kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

誰のためにやるのか

2021-02-07 | 陸上競技

木曜日。この日は一切練習に関わらず。本当に「意味があるのか」を考えていました。自分自身の中で消化しきれない部分があります。感情的になる気はありません。前時代的な指導をするつもりもない。

 

人にはそれぞれ「言い分」がある。それは「自分の立場から見た正しさ」でしかないことがある。都合の良いように考えるとすべては「正しい」ことになる。が、それが客観的に見れるかどうかは重要。

 

私は「感謝」されるために部活動をやるつもりはない。恩着せがましくやることに意味はない。が、「やってもらって当たり前」という感覚は全く持って違うと思う。こういう感覚の中で生活をすると「やってもらえない」ことに対しての不満が出る。「自分自身がどうするか」という感覚の中で生活ができるか。

 

良くある話。何かを指摘すると「~君もやっていない」という返答。自分自身の問題と向き合わずに「他の原因を挙げる」ことになる。反省したり改善するのは自分自身だが「問題点」に目を向けず「正当化」することがある。これではほとんど成長はない。結局、自分の非を認めて次に何をするべきかを考えないから。

 

最近特に思う。「やりたくないならやらなければいい」ということ。部活動やスポーツは他の誰かから強制されてやるものではない。やりたくなければやらなければいいだけの話。集団に所属するのであれば「一定のルール」が存在する。そこを度外視して「権利」だけを主張するのは違う。それぞれの集団において約束事があると思う。その「約束事」を守れないのであればななかなか集団活動はできない。

 

「個性を尊重する」という話。集団の中で「個性」を大事にする。当然必要なこと。が、その「個性」を尊重することによって他の「個性」が発揮できなくなることがある。「きちんとやりたい」という想いを持っている人間がいる。が、「適当にやりたい」と思う人間もいる。その「適当にやりたい」という意見を尊重することによって「きちんとやりたい」という個性は埋もれてしまう。何を優先するのかは大切なことだと思う。

 

教育として。「きちんとやっている人間を正当に評価する」必要がある。ここに対しては考え方は変わらない。これに対して否定的な意見もあるだろう。それぞれの立場からそれぞれのことを言う。これも当たり前なのかもしれない。

 

強くなる選手と強くなれない選手。大きな差がある。ここをどう感じ取るか。一生懸命にやったら確実に強くなるというわけではない。努力の方向が違えば結果にはつながらない。「考え方」というのは様々な場面ででてくる。グランドの上だけきちんとやればいいというものではない。時間を守ることであったり、指導を受けて不貞腐れたりしないというのは必要条件だと思う。それができなければ結局、学ぶものはない。

 

思うことはある。全ては書かない。が、本当の意味で「活動する」とか「成長する」というのはどういうことなのか。支えあう中でしかできないことがある。「自分のことだけを考える」ような生活をしていたら世の中はどうなってしまうのか。考えさせられる。


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