kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

何を目指すのか

2021-02-07 | 陸上競技

思うことを。

 

こうやってblogを書いている。ここに関しては様々な考え方があると思う。まーそれはそれでいいんだと思う。別に何かを強制されるわけでもない。ノイジーマイノリティ。サイレントマジョリティ。それぞれが存在する。「自粛警察」のように「自分が正義」だと信じ切っている場合、周りが何を言っても意味がなくなる。元々聞く気がないのだから。「正しい」と盲信しているのだからそこに届くことは少ない。仕方ない。

 

色々な場面で「部活動」に対しての批判がある。こうなれば社会体育として存在するほうがいいだろうと思う。批判の中には「教員が授業だけに集中できるように」という意見もある。うがった捉え方をすれば「勉強さえ教えておけばそれでいい」という感じになるのだろうか。

 

そうなると「塾」と大差ない。別に勉強さえすればそれでいいじゃないか。自分がやりたいようにやればそれでいいじゃないか。それも一理あるのだと思う。別にそれはそれでいいと思うが。部活動自体が「悪」だという表現も見る。本当にそうなのか。分からない。

 

私自身は別に「部活動」にとらわれる必要はないと思っている。「部活に入っていると進路に有利」というのも以前はあったのかもしれないが、実際はどうなんだろうか。結局は「何を学んだか」ではないか。

 

「勉強」をしっかりやる。暗記型の授業展開からの脱却は必要になると思う。今の時代、本当に調べたかったらスマホで調べたほうが圧倒的に早い。モノを覚えるということに対してのハードルは著しく低くなっていると思う。コミュニケーション能力云々という話も出るがそれは「座学」だけでは身に付かない。「思考判断」という要素を数値で測るのは難しいのではないか。「文章を読み解く」ことと「実践的に活動できる」ことは全く別物だと思う。

 

商業の授業で「電子商取引」という科目がある。これを導入しようとしたときにはまだインフラ整備も不十分だった。それが「最先端」という感じで導入を考えたのかもしれない。が、実際教科書ができて授業をするという段階になると「遅れている」という感じになる。こういう部分は日進月歩。文字にして示している間にそれは「遅れ」になる。そこを考えると本当に何を教えるのか、伝えるのかは考えるべきだと思う。

 

「教科教育」みたいなことがあれこれ言われる。その教科を使って何を考えるか。そちらのほうが大切だと思う。コロナの影響で「学校行事」が極端に減っている。それでも時間は過ぎていく。問題はないのかもしれない。が、「実際に活動する」ことでしか分からないこともある。リーダーとなって計画を立てていくことや周囲とコミュニケーションを取りながら物事を組み立てていく。先を見越した行動や他者への配慮。こういう部分は「座学」だけでは身に付かない。

 

あらかじめこちらが準備をしておいてそれに乗っかるだけで「学校行事」をするのは好きではない。「生徒がやっている」という感じに見えるが台本と流れをこちら側が準備しているので生徒は考えて何かをすることが極端に減る。それなら失敗してもいいかきちんとやってみるほうがいい。去年よりも今年、今年よりも来年のほうが良くなる。それが理想だが実際は生徒は入れ替わるのでそう上手くはいかない。それを経験することも「勉強」なのだと思う。

 

部活動批判は出る。それはそれで仕方ないと思う。が、「競技だけ」を求めるつもりはない。それ以外にもっともっと大切なことがある。それが分かるようになるかどうか。与えられることは「当たり前」ではない。全てが自分の思い通りになることもない。「努力」をすれば必ず結果が出るという理想論は世の中にあるが、実際は違う。その部分も経験する必要がある。

 

教科の勉強をする。これも学校の持つ意義の1つだと思う。しかし、それだけがメインになることが本当に正しいのか。そこで一番力を発揮する人もいるだろう。が、その人も塾の先生のように「受験対策」に特化しているかどうか。それぞれに「求められること」と「必要なこと」がある。「PCを使っての最新の授業」は持てはやされる。もちろん、時代に応じて必要になるだろう。が、それが「主」ではない部分もある。実際に手を動かしたり苦労しながらやっていかないとできないこともある。

 

世の中は「バランス」だと思う。人はどちらか一方に振れやすい。片方が正しくて片方が間違っているという考えかたになりやすい。実際は「どちらも利点がある」と思う。それを度外視し続けていたら結局、どちらかが疎かになる。「善」と「悪」はそれぞれの「見方」次第。ある人にとっては「正しい」ことがある人にとっては「間違っている」ととらえられる。だから振れ幅が大きくなる。

 

部活動。本当に不要なのか。ここは考えていきたい。人それぞれ考え方はある。良い面も悪い面もある。それだけは忘れたくない。


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