ヨボ爺の与太話

街の見て歩きを投稿したのは昔の話、
今はヨボ爺が日常の与太話をたまに投稿する、
子供の絵日記の様なブログです。

東京意匠學舎 京浜ワンダーランドー鶴見線に乗って異景の街ー3

2019-11-24 13:53:46 | ガイド街歩き

11月25日(月)  <11月9日(水)の続き>

東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)のガイドツアー                                        京浜ワンダーランドー鶴見線に乗って異景の街ー    

鶴見から扇町・海芝浦などにのびる鶴見線。川崎から横浜にわたって広がる京浜工業地帯の貴重な足でもあり、ひたたび駅を降りれば見渡すかぎり工場の殺伐とした景色が広がります。しかし、そこには明治・大正・昭和初期にかけての歴史の痕跡も年季の入った場所なのです。                           

東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)は世田谷美術館元世田谷美術館の学芸員で教育普及課長だった高橋氏が在職中に世田美主催のイベントとして企画・実施・案内役を勤めていたガイドツアー建築意匠學入門・萬KENBUN録がルーツで、定年1年前に退職され落語家(遊興亭福し満)に転身されて終了してしまった催しを、常連参加者の要望で同じ趣旨で再開してくれたガイドツアーの会です。

案内役 : 飯田 鉄(写真家)氏 高橋直裕(東京意匠學舎主宰)

18世紀末の江戸時代元号の町名を発見、                                              気になったので帰宅後netで調べたら、1769(宝暦14)年に開発された(埋め立て地ではなくもともと陸地だった)荒井新田の西半分で1788(天明8)年に検地され翌寛政元年から年貢の取立てが始まったので寛政耕地と呼ばれるようになったのだそうで、昭和の時代は企業のの社宅だったそうです。

 

社宅時代の建物も残っており、道路も碁盤の目状です。

 

安善駅

JR鶴見線は浅野総一郎(浅野財閥の祖)が1924(T13)年に中心となって設立された鶴見臨港鉄道会社がもとで、 同郷で事業を支援した安田善次郎(安田財閥の祖)の名前に因み浅野が命名したそうで次は浅野駅です。浅野駅 - 安善駅間はJRで最も駅間の短い区間 (0.5km))の一つだそうです。

  

 

浅野駅に到着、此処から電車に乗り戻ります。

 

終点の一つ手前、国道駅で下車、何度も訪れている駅です。

 

 

左の写真の米軍の機銃掃射の跡は良く知られています。

 

一駅歩いて京急線京急鶴見駅で解散です。

 

案内役の飯田さん高橋さんありがとうございました、

参加者の皆さんご一緒出来てありがとうございました、

楽しい16,400歩でした。

コメント (2)
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