今年1月に発覚したテレビ愛知「やらせ問題」で、新たな展開があった。
昨日になって、「制作責任者である同社の担当プロデューサーが放送前にやらせの事実を認識していたこと」が明らかになったのだ。
トホホである。
しかも、「やらせ」を実行した制作会社が、収録後、局のプロデューサーに説明したが、この局Pは、映像を確認した上で「大した問題でないと思った」そうだ。
トホホの2乗。
さらに、「やらせ」発覚後、このプロデューサーは調査委員会に対して「常務に報告した」と語り、その常務は「記憶がない」と突っぱねる。
食い違いどころか、これでは、社内のどこかで“事実の隠蔽”が行われていたと思われても仕方がない。
いやはや、なんとも。
1月31日のこのブログで、私は次のように書いた。
http://blog.goo.ne.jp/kapalua227/e/57e079bbffdcec2a71cdbe3b1ec89cae
最初、テレビ愛知は自社サイトで「収録当日、予定時間内にインタビュー相手を確保できなかったため、制作会社が本人たちの了解を得て、出演させた」と説明。いかにも制作会社の責任、というニュアンスだった。
ところが、すぐに前言を翻す。「収録現場に、社員もいた」と言い出したのだ。目の前で行われている初歩的(低レベル)な<やらせ>を、いわば黙認していたわけだ。
<やらせ>にもレベルはあるのだ。制作会社の人間も、局の人間も、揃いもそろって・・・。
凋落、陥落の烙印を押され始めたテレビ界だが、それを後押しするような出来事だといえる。
「没落しつつあるから、その程度の人材」なのか、「その程度の人材だから、没落していく」のか。うーん、本当に情けない。
テレビ愛知の「やらせ」。日本テレビの「虚偽証言報道」。
地滑り的な崩れ方というか、底が抜け始めたというか、テレビ界自身が自らの基盤を壊そうとしているかのようだ。これを“自壊”という。
昨日になって、「制作責任者である同社の担当プロデューサーが放送前にやらせの事実を認識していたこと」が明らかになったのだ。
トホホである。
しかも、「やらせ」を実行した制作会社が、収録後、局のプロデューサーに説明したが、この局Pは、映像を確認した上で「大した問題でないと思った」そうだ。
トホホの2乗。
さらに、「やらせ」発覚後、このプロデューサーは調査委員会に対して「常務に報告した」と語り、その常務は「記憶がない」と突っぱねる。
食い違いどころか、これでは、社内のどこかで“事実の隠蔽”が行われていたと思われても仕方がない。
いやはや、なんとも。
1月31日のこのブログで、私は次のように書いた。
http://blog.goo.ne.jp/kapalua227/e/57e079bbffdcec2a71cdbe3b1ec89cae
最初、テレビ愛知は自社サイトで「収録当日、予定時間内にインタビュー相手を確保できなかったため、制作会社が本人たちの了解を得て、出演させた」と説明。いかにも制作会社の責任、というニュアンスだった。
ところが、すぐに前言を翻す。「収録現場に、社員もいた」と言い出したのだ。目の前で行われている初歩的(低レベル)な<やらせ>を、いわば黙認していたわけだ。
<やらせ>にもレベルはあるのだ。制作会社の人間も、局の人間も、揃いもそろって・・・。
凋落、陥落の烙印を押され始めたテレビ界だが、それを後押しするような出来事だといえる。
「没落しつつあるから、その程度の人材」なのか、「その程度の人材だから、没落していく」のか。うーん、本当に情けない。
テレビ愛知の「やらせ」。日本テレビの「虚偽証言報道」。
地滑り的な崩れ方というか、底が抜け始めたというか、テレビ界自身が自らの基盤を壊そうとしているかのようだ。これを“自壊”という。