思うことを。批判でもなんでもなく「現実」について。
先日、田島記念が開催されました。山口県で行われる一番大規模な大会です。2011年に国体があってそれ以後全日本実業団、日本選手権が実施。1年に1度は田島記念があって昨年度からグランプリになったので出場選手が大幅に増えました。
栃木国体で様々な問題点が浮上しました。色々なミスがあって救済措置や審議になる場面が多く見受けられました。これに関しては「他人事」ではないと思っています。山口県も同様。地方都市に関しては「審判の高齢化」という避けて通れない問題点があります。
他の競技とは全く違う部分。これは「種目が多岐にわたる」というところです。体育館の中で行うバレーやバスケであれば主審がいて副審がいてという感じでできます。それほど大人数ではなくてもできる。が、陸上競技に関してはかなりの人数が必要です。レースだけを見ても「スターター」「出発」「観察」が必要でそれに「写真判定」で記録を計る必要がある。ハードル種目になると「ハードル設置」が必要になって、正しい場所に置かれているかどうかを確認する。これだけで多くの人数が必要です。
「マーシャル」という係もあって「競技がスムーズに進める」という人もいます。今回の大会ではこの「マーシャル」が10人くらいいたような。本当にそれほどいるのかどうかは不明ですが。誰も声を出していない状況であっても「スタート前は静かにしてください」という看板をもって立つ。補助員が看板をもってその隣に「マーシャル」が立っている。この仕事だけでも2人は必要ないのではないかなという感じもあります。
世の中では「前例主義」がはびこっています。これまでやってきたことを「そのまま継続する」という部分です。面白いのが山口県では「練習場係」が存在します。どこにでもあるのかもしれませんが。これは山口国体の時に補助競技場の道具の準備などをするので5人くらいが配置されていました。それ以後、「県選手権」や「記録会」などでも補助競技場が使われるときには必ず「練習場係」がいます。複数人。300mHがあるときにはスタートラインやハードルの設置場所が分からないので私がやりました。
先日の大会で「ハードル種目」の実施時に若干もめました。レース前に1本練習できます。その時に4台目、5台目を倒します。が、レースが始まる前にそのハードルを誰も立てません。レースが始まらないので慌てて周りにいる人に声をかけて立てました。選手はかなり待たされていました。「なぜレースが始まらないのか」という雰囲気もありました。次のレースも同様だったので慌ててハードルを立てる。
その際、観察の審判から「これは観察の仕事ではない」と言われました。え??という感じです。それを言うなら「倒れているハードルを立てるのは出発係の仕事ではありません」という部分があります。高体連の大会では「用器具」係がハードルを運んでそれをレース前に立ててくれます。出発が合図をしたら補助員を使ってハードルを立てる。
用器具係に「観察がハードルを立ててほしいと言っています」と伝えると「それは観察の仕事だ」と(笑)。これまでどうやって試合をやってきたのか疑問を感じるくらいの話でした。面倒な感じがしたので「動いてくれそうな人」にお願いしてやってもらいました。これはどうなんだろうか。
実際、ある選手が「レース前は1台目しか飛ばないので2台目、3台目も倒してほしい」という申し出がありました。それを観察の審判に伝え「倒しておいてほしい」とお願いしたのですがその状況を見て「用器具」の審判が「ハードルが倒れている」と言い出して立てようとする。「選手からの要望で倒しています」と伝えると、今度は「観察係」がハードルを立てようとする。だから(笑)。
選手が走る直前にそのような行為があったので「危ない」と伝えて止める。そうすると今度は「用器具係」が近寄ってきて「観察の仕事なのになんで外部が言って止めさせるのか」と(笑)。いやいや、現状を把握してもらいたい。レースが始まる。選手からの要望があって倒している。それを走ろうとしている選手がいるのにレーン上に出てくるというのは危険すぎます。それを客観的に見て止めるのは当然のことだと思います。
トップ選手があまりにも待たされるので「苦笑い」をしていました。当然だと思います。選手のために競技会をやっています。そこがメインでなければいけません。その視点が著しくない。これは難しい部分だと思います。陸上競技の審判は多岐にわたります。多くの人数が必要になるからです。この調整というのは本当に難しいんだろうなと。
実際、国体が実施されてから11年が経過しています。それ以後、「他県の大会と比べる」というのがほとんどの審判ができません。高体連の先生方であれば「他県の試合」を見る機会があります。選手も県外の試合に出場するので「審判の様子」や「運営の様子」を目の当たりにします。その時に「自分たちとの違い」について把握します。自分がやっていることと他県がやっていることの比較をすることができる。そこで「問題点」を発見してそれを修正していくことで様々なことが変わってきます。
が、「審判だけ」の場合はそれができません。「山口国体の時にやったこと」がすべての判断基準です。それ以外に「基準」がないので何も変わりません。「スタート前は静かにしてください」と書かれている看板を上げるのも「当時やっていたから」というだけではないか。「必要だからやる」というのではなく「やってきたから」というのが大きい。これって・・・。
スタート前に「身体を動かしたい」という選手もたくさんいました。が、「マーシャル」が「動かないで」と言いに来ます。「オンユアマーク」がかかってから動くのではない。その前に「少し走る」という部分があってもいいのではないか。「競技会」をする上で「選手主体」になるのが理想。「良い競技会だ」と思ってもらえれば選手は次も参加してくれます。が、「制約」が多くなりすぎると「行きたくない」と思うはずです。この部分も「なんのためにやるか」を優先的に考えると見えてくるのかなと思っています。
やはり、何かをやるときには「比較」は必要だと思います。「自分たちの殻の中」に居続けると「変化」は生まれません。それにより問題点も多く生まれてきます。外部からの「刺激」を受けなければ反省も改善も生まれないと思います。「誰の仕事か」と押し付けあうままでは「良い競技会」は生まれないのではないか。
閉鎖的な県だと思います。他県はもっとアクティブに動きます。他者の話を聞きながら「より良いもの」を作るスタンスの人が多い県もあります。年齢的なものなのか。考え方の部分なのか。ここに関しては良く分かりません。しかし、「なんのためにやるのか」というのが重要だと思います。とはいえ、この高齢化の中で手伝ってもらえる人が居ない限りは「競技会」自体が運営できなくなります。高校生や大学生などの「学生審判」が必要になるとは思います。
本当にこのままで世の中は上手くいくのか。不安になります。自分の立ち位置も含めて考えていけたらいいなと思います。参加してくれた選手の方々にどう思われたか。気になる部分ではあります。
あくまで「批判」ではありません。現状分析です。ここに関してはやはり考えていく必要はあると思います。