9月28日(土)
東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)のガイドツアー '幻の水準点'を探せ!明治9年の忘れ形見・横浜編
明治9年、当時の内務省地理局は日本の主要都市の五千分の一の地図を作成すべく水準点を設けた。「ベンチマーク」と呼ばれる水準点の印を各所に刻んだが、それは遂に幻の遺物に…横浜の水準点を巡って行くと、新田開発とのつながりも見えて来ます。
に参加して来ました。
'東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)'は世田谷美術館元世田谷美術館の学芸員で教育普及課長だった高橋氏が在職中に世田美主催のイベントとして企画・実施・案内役を勤めていたガイドツアー建築意匠學入門・萬KENBUN録がルーツで、定年1年前に退職され落語家(遊興亭福し満)に転身されて終了してしまった催しを、常連参加者の要望で同じ趣旨で再開してくれたガイドツアーの会です。
「水準点とは」 地図作成など正確な高さを求める測量をおこなうために国土地理院が作った高さの基準となる点のことで、原点は東京都千代田区永田町1丁目にある日本水準原点標庫という建物の中にあり、1891(M24)年に東京湾の平均海抜を0としそこから計測し日本水準原点は24.5000mと定められたが、関東大震災で24.410mに修正され、さらに東日本大震災で修正され現在24.3900mに修正された。
案内役 : 高橋直裕(東京意匠學舎主宰)氏
コース : 東急東横線東白楽駅→考道山→JR東神奈川駅〜JR桜木町駅→
伊勢山皇大神宮→野毛山→普門院→堰神社→山谷庚申塔→中村八幡宮
集合場所は東急東横線東白楽駅、実家から歩いて直ぐです、
資料を貰い注意事項を聞いて出発、集合今日の参加者は20名。
今日、訪れるのは幻の遺物となった…横浜の水準点です。
1876(M9)年当時の内務省地理局は弐本の主要都市の1/5,000の地図を作成すべく水準点を制定した。そしてその水準点をを恒久的なものろするため、焼失する可能性の低い社寺仏閣などの鳥居などに印を刻んでいった。それが几号(きごう)と言われる「不」の印である。印の原型は測量法がイギリス式で行っていたため、イギリスの水準点「↑」とされている。しかし軍備が勢力を拡大し1884(M17)年太政官達により地図作成の測量を参謀本部陸軍測量局に一本化してしまい、こうして内務省(文官系)の測量は水泡に帰してしまった。
考道山 孝道教団という独立した宗派 神奈川区鳥越38
横浜に住んで居た頃は実家から近いので花まつりや花見に何度か来ています。
此処からJR東神奈川駅まで行き〜JR桜木町駅まで電車移動
成田山延命院の境内を抜け、高台ににある次の目的地
伊勢山皇大神宮 西区宮崎町64 (横浜の総鎮守)に到着
野毛山公園 を通って
山を下り、昔は海だった横浜の平地をテクテク・・・・。
<続く>
しかも現在は使われていない水準点です。