湿っぽくなるのが苦手なのでブログに書くことを避けて来たが、実は今年初めに私の母が死んだのだ。
それに係り、1人息子の私がやらねばならないことは全て完了している。
(画像 ↓ はそれとは無関係な入浴中のドガティ君)
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母は兵庫県の山奥の施設から、昨年の秋にその近くの病院へ移り、その病院で息を引き取った。結局私はその病院を一度も訪れていない。COVID-19が蔓延した昨年以来、病院から離れたところに住む家族が入院患者のためにその手続きをする場合(=私のような場合)、メール、電話、郵送等で手続きを完結できるように病院側が対応し始めた。だから入院手続きに関しては、私は自宅で済ませることが出来た。
一方で、母と私の面談は不可とされた。途中からオンラインでの面談が可能となったが、母の場合、その時点ではすでにオンラインでの面談など意味がない身体状態になっていた。
14年前に死んだ父と同様、母についてもこういう葬式(↓)みたいなことは、何もしなかった。
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【Source: フリー画像】
父は、あのダンディな白洲次郎の遺言とも言える「葬式無用 戒名不用(正しくは不要?)」を理想としていた。かつて「私もそれでいいわ」と言っていた母についても、それに倣った形で、お寺さんの世話にはならずじまいである。ついでに言うと、私もそうなる予定だ。13年ほど前に作った私の遺言状にはそう書いてある。聖人でもないお坊さんから戒名をもらうことになんの意味がある?と私は大いに疑問に思っている。私や私の父母のような人が増えているから、お寺さんも大変だ。葬式も戒名も、お寺さんの大きな収入源だろうからね。
したがって、お棺に入った母は兵庫県内で病院から葬儀屋さんに移動し、そこから火葬場へ直行した。因みに、これもすべて現地で行われ、私は立ち会っていない。ここまで書いて来ると驚く人が多いかもしれないが、実はこういうやり方が今や急増中だ。それもまたCOVID-19の影響だと言える。各地から人々が移動してひとつの狭い場所に集まって来ること(=つまりは葬式)が避けられる傾向が顕著である。それに対応して本来の葬式に替わるオンライン葬式プランも多く用意されているらしいが、それに適応出来る高齢な参列者はさすがに少ないだろうね。
途中で失礼。ミレイユ・マチューでロマンティカ♪
いい歌だねぇ。
私が学生時代に持っていたLPレコードの中に入っていた曲だ。
泣きそうになるメロディ。美しいねえ。
さて次に、遺骨をどうするかという問題がある。母の場合、遺骨は細かく砕かれごく少量になって私の手元に到着した。
その移送手段はゆうパックである。
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実は、ゆうパックの配達員さんは遺骨の移送に慣れている。
クロネコヤマト等の宅配便では遺骨は取り扱えないが、なぜかゆうパックはそれが取り扱い可能ということになっていて、実際その取扱いがコロナ禍で急増中らしい。
次には受け取ったその遺骨をどうするか?という問題が出て来る。
つまりはお墓の問題だ。
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【Source: フリー画像】
これは簡単。葬式や戒名だけじゃなく、母は墓も持たないからだ。
生前の私の父は自分が死んだ時に、遠いところに住んでいる親戚や知人や友人に急遽それを知らせて、一方的に決めた日時に遠くからわざわざから集まってもらうこと(=葬式)なんて、おこがましいことだと考えていた。さらに、死んでしまえば灰になるのだから、狭い日本で墓というスペースを使うことは社会的に有害であり、ましてや若い子孫は墓参りなどせず、もっと時間を有効に社会の発展に使えばいいと笑いながら言っていた。これには私もまったく同感だ。
ということで、父は誰にも知らせずひっそりと海洋葬で送られることを希望し、私はそうした。生前「私もお父さんと同じでいいわ」と言っていた母も、同じく海洋葬となった。
母も湘南で海洋葬を数多く手がけている葬儀屋さんによって、相模灘沖で散骨されたのである。
父が死んで14年。相模灘で海洋葬(散骨)にしたことを、私は今になってとても良かったなあと思っている。「命日だから墓参り」なんて特別なことは何もしない。でも、毎日のように私は自分が住む住宅街から相模灘を見下ろしているわけで、常に父のことを「ぼやぁ~ん」と感じとり、思い出すことが出来るのだ。
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だから母についても、私は墓参りなんて改まったことはしないのだけれど、今後きっと毎日母を「ぼやぁ~ん」と感じとったり、思い出したりするのだろうねえ。
一人息子の私がやることはそれだけでは終わらない。
