碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

仙台市荒浜地区にて

2011年05月06日 | 日々雑感

仙台市の若林区荒浜に行ってきた。

きっかけは、先日札幌で、アウンビジョン代表の藤島さんから、取材で訪れた荒浜地区の話をうかがったことだ。

大震災から2ヶ月近くがたとうとしている現在、各被災地での復旧が行われているが、荒浜地区はまだ震災当時から大きく変わっていないという。

したがって、どんなことが起きたのかを知る上でも、「ぜひ今のうちに、荒浜を見ておいてください。いや見るべきです」と言われたのだ。

私自身も見たかったが、高校生の息子にも見せたいと思い、2人で仙台へと向かった。

仙台駅からはクルマだ。

海岸方向へ走る途中までは、ごく普通の街並みが続いた。

それが、あるラインから一変するのだ。

道路の両側の、本来は水田である場所に、さまざまなものが大量に散乱している。

そして、さらに進むと、明らかに住宅が立ち並んでいたはずの地域全体が、すべて薙ぎ払われていた。

それは、90年代に訪れたサラエボの、戦火によって破壊された街の風景とも異質だった。

どうすれば、こんなふうになるのか。

あたり一面、見渡す限りの範囲の、あらゆる建物を破壊し尽くす力とは、いったいどれほどのものなのか。

その光景は、やはり想像を超えていた。

これまでテレビや、写真などの映像で、知っていたような、わかっていたような気になっていたが、全然違っていた。

「何かとんでもないこと」がここで起きた、としか言いようのない有様なのだ。

家々は、土台のみ残して破壊されている。

原型をとどめているのは荒浜小学校の建物だ。

しかし、その小学校の教室には、押しつぶされた自動車がなんと3台も入り込んでいる。

体育館の床は土砂で埋まり、バスケットボールがころがっている。

さらに海岸まで歩いた。

びっしりと並んでいたという防風林が、櫛の歯が抜けるように、へし折られていた。

鉄製のフェンスも津波が来た方向にねじ曲がっている。

磯の香りがして、海が見えた。

堤防に上がると、目の前には砂浜、そして穏やかな海が広がっている。

地元の方のお話では、あの日、「黒い壁」が向かってきた、という。

それを見て、運転していた車を捨てて、逃げたそうだ。

この海が、どうやって10メートルを超す巨大な黒い壁になるのか。

背後の、すさまじい被害を見ていなければ、想像もできない。

津波は恐ろしいほどの幅に広がり、このエリア全体を、それこそ満遍なく、均等に襲っていったことがわかる。

歩いても、歩いても、あたりの光景は変わらない。

他の災害現場との比較など簡単にはできないが、この律儀なほどの均等さで、広い範囲を、一気に破壊していった、その容赦のなさが、見たことのない被害とこの光景を生んでいるのだ。

ふと、あたりがとても静かなことに気がつく。

遠くでゆっくりと動くパワーショベルカーの音は聞こえる。

時々通過するクルマの音も。

そのクルマから降りてきて、歩きだす人たちの姿はある。

でも、ほとんど無音かと思うほど、静かなのだ。

地域全体が真空地帯になったかのようだ。

そろそろ戻ろうかと思った時、かなり遠くから、再会したらしい2つの家族の歓声があがった。

偶然、ここで会えたことを喜んでいるようだ。

「おばあちゃんのウチねえ、なくなっちゃったんだよお」。

大きな声が聞こえてきた。

小さな女の子に向かって話しかけたらしい。

でも、それはとても明るい声で、まるで笑っているかのような言い方で、離れて聞いているこちらが、びっくりするほどだった。

息子が私を振り返って、「おばあちゃん、強いなあ」と言った。

この荒浜に到着して、歩きだしてから、息子はずっと無言だったから、これが初めての言葉だった。

私も、「うん、強いなあ」とこたえた。