七里ガ浜自治会会員の総意で定められた住民協定。そこで禁止されている「区画の分割」を、法的罰則がないからといって行ってしまった場合には、景観の悪化が避けられない。
件の区画はこの住宅街の中では比較的大きな区画だ。しかしこの区画が公道に面しているのは上の画像にある南道路だけである。したがってこの敷地を分割するには、普通はこの南道路に面して左右に(東西に)2分割するしかない。2分割が実行された場合に小さくなった2区画の敷地それぞれは、道路に面した敷地の間口から推定するに、道路に面して駐車場と通路(あるいは門)をつくればおおよそ目一杯なはずである。
すでにこの公道に面して存在したフェンス、生垣、立派な植栽の東半分はすでに除去されつつあるが、区画の分割が現実のものとなった場合、その下の大谷石の石垣も無残に除去されることとなろう。そして段差はなくなり、敷地は道路からフラットにコンクリートで固められ、クルマの前端が並んで見えるだけのスーパーの大型駐車場のような光景が出現する。残念ながらそれはすでにこの住宅地のあちこちで見られる光景である。
以上の内容の詳細については、私の以前の投稿
「西武七里ガ浜住宅地の住民協定(3)」をご覧ください。
業者はすべて結果がわかっていてそれをやる。最も問題が大きい。しかしその相手である住民にもその責任がないわけではない。「住民協定地域」との看板が立った住宅街の周囲や、業者の言動を注意深く観察すれば、誰だってそうした問題の存在に気付くはずであるからだ。
ゴミ出しのルールを守らないこと、路上駐車、猫の放し飼い、犬の糞の放置。この住宅街の問題は多種多様である。住民協定を守りそうもない業者と取引して土地を売ってしまう無責任な住民ですら、こうしたゴミ出し等の問題を日々の不満としてとらえていることであろう。実際、皆が自治会でこれらを問題として挙げている。
しかし住民協定破りに比べればその他の問題など大したものではないとも言える。住民協定に定められた禁止事項のうち特に「区画分割」は、一旦起こってしまうとほとんど永遠に元には戻せない問題だが、ゴミ出しルールなど誰かが破ったところで近隣にとっては一時的な被害に留まる軽微なものだからだ。
どういう住宅や街並みがベストかということに関しては意見や趣味の違いが甚だしくて、今や合意を形成することは不可能であると思う。だからそれは置いておこう。しかし「区画の分割を不可とする」等の住民協定という最低限のルールは、住民皆が遵守したいものだ。
当該区画の周囲はご覧のとおりだ。緑溢れる街並みである。大多数の住民が経済的に不利を承知でそれを守り環境を維持している住宅街の中で、一部だけがその環境的恩恵を周囲から受けながら、自分はそのルールを守らずに楽するというのは、経済学が言う「ただ乗り」と同様である。他人に経済的あるいはその他の負担を押し付け、自分はその便益を被ることを指す。誰もがある区画を選ぶ際には、その区画自体の良しあしもあるが、その区画と周囲とのかかわり合いを判断して選んでいる。周囲のあらゆる条件や環境を加味して、区画を選んでいるわけだ。そうであれば逆に特定の区画も周囲に大いに影響を与えることは明白である。その区画だけが勝手なことは出来ないのである。
協定破りの土地売買取引は前回の(1)で述べたコンプライアンス的観点に限らず、極めて重要なポイントを含むのである。様々な観点から見て不公平なのだ。
また住宅街の中の区画が分割されれば、住宅街から順番に緑地面積が減って行く。敷地が2分割、3分割されると、1区画の面積はそれだけ小さくなるが、そこに建つ家はさほど小さくなるわけではないし、駐車場や門扉やアプローチ等の占有面積はほとんど変わらないからだ。仮にこの住宅街のすべての区画が30坪になったとする。もはや緑地はほとんど望めないだろう。
さらに40年以上前の古臭いデザインとは言え、この住宅地は宅地開発設計者が丹念に全体を設計している。すべてはトータルなデザインである。住宅地全体を歩けば、各区画の敷地の大きさや形や道路とのつながりなどが微妙に変えられてあり、そこには一定のリズムがあって、そのように造成した理由がそれなりに存在したことが推測出来る。そんな中である特定の敷地だけを間口の小さい区画に分割することは、そのリズムを無視して特定の区画についてだけ変えてしまうことを意味する。
業者たるもの、この住宅街の不動産売買から利を得るなら、少なくともこの住宅街のルールを守ってはどうだろうか。周囲がどう思おうがルール無視で自分だけは利を得れば良いというものではあるまい。「住民協定なんて罰則はない」と買い手を安心させそこを買わせてしまう。自分の仕事に誇りはないのだろうか。自分の子供に、そういう倫理観を教えるのだろうか。
我々住民もルールを守り、そして協定破りの不公平な不動産取引をそそのかすいい加減な業者との取引を避けるよう心掛けたいものだ。