何を着ても寒いものは寒いのだ。鬼を着た。夢を着た。舟を着た。鬼の上に夢を重ね着した。やはり寒いのだ。谷に袖を通し、舟を羽織った。犬を着て、闇を着て、意味を被る。あらゆるコーディネートは寒さを消すには不十分だった。
寒さを凌ぐには、孤独マラソンにエントリーする以外に道はなかった。孤独規定の審査は鬼のように厳しく、しゅんさんの心を冷え冷えとさせた。どれほど孤独であるか、兄弟はいるのか、担任は何年していたのか、犬は飼っていないか、生徒には慕われていないか、交換日記はしていないか、親睦を深めていなかったか、恋人はいないか、二次元にもいないのか、心の友は存在しないのか、おばあちゃん子ではなかったのか、家来はいないのか、背中に霊を背負ってないか、弟子を取ってはいなかったか、多岐に渡る条件をクリアしなければ、スタートラインに立つことも許されなかったのである。
ゆらゆらとスタートして、みんな空っぽになりたいの一心でどこにもない原っぱを求めて腕を高く上げて走り続けた。同じ方向性に共感を覚えて話の一つでも交わしてしまえば、それまで。すぐに係の者に発見されて、ひっつかまって、沿道につまみ出されてしまうのだった。しゅんさんは、黙々と走り続けた。前を行く走者より、後ろに置いてきたのろまより、誰よりも強く真っ白になって、無心を手にしたいと思った。
とめどなく流れる街の詩的情景を踏みしめながら、無になれ、無になれと願い続けながら走り続けた。頭の中では遠い過去か架空の未来から湧いてきたような素敵なリフがリズムを刻んで、しゅんさんの走力を向上する役目を担っていた。素敵なリフに包まれた荒い走りの夜、しゅんさんは頭の中で、イフ構文を作り続けていた。
もしも、あの時、一つのフレーズを選び取ることができたなら、もしも、一つのリフが丸ごと世界を包んで、一つ一つ細かく刻み始めて、誰一人それに異を唱えることができなくなってしまった世界で自分だけが巻き戻しボタンを隠し持っていたとしたら、もしも一等賞になって見知らぬ人に胴上げされて、そのまま世界の果てまで運ばれていって、メダルだけが置いていかれたら。無敵だな、無敵だな、もしもの先は、いつも無敵だと思ったけれども、もう体は冷え切っていた。しゅんさんはうつらうつら走り続け、それはもう仮眠マラソンの時間に入っていた。ライバルたちは、みんなどこかへ行ってしまった。もう、孤独でも、詩的でもなくていいから、温まりたいとランナーは思った。見えないテープを切ってゴールする、そこには表彰台も何もない。
「新しい湯が、湧いていますよ。しゅん先生」
ポトフが湯を置いて、待っていた。
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