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諏訪大社が出たのでついでに、御柱祭を。直近は2004年にあった。次は2010年である。来年の今頃は、次の御柱祭りに向けて諏訪地方は盛り上がっていることだろう。岡谷、下諏訪、諏訪、茅野、原、富士見の6市町村からなる諏訪地方は広大だ。また一口に諏訪大社と言っても上社と下社があり、上社には前宮、本宮、下社には春宮、秋宮がある。全部で4つ神社があるわけだ。
上社が荒っぽい感じがするのに対比して、下社は中山道や昔の温泉街も近く優美な感じがする。勝手に私が半住民だと思っている原村は、先の6市町村でも南に位置し、上社の地域に属する。したがって私も上社によくお参りする。下社にはほとんど行かない。
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上の画像にあるのが上社本宮一の柱。2004年に八ヶ岳西麓で慎重に選定されて切り出され、原村の農場の横に設置。そこから祭りをスタートして皆でひきずり、穴山の大曲りも通り抜け、JR中央本線横の坂を落とし、宮川の冷たい水をものともせず、人力だけで持って来たものだ。なんとも原始的なイメージを保持する祭で、私は大好きである。真澄やダイヤ菊のパック酒を懐に入れて飲みながら歩き、グデングデンに酔っている人も多い。柱の坂落としでは怪我人も出る。不安定な丸太に大人が何十人も乗って、坂を滑り降りるのだからかなり危険である。
上社だけでも前宮に4本、本宮に4本の合計8本の柱を立てる。それを原村の農場から延々ひいて来るのだから大変だ。2004年の祭では、「今、何本目の柱がどのあたりを移動中」ということが、時々刻々更新され携帯サイトに掲載された。
下の画像は2004年に私が購入した諏訪地方統一法被である。本来法被は集落、地域ごとに異なるデザインがあるが、私はそれは持っていない。2010年の御柱祭もこの「統一」法被を着て、見に行ってみよう。
御柱祭の歴史を書いた本は多数ある。ウェブサイトもあるし、関心ある人は是非読んでみて下さい。
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