鳥瞰図で楽しむ日本百名山 | |
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成美堂出版 |
「丹沢という名前が世間一般に強く印象されたのは、関東大震災だろう。その震源地として急に有名になった。しかし登山者が大勢押しかけるよういなったのは、それよりずっと後で、おそらく山麓を小田急電車が走るようになり、距離の近い横浜山岳会が塔ヶ岳の上に山小屋を建てた頃からだろう。」~深田久弥日本百名山、71丹沢山より
という訳で、関東大震災の震源だったそうだ。数千万年前は丹沢は太平洋中の島で、プレートの動きで、ゆっくり日本列島に近づき、衝突して山脈ができた、これが丹沢。伊豆半島も同じだ。ちょうどインドがユーラシア大陸に衝突し、ヒマラヤができたのと同じだ。
さらに横浜山岳会が、戦前に建てた山小屋、今でも尊仏山荘の隣に現存している。山小屋の主人によると、満員の時には使うこともあるそうだ。隙間だらけだが、この小屋がいいという登山者もいるそうだ。私は始め、この建物、トイレかと思っていたが、失礼。
今の建物は三代目。昭和の終わり頃に竣工した。俊工時の写真が小屋にあった。竣工時は二階にベランダがあり、木製の枠があったが、これが風で吹き飛ばされたそうで、今はもうない。管理人さんによると、この山は冬の季節風ではなくて、春一番の方が強い南風が吹くそうだ。そうか、太平洋側の山なんだ。風と言うと冬の北アルプスを思い出すが、ところ変われば風も変わるようだ。
丹沢は、一つの山ではない。日本百名山の著作者深田久弥氏は、私が登った塔ノ岳、最高峰蛭ヶ岳、その名の通り丹沢山、丹沢第二の高峰「檜洞丸」(山の名前にしては変わっていて、「ひのきほらまる」と読む)、などの山群全体の立派さを評価して百名山としている。そうか、これで、百名山の一つに登ったと言えるかもしれないな。
(最初に建てた山小屋)
(早朝の塔ノ岳山頂)
(塔ノ岳山頂から富士山)
(塔ノ岳山頂から丹沢最高峰蛭ヶ岳)