子供の頃は『水戸黄門』がとても嫌いだった。父があまりに夢中になって見るために余計に嫌いになるという面もあった。
「いつも同じじゃないか」
だいたい僕の言い分は決まっていた。何もかもがいいつも同じだと腹を立てていたのだ。日々も日常も大人たちのすることときたら何もかもが……。『水戸黄門』はそのいつも「同じ」であるという構造を代表して背負っていたに過ぎなかった。
「いつも同じじゃないか」
(それがどうしてか不誠実で不愉快なものとして許せない存在なのだ)
そのせいで父とぶつかってしまった。
対する父の答えはこうだった。
「日は昇り日は沈む」
ずっと昔からそうなのだと父は言った。日々を繰り返して生きることこそが人間の道なのだ。
話しながら父はずっと難しい顔をしていた。
どれほど確信を持った内容だったのだろうか。あるいは、苦し紛れにひねり出した回答だったろうか。
(どこか遠い国ででも会うことがあれば訊ねてみたいのだが)
幼い日の疑問は本質的に解決されるわけではない。
疑問そのものが時間の中に薄まっていく。だいたいそのような感じである。『水戸黄門』はわるくない。そして、同様に『ごくせん』も『スターウォーズ』もわるくないだろう。
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