眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

傷心フェイス

2022-01-06 20:14:00 | ナノノベル
「なるほど。そういうことね。それでそんな顔なんだ。まあ、ありきたりな人生。振られることだってありますよ。私はないけど」
「はあ」
「でもあなたには顔がある」
「そりゃありますよ」

「そう。人間は顔よ」
「どういう意味ですか」

「目は口ほどに物を言う」
「それは何となくそうかも」
「壁に耳あり」
「はあ」
「2階から目薬」
「それが何か?」
「目も耳も口もみんな顔に集まっているわ」
「まあそうですよね」

「お前鼻が利くなーっ」
「えっ?」
「犬の嗅覚を甘く見ないこと。とても人間に勝ち目はないわよ」
「わかってます。勝負することもないと思います」
「馬の耳に念仏」
「馬の話じゃないですか」
「あなた少し似ているわね」
「別に似てないでしょう」

「最近どう?また顔出せよ。あんたここの顔じゃないの。どうした? お化けでも見たような顔だな」
「何ですか顔の話ばっかり」
「それだけ顔は広いという話よ」

「僕はこの先どうすればいいんですか」
「あなたまだ顔があるわ」
「だから何だと言うんです」
「今は瞳でパンが買えるの」
「顔認証ですか」
「そんなんでも顔は顔」
「……」

「ありきたりな人生。顔がありゃ何とかなる」
「はあ?」
「ということです」
「ちょっとどういうことですか」

「はい。相談料2万4千円になります」
「いや払うかー!」

「あなた顔でかいな」

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【将棋ウォーズ自戦記】振られても振っても負ける 

2022-01-06 16:43:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 生まれては消えていく無数の戦いがある。雨の日も晴れの日も、ウォーズの盤の上に駒が飛び交わない瞬間はない。酷い負け方、痛いだけの敗戦、すべては棋譜として残る。忘れても忘れても、残り続ける棋譜。棋譜の数だけ棋士の生き様がある。それは生きた証とも言える。
「美しい棋譜になりますように」
 願いを込めて、僕らは初手を指すのだ。


 3分切れ負けの対局が始まった。相手はいきなり初手に飛車を振ってきた。『いきなり三間飛車戦法』だ。生粋の振り飛車党と思われる。僕はその堂々とした姿勢に押され飛車先を突いた。これが精神的な悪手だった。今の自分のテーマに照らせば『なんとか流左玉』か相振り飛車を選択するべきだからだ。(その際、飛車先の歩は不要不急の一手となる)ふらふらと駒組みを進め僕は居飛車穴熊に入った。対して相手は堂々と石田流に組んできた。僕は角を引いて銀との連動によって石田流の飛車に圧力をかけようとしたが、端角の働きがあり何事も起こらない。そこでふらふらとした駒組みを続けることになる。

 すると相手はいつの間にか角を中央にワープさせ、更に飛車の横にのぞき美しい陣形を作ってきた。手慣れた駒組みに押され、僕はふらふらと手損して角を戻った。(ここでは銀を引きつけ囲いを固めるべきだった)これがほぼ敗着となる。振り飛車の角のさばきは手損のようで少しも手損ではなく、意図を持って動いている。それに対して僕は、ただふらふらと動かしていたにすぎなかった。(これでは角に対しても失礼だろう)魂の入った手に魂のない手は勝てないのだ。

 相手は満を持して仕掛けてきた。その手順は、先に居飛車側の飛車先を突っかけ、続いて石田側の飛車先を突っかけるというものだった。これが同時に角筋を通していて浮き飛車に当たるのがポイントだ。飛車で歩を取った時に飛車交換にはならず、突き捨てた歩を食いながら飛車をかわされて困る。この時に石田流の桂に紐がついていることが、仕掛け成立の条件だ。もう1つは居飛車の角の位置で、もしも僕が角を無駄に動かさずちゃんと引き角の状態であれば、角の守備力が強くやはり仕掛けは成立しにくかった。これは石田流に対して居飛車が浮き飛車で受けた場合の理想の仕掛けの1つ。絵に描いたような仕掛けをあびているようでは話にならないと言える。
 僕はそれに対して飛車を引いて受けたが、やはり似たようなものだ。一方的に飛車を成られ、香を拾われ、飛車を捕獲されては手段も尽きた。投了もやむなし。中盤で早々と投了となった。このような内容では、3分あっても時間が余るというものだ。魂を入れ替えて次の一局に進みたい。



「早指しやあってはならぬ3連敗」



 敗局は1つの死ではないだろうか。王様が詰む前に僕の魂が折れた。けれども、僕らは何度でも生まれ変わることができる。破れかぶれだった飛車も、遊びほうけていた角も、消えていった歩も、みんな元通り。何事もなかったように定位置についている。あとは僕が復活するかどうかだ。「負けました」と下げた頭は、反省して進化するためにある。脳内感想戦が終わったら、顔を上げよう。何度でも僕らは次の一歩を踏み出すだろう。「お前が先手だ!」と上の声から声がした。

 僕は初手に堂々と中央の歩を突き出した。これほどかっこいい手が他にあろうか。中飛車のさばきを受けてみよ。相手は居飛車、僕は中央位取りの中飛車から左金を繰り出した。(位を取ったら位の確保だ)普通は銀だが金だとどう変わるかという趣向だ。僕らは先人の知恵を借りて無難に駒を運ぶこともできる。しかし近年では人間を超えた新しい知能の台頭によって、従来の先入観にとらわれない駒組みも見られるようになった。
 それはそれとして、早指し戦では自分流の工夫を見つけることによって、自分のペースをつかむ戦い方も有力だと思う。

 僕は普通の美濃には組まず、あえて玉の腹に金の方を上げる趣向を選択した。相手は角道を止めてじっくりした構えで、穴熊にする意図はなさそうだった。僕は左の銀をぐんぐん繰り出して、金の隣に運んだ。相手は桂を跳ねてきた。続けてぴょんぴょん跳ねられては怖いので、僕は渋々歩を突いて防いだ。(角道が止まってしまうのでできることなら突きたくないのだ)それをみて相手は飛車を転回させ、中央から反撃してきた。中飛車にとっては油断ならない変化だ。

 中央に歩が突っかけられる。だが、数は十分に足りている。僕は間合いをはかる意味も兼ねて、ふらふらと角を引いた。すると相手は中央の歩を取り込んできた。それに対して僕は金で歩を取り返した。すると相手はスッと銀頭に歩を伸ばしてきた。金と銀の焦点に突き出された歩。これが痛恨の一撃となった。銀で取れば金が浮く。金で取れば飛車が浮く。持ち歩が一歩では返し技もない。つまり、どうやっても致命的な駒損を避けられない。

 その瞬間、すべての趣向が裏目に出たことを悟った。中段に出た金銀の連携の悪さ。もしも普通に美濃囲いなら飛車に紐がついていた。渋々突いた歩によって角の応援が断たれていた。酷いものだ。すべてが負けるようにできている。相手はこちらの駒組みの弱点を突いて見事に咎めたとも言える。試みることは楽しく、ただなぞっているよりも発見の機会は多くなる。たくさん転んだあとで、先人の知恵を思い出すのもいいだろう。

 どうにもならない歩を僕は銀で取った。すると相手の角は金を取りながら躍り出てきた。
 当然の一手だ。

 投了もやむなし。
 局面をみるほどに戦意が失われていき、ここで無念の投了となった。



「焦点をみつめて取ったお~いお茶」
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