「人間がどういうものか、この星がどういうものか、
それを伝えるには、物語が必要なのだ」
「百科事典ではだめでしょうか?」
「物語の方が、読んでもらえるだろう。
何しろ星座というのは、物語なのだから」
「そうでしたかね?」
「今日は、猫の物語を打ち上げるぞ!」
「宇宙のどこかへ届くだろう」
* * *
カフェが繁殖力を増すにつれて、猫の姿は見えなくなってしまった。
かつては、鬼ごっこをする猫、夜を横切る猫、地下から顔を出す猫、ふらふらした猫、借り物競争をする猫、知らん顔をする猫、ひょろひょろした猫など様々な猫たちがいたものだったが、今ではすっかり見ることができなくなってしまったのだ。猫たちがいなくなった道は、どこか間の抜けた遊園地のように、あるいは目印のない街のように、霧がかかって見えるのだった。
彼らは、しあわせにしているだろうか?
しあわせに似た形をした食べ物が、夜風に乗って私を呼んでいるような気がした。
「10個で200円ですか? 安いですね」
「安くても、味は保証しますよ」
にやりと笑った店主の歯が、雨夜のてんとう虫のように光り輝いた。
「ありがとう」
中を開けてみるとたこ焼きと信じていたそれは、いきなり飛び出してきた。風船だ。
私は、容器から手を放した。音もなく、それは落ちた。
風船は、化けながらあふれ出している。生まれゆく過程のように、理由のない秩序に沿って膨らんでいく。くちばしのようなものが見えた。小さな手のようなものがみえた。丸い目のようなものが対になって見えた。翼が、見えた。鳥は、遠く星を目指して広い空へ羽ばたいていった。
その時、遥か下の方で、懐かしい鳴き声がした。
「おまえは、どうして猫になったの?」
その背に触れようと黒い地面に膝をついた。
けれども、猫は猫のように素早い仕草で身を引いた。すぐに駆け出していく。逃げていったのかもしれなかった。
「待って!」
最後の猫を、追った。胸が苦しくなるまで走った。苦しくなった胸に手を当てて、あとは惰性で追いかけたが、猫は見る間に小さくなってゆき、やがては小さな点のように見えるのだった。小さな点を追う自分は、もはや走ってもなく、あきらめが台頭するにつれて暴走した鼓動は徐々に落ち着きを取り戻し、その分だけかなしみが増していくのがわかった。わかるにつれてなおかなしくなるばかりだった。
猫は、夜に紛れて消えてしまった。
私は、200円を返してもらおうと、あの店を探しに戻った。
保証するだって?
空腹ばかりか、かなしみさえ増したではないか……。
打ちひしがれながら、猫とたどった道を歩いた。おそらくきっとそうであろう道を歩いた。
けれども、歩いても歩いてもあの場所は見つからなかった。信じた道を歩いたが、歩き続ける時間が長くなるにつれ、私の記憶は白い波のように揺らいでいき、今日見たものが何も信じられなくなっていった。今日は、誰にも会わなかったし、誰とも話さなかった。そんな気さえしてくるのだった。
もはや、あてもなく私は歩いていた。確かなことは今が夜ということだけだった。
とうとう、足が私を止めた。
その時、
くたびれた煙草屋の前で、私は見つけたのだった。
あっ、
風船猫。
猫は、じっとしている。
私は触れようとそっと手を差し出した。
触れた。
触れた瞬間、猫は風船なので飛んでいった。私の触れ方がいけなかったのだ、きっと。風船であることを思い出させるように、触れてしまった。猫は、きっと一瞬街の大地にしがみつこうと手を伸ばして、じたばたとしたのかもしれない。けれども、そのシグナルは現実なのか夜の幻なのか私にはわからなかった。もう、猫はいないのだ。猫は、去った。他の風船たちがそうであったように、同じ星の方向へ向けて飛び立ってしまった。最初からそうなることが決まっていたかのように、漆黒の夜は、いかなるざわめきも漏らさずに居座っていた。ただ、猫のいた場所に一筋の風が吹きつけた。
なぜ、猫だったのだろうか?
