが残っているせいか、ボタンを外すのにも苦労した。向こうの方に黒いスーツの影が見え、徐々に人の気配が増してきた。少し無理をしている気もしたが、正式なビブスをつけると誇りが立ち上がり始めた。さあ行くぞ。会館を出ると駐車場に長距離バスが到着していた。中から旗を持った人々があふれ出てくる。皆マラソンを応援する人々だ。交差点を越え、園児たちの集団(ワゴンに乗って運ばれる子もいる)を抜けて、正ルートに飛び出した。

(今から僕はマラソン・ランナーだ)

 少し先を行くランナーの背中が見えた。まだ決定的に遅れてはいないようだ。200メートルほど走ったところで足下に違和感を覚えた。革靴の踵が少し余っていて、足に余分な負荷がかかる。短距離ならまだしもマラソンを完走するのは難しい。1キロほど走ったところで完全に心が折れた。準備不足を悔いながら、僕はコースを引き返した。高速ですれ違うランナーの目が一瞬光る。(まだやれたのでは)走っていると時々そんな気がする。
 けれども、問題は他にもあった。マラソンはスタート・ラインから参加するものだろう。今日は朝からすべてが間違っていた。
 対向車線からバスが近づいてきた。窓からマシンガンを突き出して、僕のビブスを狙うのが見えた。
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カテゴリ落選

2021-01-08 14:09:00 | 夢追い
 理由なき落選。またどこにもたどり着くことができなかった。失意の帰路。小さくなった肩から何度もジャケットが滑り落ちそうになる。本当にないのか。(自分だけが知らない鍵があるのかもしれない)交差点の真ん中に取り残された手袋をつつく獣の影を見た気がした。出遅れたワゴンを後ろのクラクションが押し出す。ヘッドライトが地を這って、僕の足跡を消す。

 エントランスのドアが破壊され中では枯れ葉が渦巻いていた。エレベーターの前にバリケードが築かれ、ランプも消えている。薄暗くなった蛍光灯が点滅している。足が冷たい。僕は裸足だった。ポストに靴が入っているはずだ。希望のポストは凍り付いていて手が出せなかった。闇の中からクロヒョウの鋭い瞳が光る。僕はエントランスの隅っこにうずくまった。足音が近づいてくる。中に入られてはまずい。(人間の存在を知らせるのだ)イノシシと同じかどうかわからないけど、僕はおじいさんの教えを思い出して大声で叫んだ。
「カテゴリー!」
 獣は去ったようだ。しかし、すぐに思い直して戻ってくるかもしれない。2度同じ手は通用しないだろう。

(非常階段で行け!)

 脳が指令を出しているが、自分のこととして受け止められない。戻ってきたら殺されるという恐怖と、どうなってもかまわないという思いが交錯して、体が動かない。
(速く、速く)遠くで誰かが言っている。大事なのはここを離れること。

 黒猫を胸に抱え管理人は階段にかけていた。
「メンテナンスがあるなんて書いてなかったでしょう」
「乗り物のカテゴリに書いてあるよ」
「そんなカテゴリはない!」
「あんたまた落ち込んでるの?」
「そんなことは……」
「どうしてそんなに入りたいのかね」
「みんな入ってるから」
「違うね!」
 管理人は食い気味に入り強く言い切った。

「あんたは入っている人を見ただけだよ。みんな苦しんでいる。知らないとこでみんな苦しんでいるんだ。あんたと一緒だよ」
「エレベーター、明日は直るの?」
「勿論。少し休ませてるだけだから」
「ドア、壊れてたよ。あと照明も」

「幻を追いかけないように」
「ああ」
「カテゴリなんてどこにも存在しない」

 ドアを開けると強く風が吹きつけた。カーテンが波打っている。電気もエアコンもつけっ放しだ。みかんの香りがする。少し前まで誰かがいたようだ。そこにある物は半分ほど見覚えがあるが、自分が出て行った時の記憶がなかった。全開の窓から長布団が地上まで伸びて滑り台のように見えた。

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ペン・スタンド

2021-01-01 08:37:00 | 夢追い
 客席は今日も疎らだった。
 もう望まれていないのか。ファンは何処へ……。
「君の人気がなくなったんじゃない。音楽ファンが減ったんだよ」
「同じことじゃないか」
「違う! 人が減ったんだよ」
「もうやってられない」
「時代だよ。時代が人を疎らにしてしまった」

 ガソリンスタンドでスーツを買った。緑色のスーツだ。同じような色のスーツが既にあった気がするが、質感が異なる。シャツもネクタイもみんな緑でかためる。どんな芝にでも溶け込みやすいように。試着をしている間に、父も母もみんないなくなってしまった。
 テーブルの上に文具が散乱しているが、どれかは家の物であるらしかった。ハサミはどうも違う。ボールペンの1つに仮名の書かれたシールが貼ってあり、それは母の旧姓の頭文字と一致した。
「これは家のです!」
 断じたものの根拠が薄く、逃げ出したい気持ちになった。

「もう少し続けることにしたよ」
「そう言うと思ってたよ」
 テーマが尽きるまでは、続けてみよう。
 未来にでも届けばいい。
 歌うとは、みえないものを信じることかもな。
「共に進んでくれる?」

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