母が死んだ瞬間に真っ先に私が考えたのは、年金の過払いを避けたいということだった。年金の過払いとは、人が死んだのに遺族がその事実を年金事務所や企業年金基金等に連絡するのを忘れ、年金給付がその人の死後もその人の口座に入金されることである。これは公的年金、企業年金、その他の私的年金でも起こりうる。それをまた返金するのはかなり面倒だし、関係各位に面倒をかける。実際企業年金の世界ではこれが頻繁に起こるため、その担当者はキレそうになっているのを私はよく知っているので、これだけは避けたいと思ったのだ。
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さっそく私は日本年金機構に連絡を取り、その後は藤沢の年金事務所と連絡を取り合って、母の公的年金の給付を素早く止めることが出来た。しかしそのために提出するものがいろいろとあって、多少の手間が必要だった。
次は後期高齢者の医療保険だ。これも止めないといけない。
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母は兵庫県の病院で死んだが、住民票は鎌倉市にあった。だからこれに関して連絡する相手は、鎌倉市である。
また葬儀に係る様々な費用の内、多くの自治体が50,000円を上限とする補助を遺族にくれる。それを受け取るには先の兵庫県の葬儀屋さんや神奈川県で海洋葬を請け負って下さった葬儀屋さんの領収書が必要だ。
介護保険も同様。こちらも鎌倉市に連絡して手続きをとる。
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ここまでは大変と言えば大変だが、そのあとのことと比べたらまだましだった。
母は生命保険会社との契約はなかったはずで、それについては問題がなかった。
大変だったのは母の銀行口座を閉じることだった。
年金暮らしの母は、銀行口座にたいしたおカネを持っていなかった。しかしそんな母の口座でも、私がそれを閉じる手続きをするのに、ものすごい時間がかかった。母の誕生から死亡までの戸籍謄本が必要だし、その手続きをする私が正しい相続人であることや、唯一の相続人であることを証明する書面を提出する必要があった。提出する書面はかなりの量になった。まずは銀行の相続を取り扱う部署に電話し、説明し、書類を郵送してもらい、それを読んで書きこんで、さらに必要書類をあちこちから取り寄せて、提出する必要があった。
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多くの書類を提出しても銀行からそれについて電話がかかって来て、いろいろと説明する必要があった。
これにはかなりの時間とエネルギーを消耗した。おカネもかかった。
しかも同じ業種のはずのゆうちょ銀行とメガバンクでは、手続きの詳細が違った。提出書類までもが一部異なるのには驚いた。
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ゆうちょ銀行のウェブサイトで最初の申込をして取り寄せた書類は数多い。それらをまずは記入して、その後必要な書類を役所から取り寄せ、すべて揃ったら七里ガ浜郵便局に提出だ。しかし一部書き直しや新たな書面の提出を求められて私はそれを準備し、それらを再び七里ガ浜郵便局へ提出した。すると母がゆうちょ銀行に持っていたわずかな残高の証書が自宅に送られてきた。私はそれを再び七里ガ浜郵便局に持って行った。
とにかく時間と労力を使ったのである。そしてそれも終了した。
あぁ~長くかかったな。でもこういうことに忙殺されていると、悲しさも紛れるものなのだ。世の中うまく出来ている。
それに係り、1人息子の私がやらねばならないことは全て完了している。
(画像 ↓ はそれとは無関係な入浴中のドガティ君)
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母は兵庫県の山奥の施設から、昨年の秋にその近くの病院へ移り、その病院で息を引き取った。結局私はその病院を一度も訪れていない。COVID-19が蔓延した昨年以来、病院から離れたところに住む家族が入院患者のためにその手続きをする場合(=私のような場合)、メール、電話、郵送等で手続きを完結できるように病院側が対応し始めた。だから入院手続きに関しては、私は自宅で済ませることが出来た。
一方で、母と私の面談は不可とされた。途中からオンラインでの面談が可能となったが、母の場合、その時点ではすでにオンラインでの面談など意味がない身体状態になっていた。
14年前に死んだ父と同様、母についてもこういう葬式(↓)みたいなことは、何もしなかった。
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【Source: フリー画像】
父は、あのダンディな白洲次郎の遺言とも言える「葬式無用 戒名不用(正しくは不要?)」を理想としていた。かつて「私もそれでいいわ」と言っていた母についても、それに倣った形で、お寺さんの世話にはならずじまいである。ついでに言うと、私もそうなる予定だ。13年ほど前に作った私の遺言状にはそう書いてある。聖人でもないお坊さんから戒名をもらうことになんの意味がある?と私は大いに疑問に思っている。私や私の父母のような人が増えているから、お寺さんも大変だ。葬式も戒名も、お寺さんの大きな収入源だろうからね。
