先手中飛車で始めると相手は角道を止めて雁木調に出てきた。相振りか……。そう考え美濃の形を決める。すると相手は右の銀を上がってきた。どうも思惑が外れている。左銀を上げていくと相手はツノ銀の構えを取った。中央の位を取り銀で確保するとその間相手は金を左右に開き両方の桂を跳んできた。未だ居玉だ。
相手の作戦の意図がみえないというのは不安でもある。僕は三間飛車に転回して歩を交換に行った。そして飛車を下段に引いたが、やや消極的だった。(将来の棒金による圧迫を恐れている意味があるのだが、完成した美濃囲い対居玉の状態で、既に恐れているというのはおかしな話だ)積極的に動いているようでいて、実はその後の構想がみえておらず、不安の方が上回っていたのだった。実際は、この後すぐに中央から歩を突っかけていく仕掛けがあった。(どちらの銀で取っても歩が浮く。歩で取れば継ぎ歩で攻めるのだ。その時に居飛車は左桂も跳んでしまっているので角の守備力が遮断されている)また、ツノ銀に対しては最初から四間飛車に切り替えて銀頭を狙っていくのも理にかなっているようだ。
見慣れない形では序盤の駒組み/構想からセンスが問われ、同じ形ばかり指して調子に乗っていると、改めて自分の軟弱な部分が露呈してしまうのだ。ついに相手は右玉に態度を決めた。恐れていた棒金がのこのこと出てきた手に対し、僕は角頭に歩を謝った。(今までのは何だった?)勝負の流れから言えば、金の進出を恐れるのではなく、大駒と差し違えてもさばくというスタンスの方が正しかった。(相手は左右に分裂して薄い玉形である上に角が全く働いていない。言わば囲いの金で攻めているようなもの。だったら寄せてやるくらいの気持ちだ)
思うに僕はこの右玉的な陣形に恐れ/コンプレックスのようなものを抱いているのではないか。備えてもまだ相手は棒金による攻撃を継続させてきた。そこで僕は銀を撤退させ、代わりに高美濃の金を押し上げ中央に備えた。すると相手は端角の構えを取った。そこで僕は1つ引いて三間からの逆襲を狙った。すると相手は端角の利きを生かして歩を突っかけてきた。そこで僕は美濃の銀を押し上げて備えた。しかしそれは備えているのか自ら玉形を弱めているのかわからない一手だった。そして何より深刻と思えるのは、この一局がすべて相手の主張に沿った形で推移しているという事実の方だ。相手の手を正しいものと認め、それに対して正面から反発したり否定したりする手が皆無だ。
将棋というゲームは、相手の手をリスペクトしすぎると勝てない。(常に相手が正しければ、自分は間違っていることになる。反省ばかりしていては、自分の指したい手が指せなくなる)ここは堂々と歩を取る一手だった。取ればつぶされるという恐れと飛車先を突破されてはいけないという先入観が強すぎて、発想することができなかったのだ。仮に左辺の突破を許しても、右四間飛車に転回して戦えば互角以上だった。そもそも取れないようでは、角を1つだけ引いた手が悪手であることを認めるようなものだ。
常に自信がなく相手の指してが過剰に正しくみえるため、小さな妥協を重ね重ねて相手にとってありがたい手ばかりを続けてしまう。心構えが崩れていることで、ゲームを支配され形勢を損ねてしまう。戦っている間は、冷静な自信を持ち続けなければならない。(天狗になるわけではない。恐れるとしても正しく恐れるのだ)気迫に押されると駒は引いてしまう。出るべきところで出なければ将棋は勝てない。
終盤はこちらが三間から攻める間に相手が四間飛車に転回しての攻め合いとなった。歩の進出に対して金を引いた手に飛車取りに角を打ち込んだ手がやや甘く、チャンスが訪れていた。僕は手抜いて玉頭の金を取った。銀で取ればさらに銀をぶつけるつもりだ。相手は構わず飛車を取ってきた。この数手は誤ってはいるけれど筋は通っている。(相手の指し手には一局を通しての魂/一貫性があったのだ)僕はこの局面に限っては正しく指せていたのだが、一局を通して怯えているので自分の指し手に確信が持てないでいた。むしろパニックの中にあった。
自玉は悲観的に言えば受けのない3手すきで、よくみれば絶対に詰めろがこない形。2手すき(次に詰めろがかかる形)の連続で迫れれば勝ちで、寄せの速度計算としては比較的わかりやすい。しかし、パニックになっている状態では、受けがないという状態の方がピックアップされ、冷静な状況判断ができなくなっている。「寄せなければ」(寄るのだろうか?)突然現れた寄せ合いの局面に、上手く対応することができない。
原因の1つは囲いに対する不安だ。(指し慣れた囲いでないという不安と、戦いの中で常に薄かったという不安)もう1つは一局を通して主導権を握られている(気迫に押されている)という不安だ。(本当に勝負強い人はどんな酷い将棋でも一度のチャンスを的確にとらえることができるが、並の人間は一局を通しての出来に結果まで持って行かれがちである)
強い不安がパニックを引き起こし、寄せの精度を大きく狂わせる。安定した状態なら決して逃さないはずの決め手を、簡単に逃してミスを連発する。これがこの惨敗の棋譜に現れた物語だった。
不安は始まりからあった。相手が右玉に動くのをみた瞬間、嫌な感じがしたのだ。ある戦型に対して勝率が低かったり、負けた記憶が強く残っていると、苦手意識のようなものを感じてしまうのではないか。勿論それも実力の内である。
不安を拭いきることは難しい。ただ乗り越えていくしかないのだ。