碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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『おくりびと』は、お見事のオンパレード

2009年03月07日 | 映画・ビデオ・映像
ずっと気になっていた映画『おくりびと』を、ようやく観ることができた。

アカデミー賞といわれたら構えてしまうが、観始めたら、そんなことはどこかに消えて、ひたすら作品に没入した。

よかったです。

「死とか生とかがテーマ」みたいな気張った感じも、押し付けがましさもない。あるのは静かな美しさ。そして上質なユーモアでありました。

この映画は、結局、本木雅弘さんに尽きると思う。それくらい本木さんが素晴らしい。

納棺師という仕事に感動したのであろう本木さんの、そのキモチがきっちり伝わってくる。映画を観ていると、いつか自分も、本木さん演じる納棺師に、いや、本木さんに納棺して欲しいとさえ思ってしまう。

私が幼かった昭和30年代、祖父が亡くなった時など、映画の中で納棺師がやっていたようなことは、確か家族(遺族)がやっていたはずだ。

人生の最期。”その人らしい旅立ち”を整える納棺師・・・。

プロフェッショナルは凛としている。背筋が伸びている。そして、プロフェッショナルの動きは美しい。本木さんの動きも美しい。

映画の中で、本木さんの師匠である山崎努さんが、仕事の“現場”に向かう途中、クルマで本木さんをピックアップするシーンがある。

運転を本木さんに代わってもらうため、山崎さんは一旦クルマを降りて助手席に向かう。その際、本当にさりげなく、自分の指輪と腕時計をはずすのだ。“ご遺体”に触れるとき、傷つけてはいけないからだ。プロらしい所作だが、もちろん、そんな説明はない。

共演の、山崎努さん、余貴美子さん、吉行和子さん、いずれも見事。特に山崎さんは、伊丹十三監督の傑作『お葬式』を思いださせてくれた。

小山薫堂さんの脚本にも大拍手。映画が始まって直後の、最初の“ご遺体”をめぐるユーモアは、テレビでいう“つかみ”だ。

あそこで、「お葬式の映画らしいよ」と少し重たいイメージを抱えて映画館にやってきている観客の気持ちを、いきなりほぐすあたり、見事です。

それに、映画の中では、納棺師の仕事に対する世間の目や見方や、その苦さも、ちゃんと描いていて、感心した。

滝田監督は、シナリオと役者を信頼して、堂々の正攻法、真っ向勝負で演出していた。これまた、見事。

久石譲さんの音楽も、ドンピシャだしね。中でも、「アベマリア」から「おくりびと」のテーマへと流れていくところなど、ため息が出るほどだった。

というわけで、この作品、お見事のオンパレードなのだが、ただ、一つだけ、たった一つだけ、残念だったことがある。

それは本木さんの妻を演じたのが末広涼子さんだったことだ。

そりゃ、末広さんなりの目いっぱいの演技ではあった。しかし、あの役を支えるには、ちょっと無理があった。

物語の進展につれて、妻として、夫に対する思いが、じわりと変化していく。それを表現するのに、末広さんにとってはいつも通りの、あの口元の筋肉だけを操作する芝居では、辛いのだ。

誰か、他に、30代の演技派女優はいなかったんだろうか。惜しいなあ。

でも、そのことを差し引いても、この作品、やはり素晴らしい。

アカデミー賞をとって、よかった。でなければ、せっかくの名作も、埋もれていたかもしれない。

自分も含め、人は、いつか最期を迎える。その最期を“疑似体験”できた。その最期から自分の今を眺める。そんな視点を、あらためて思わせてくれた。

映画館の中には、多くの高年齢のお客さんがいた。ふだん、この年代の人たちが観る映画が少ないことに気付く。その意味でも、作品を周知させてくれたアカデミー賞受賞は、本当によかったのだ。

映画の中で、本木さんの父親役だった峰岸徹さんは、すでに旅立ってしまった。合掌させていただきます。

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