したがって、お棺に入った母は兵庫県内で病院から葬儀屋さんに移動し、そこから火葬場へ直行した。因みに、これもすべて現地で行われ、私は立ち会っていない。ここまで書いて来ると驚く人が多いかもしれないが、実はこういうやり方が今や急増中だ。それもまたCOVID-19の影響だと言える。各地から人々が移動してひとつの狭い場所に集まって来ること(=つまりは葬式)が避けられる傾向が顕著である。それに対応して本来の葬式に替わるオンライン葬式プランも多く用意されているらしいが、それに適応出来る高齢な参列者はさすがに少ないだろうね。
途中で失礼。ミレイユ・マチューでロマンティカ♪
いい歌だねぇ。
私が学生時代に持っていたLPレコードの中に入っていた曲だ。
泣きそうになるメロディ。美しいねえ。
さて次に、遺骨をどうするかという問題がある。母の場合、遺骨は細かく砕かれごく少量になって私の手元に到着した。
その移送手段はゆうパックである。
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実は、ゆうパックの配達員さんは遺骨の移送に慣れている。
クロネコヤマト等の宅配便では遺骨は取り扱えないが、なぜかゆうパックはそれが取り扱い可能ということになっていて、実際その取扱いがコロナ禍で急増中らしい。
次には受け取ったその遺骨をどうするか?という問題が出て来る。
つまりはお墓の問題だ。
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【Source: フリー画像】
これは簡単。葬式や戒名だけじゃなく、母は墓も持たないからだ。
生前の私の父は自分が死んだ時に、遠いところに住んでいる親戚や知人や友人に急遽それを知らせて、一方的に決めた日時に遠くからわざわざから集まってもらうこと(=葬式)なんて、おこがましいことだと考えていた。さらに、死んでしまえば灰になるのだから、狭い日本で墓というスペースを使うことは社会的に有害であり、ましてや若い子孫は墓参りなどせず、もっと時間を有効に社会の発展に使えばいいと笑いながら言っていた。これには私もまったく同感だ。
ということで、父は誰にも知らせずひっそりと海洋葬で送られることを希望し、私はそうした。生前「私もお父さんと同じでいいわ」と言っていた母も、同じく海洋葬となった。
母も湘南で海洋葬を数多く手がけている葬儀屋さんによって、相模灘沖で散骨されたのである。
父が死んで14年。相模灘で海洋葬(散骨)にしたことを、私は今になってとても良かったなあと思っている。「命日だから墓参り」なんて特別なことは何もしない。でも、毎日のように私は自分が住む住宅街から相模灘を見下ろしているわけで、常に父のことを「ぼやぁ~ん」と感じとり、思い出すことが出来るのだ。
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だから母についても、私は墓参りなんて改まったことはしないのだけれど、今後きっと毎日母を「ぼやぁ~ん」と感じとったり、思い出したりするのだろうねえ。
一人息子の私がやることはそれだけでは終わらない。
母が死んだ瞬間に真っ先に私が考えたのは、年金の過払いを避けたいということだった。年金の過払いとは、人が死んだのに遺族がその事実を年金事務所や企業年金基金等に連絡するのを忘れ、年金給付がその人の死後もその人の口座に入金されることである。これは公的年金、企業年金、その他の私的年金でも起こりうる。それをまた返金するのはかなり面倒だし、関係各位に面倒をかける。実際企業年金の世界ではこれが頻繁に起こるため、その担当者はキレそうになっているのを私はよく知っているので、これだけは避けたいと思ったのだ。
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さっそく私は日本年金機構に連絡を取り、その後は藤沢の年金事務所と連絡を取り合って、母の公的年金の給付を素早く止めることが出来た。しかしそのために提出するものがいろいろとあって、多少の手間が必要だった。
次は後期高齢者の医療保険だ。これも止めないといけない。
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母は兵庫県の病院で死んだが、住民票は鎌倉市にあった。だからこれに関して連絡する相手は、鎌倉市である。
また葬儀に係る様々な費用の内、多くの自治体が50,000円を上限とする補助を遺族にくれる。それを受け取るには先の兵庫県の葬儀屋さんや神奈川県で海洋葬を請け負って下さった葬儀屋さんの領収書が必要だ。
介護保険も同様。こちらも鎌倉市に連絡して手続きをとる。
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ここまでは大変と言えば大変だが、そのあとのことと比べたらまだましだった。
母は生命保険会社との契約はなかったはずで、それについては問題がなかった。
大変だったのは母の銀行口座を閉じることだった。
