僕は従来通りのやり方でテキストをアップした。そこに何の疑問も抱かなかった。もしも足を止める人がいないなら、原因はテキストの中にある。それ以外に考えることはなかった。今日、突然あなたが切り出すまでは。
「犬は?」
あなたは唐突に、そう言ったのだ。私は自分好みのやり方でテキストをアップしていたのです。そこに何の疑問を抱くことがあったでしょう。もしも足を止める人がいないなら、それは私自身の内面に問題が眠っているのです。あなたが不思議そうに問いかけるので、私は自分の方法にほんの少しだけ、疑問を持ち始めていました。
「犬は?」
普通の人は、テキストに犬を添えてあげそうなのです。それは今までの私にはとても思いつかないような発想でした。テキストと犬の親和性。私の理解はまるで追いついていないのでした。俺はいつものように俺流のテキストを叩きつける。叩きつけた瞬間、俺の役目は終わる。誰が共感を示すかは興味がない。誰もに無視されようが関心がない。もう終わったことだ。俺はテキストの始まりだけを求めている。
「犬は?」
馬鹿を言うなよ。犬なら散歩の途中だろう。
「犬があなたの顔になってくれるのよ」
僕はどこかでブレーキを踏んでいた。本当はもっと自由に書きたかった。何も考えず、とらえようもない世界に向けて。絶えず近寄ってくる得体の知れない躊躇いを破壊して、本心へと深く潜り込みたかった。
「犬を添えないと誰も近寄ってこないよ」
テキストだけでは十分じゃないとあなたは教えてくれた。僕は自分だけの小さなテキストの中にとらわれていた。私の作るテキストはいつも昨日の中に置かれていたのでした。振り返れば思うことがたくさんあって、昨日は素晴らしかったと後になるほど思えるのです。いつだって昨日は今日よりも素晴らしく、今日は昨日に比べればだんだんと劣化していくようで、だから書くべきことは今日よりも昨日の中に残っており、余すとこなく書き終えようとすれば、今日はもう今日でなくなっていて……。
「犬を添えないとね」
現代人はみんな犬を添えているのだとあなたは言って、私を非難したのです。戸惑いの中に私は私から目を逸らし少し離れたところにある木目に着目していました。普段は見ていなかったところに、こんなにも人間の顔が潜んでいたことに、私は驚かされていました。男の顔、子供の顔、囚人の顔、お腹を空かせた老人の顔、しょんぼりした女の顔、お茶を飲んだ兄の顔、憔悴し切った若者の顔、裏切り者の顔、駄菓子屋のばあちゃんの顔、犬の顔。木目の中に人間でないものの顔が交じり始めていました。
「みんな添えているのよ」
わしに添っていたものは獲物を狙う猫じゃった。わしがボールを晒すと猫は誘いに乗って寄ってきた。重心を低く構えて猫は周到な準備をした。それから意を決して獲物めがけて飛びかかってきた。わしは瞬間ボールをすっと足裏で引いて軸足の裏へと隠し入れた。猫は瞬時に狩りに失敗したことを悟ったようだ。だが失敗したという態度は一切見せない。最初から興味がなかったというような振りをしてみせるのだ。それでいてまたわしがボールを晒し始めると、猫は再び誘いに乗って寄ってくるのだ。少しも懲りることなく、私はもっともっと書いていたかったのです。多くを望まず、大きすぎるテーマの中に呑み込まれながら、あらゆる読者を置き去りにして、書いていたかったのです。届ける約束一つない場所で、私はただ気分よくなりたかっただけなのです。
「私何もできないの」
犬を抱いた女が言った。謙遜なのか本心なのかわからなかった。犬を抱き共感を持ち多くの人の支持を得ているあなたに、できないことがあるとは思えなかった。(だったら僕は……)あなたとは違うのだろう。「できる」が指す広さ、領域、バージョンが異なっているのだ。一つも共感できないところで、僕はただ書き続けたかった。誰も触れない落書きのように。安定的な寂しさの中にいて。
「犬はどこにいるの?」
「近くにいるでしょ」
「僕の近くにはいない」
「無人島にでも住んでいるの?」
自由ばかりを口にしながら、僕は読者の理解を望んでいた。明日を考えず、デザインを求めず、自分だけの美学に添って、あなたの感性と反対の場所で遊んでいたのに。
「あなたに興味がなくても、みんな犬には興味があるの。あなたのテキストなんかに興味はなくても、まっすぐ犬に向かって近づいてくるの」
「それで?」
「それでね、犬を撫でるついでにあなたのテキストを拾っていくのよ」
私はテキストに犬を添える方法を学び、現代人へと一歩近づくことができたのです。誰だ? 俺のテキストに勝手に犬を添えやがって!
そして僕のアップした犬をあなたは撫でて行った。
同時に僕のテキストの隅を少しなめて行った。
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