猫の歩いた道を、一人歩きながら、あの一瞬触れた優しい感触を思い出していた。
あれは確かに、優しかったのだ。
私は、空を見上げて夏の星座を探した。けれども、それはどこにも見つからなかった。
* * *
「伝わるでしょうか? キャプテン。 宇宙のどこかの、宇宙読者に」
「心配はいらんだろう。 どうせ、届きはしない。
どこにもね……」
「さっきと、言っていることが違うじゃないじゃないですか」
「そんなことよりも、たこ焼きを買ってきてくれ」
アミは、おいしいたこ焼き屋さん『招きタコ』を目指して歩き出した。
空にはロケット雲の落書きが残っていた。それは曖昧な猫が昼寝をする姿だった。
それを伝えるには、物語が必要なのだ」
「百科事典ではだめでしょうか?」
「物語の方が、読んでもらえるだろう。
何しろ星座というのは、物語なのだから」
「そうでしたかね?」
「今日は、猫の物語を打ち上げるぞ!」
「宇宙のどこかへ届くだろう」
* * *
カフェが繁殖力を増すにつれて、猫の姿は見えなくなってしまった。
かつては、鬼ごっこをする猫、夜を横切る猫、地下から顔を出す猫、ふらふらした猫、借り物競争をする猫、知らん顔をする猫、ひょろひょろした猫など様々な猫たちがいたものだったが、今ではすっかり見ることができなくなってしまったのだ。猫たちがいなくなった道は、どこか間の抜けた遊園地のように、あるいは目印のない街のように、霧がかかって見えるのだった。
彼らは、しあわせにしているだろうか?
しあわせに似た形をした食べ物が、夜風に乗って私を呼んでいるような気がした。
「10個で200円ですか? 安いですね」
「安くても、味は保証しますよ」
にやりと笑った店主の歯が、雨夜のてんとう虫のように光り輝いた。
「ありがとう」
中を開けてみるとたこ焼きと信じていたそれは、いきなり飛び出してきた。風船だ。
私は、容器から手を放した。音もなく、それは落ちた。
風船は、化けながらあふれ出している。生まれゆく過程のように、理由のない秩序に沿って膨らんでいく。くちばしのようなものが見えた。小さな手のようなものがみえた。丸い目のようなものが対になって見えた。翼が、見えた。鳥は、遠く星を目指して広い空へ羽ばたいていった。
その時、遥か下の方で、懐かしい鳴き声がした。
「おまえは、どうして猫になったの?」
その背に触れようと黒い地面に膝をついた。
けれども、猫は猫のように素早い仕草で身を引いた。すぐに駆け出していく。逃げていったのかもしれなかった。
「待って!」
最後の猫を、追った。胸が苦しくなるまで走った。苦しくなった胸に手を当てて、あとは惰性で追いかけたが、猫は見る間に小さくなってゆき、やがては小さな点のように見えるのだった。小さな点を追う自分は、もはや走ってもなく、あきらめが台頭するにつれて暴走した鼓動は徐々に落ち着きを取り戻し、その分だけかなしみが増していくのがわかった。わかるにつれてなおかなしくなるばかりだった。
猫は、夜に紛れて消えてしまった。
私は、200円を返してもらおうと、あの店を探しに戻った。
保証するだって?
空腹ばかりか、かなしみさえ増したではないか……。
打ちひしがれながら、猫とたどった道を歩いた。おそらくきっとそうであろう道を歩いた。
けれども、歩いても歩いてもあの場所は見つからなかった。信じた道を歩いたが、歩き続ける時間が長くなるにつれ、私の記憶は白い波のように揺らいでいき、今日見たものが何も信じられなくなっていった。今日は、誰にも会わなかったし、誰とも話さなかった。そんな気さえしてくるのだった。
もはや、あてもなく私は歩いていた。確かなことは今が夜ということだけだった。
とうとう、足が私を止めた。
その時、
くたびれた煙草屋の前で、私は見つけたのだった。
あっ、
風船猫。
猫は、じっとしている。
私は触れようとそっと手を差し出した。
触れた。
触れた瞬間、猫は風船なので飛んでいった。私の触れ方がいけなかったのだ、きっと。風船であることを思い出させるように、触れてしまった。猫は、きっと一瞬街の大地にしがみつこうと手を伸ばして、じたばたとしたのかもしれない。けれども、そのシグナルは現実なのか夜の幻なのか私にはわからなかった。もう、猫はいないのだ。猫は、去った。他の風船たちがそうであったように、同じ星の方向へ向けて飛び立ってしまった。最初からそうなることが決まっていたかのように、漆黒の夜は、いかなるざわめきも漏らさずに居座っていた。ただ、猫のいた場所に一筋の風が吹きつけた。
なぜ、猫だったのだろうか?
猫の歩いた道を、一人歩きながら、あの一瞬触れた優しい感触を思い出していた。
あれは確かに、優しかったのだ。
私は、空を見上げて夏の星座を探した。けれども、それはどこにも見つからなかった。
* * *
「伝わるでしょうか? キャプテン。 宇宙のどこかの、宇宙読者に」
「心配はいらんだろう。 どうせ、届きはしない。
どこにもね……」
「さっきと、言っていることが違うじゃないじゃないですか」
「そんなことよりも、たこ焼きを買ってきてくれ」
アミは、おいしいたこ焼き屋さん『招きタコ』を目指して歩き出した。
空にはロケット雲の落書きが残っていた。それは曖昧な猫が昼寝をする姿だった。