年金暮らしの母は、銀行口座にたいしたおカネを持っていなかった。しかしそんな母の口座でも、私がそれを閉じる手続きをするのに、ものすごい時間がかかった。母の誕生から死亡までの戸籍謄本が必要だし、その手続きをする私が正しい相続人であることや、唯一の相続人であることを証明する書面を提出する必要があった。提出する書面はかなりの量になった。まずは銀行の相続を取り扱う部署に電話し、説明し、書類を郵送してもらい、それを読んで書きこんで、さらに必要書類をあちこちから取り寄せて、提出する必要があった。
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多くの書類を提出しても銀行からそれについて電話がかかって来て、いろいろと説明する必要があった。
これにはかなりの時間とエネルギーを消耗した。おカネもかかった。
しかも同じ業種のはずのゆうちょ銀行とメガバンクでは、手続きの詳細が違った。提出書類までもが一部異なるのには驚いた。
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ゆうちょ銀行のウェブサイトで最初の申込をして取り寄せた書類は数多い。それらをまずは記入して、その後必要な書類を役所から取り寄せ、すべて揃ったら七里ガ浜郵便局に提出だ。しかし一部書き直しや新たな書面の提出を求められて私はそれを準備し、それらを再び七里ガ浜郵便局へ提出した。すると母がゆうちょ銀行に持っていたわずかな残高の証書が自宅に送られてきた。私はそれを再び七里ガ浜郵便局に持って行った。
とにかく時間と労力を使ったのである。そしてそれも終了した。
あぁ~長くかかったな。でもこういうことに忙殺されていると、悲しさも紛れるものなのだ。世の中うまく出来ている。
墓なし、葬式なし、戒名もなしです。
私も葬式に出るのは、正直なところ、あまり
好きではありません。時々思い出して、ひそかに
故人を偲ぶのがいいです。
ありがとうございます。私も父の考え方に同意で、
母もそれでいいというので、そのようにしました。
私も遺言状もそうしてあります。
故人を思う人はいつでも故人を思うのでしょうし
社会の慣例に従い葬式にやって来ただけの
人々の多くは、その後故人をあまり思い出すこと
もないでしょうしねえ。私も葬式にはたくさん
出ましたが、実際、肉親のこと以外あまり
故人を思い出すこともありません。
実際のところ、そうです。
母たちの世代は、墓参りと法事で、かなり労力を使いました。
仕事を休み、乳飲み子を連れ、家計を遣り繰りしながら
舅や姑、兄嫁への土産まで用意して。
「あなたたちの世代は、あんなことをしないで」と言われています。
死んだ自分のために、生きている人が集まったり、
貴重な時間を費やしたりって、私は無駄なことだと
思います。生きている人は、もっと時間や金を生産
的なことに使った方がいい。
だから葬式も要らないし、墓も要らないし、戒名
も要らない。そんなお金と時間はだれかが
もっと楽しいことに使ったらいいのだと思い
ます。ということで、私もまったく同意です。
コロナがおさまったら、また関西方面へお越しになるだろうと・・・
ご愁傷様でした
そして後始末がどれだけ大変だったかもよくわかります
兵庫に来られて大阪の街を散策された時にコメントをした記憶があります
私の父も母も散骨をしました
でも海洋葬ではなく粉状にして両親の好きだった山々や、記念植樹をした場所などにまきました
お葬式はどちらも無宗教でやりました
一人の人が亡くなると後の手続きがとても大変だと言うことはしみじみと感じました
おちゃんさんの考え方に85%は同意できるのですが、お葬式って、残された側の気持ちの問題もあるんですよね
私もお墓もお骨も何も手元になくても両親のことを思い出さない日はありません
でもやはり世間体や、きもちとして形を残したいという考え方の人もたくさんいます
私は今後ことあるごとに息子たちにどうして欲しいか、希望を伝えて、彼らも納得のいく閉じ方をしてくれたらいいと思っています
窓を開ければ潮の香りで。外に出れば海を見て。
お父様、お母様を感じることが出来て羨ましいです。
ウチは神道なので死後観として その人はお墓に居ません。魂(霊)は神様になって色んな処にいます。
3月に父が亡くなって釣りが好きだったので海洋葬考えたのですが、母のお参りしたい 希望で樹木葬にしました。これから50年お参り出来ます。
年金の手続きは終わりました。
後は厄介な銀行手続きなのですが…大変そうです~
今後についてとても参考になる内容でした。
うちは入るお墓もないですし、母親も以前から同じようなことを言ってるので、いつかはこういう感じになるのかなぁと思いました。
そういうわけか、僕自身についても昔から考えることがあります。
最近ではデジタル遺産みたいなものが多いので、今のうちから整理しておきたいし、亡くなった後にまわりが困らないように情報をどうしておくかなとか・・・
口座も亡くなった後はロックを解除するのも大変ですし、増えすぎた使わない口座とか金融関係まわりとか、整理しはじめました。
シンプルにコンパクトにしておきたいです。
ドガティくん きみ 何を想う....♨️^^
お母様とのお別れがあったのですね......
おちゃさんの心にも
楽しかった嬉しかった記憶だけが残りますように
手続きに追われた日々がよみがえりました
月日は流れ流れてゆくのです
どう生きるのか 生き切るのか
今日を精一杯!な私です