隔週の水曜日、『東京新聞』に連載しているコラム「言いたい放談」。
今回は、被災地である仙台市荒浜地区を訪ねた際の実感を書きました。
現地に立って知ったこと
震災報道に関する取材で仙台市荒浜地区に行ってきた。道路はつながったものの、今もほとんど手つかずの被災地だ。あえて高校生の息子も同行させた。
仙台駅から乗ったタクシーの運転手さんに言われた。「親子で来てくれたんだ。嬉しいねえ」。そして、「ボランティアとかじゃなくてもいいから、みんなに見てもらいたいよ」。
海岸方面へ向かう途中まではごく普通の町並みが続く。それがあるラインから一変するのだ。
住宅が立ち並んでいたはずの地域全体が瓦礫を残して消滅していた。それは九十年代に訪れたサラエボの、内戦で傷ついた街の風景とも異質のものだった。
どうすれば、こんなふうになるのか。見渡す限りのあらゆる建物を破壊し尽くす力とは、いったいどれほどのものなのか。
律儀ともいえる均等さで、広い範囲を一気になぎ倒していった容赦のなさに、二人とも言葉が出ない。
原形をとどめているのは小学校の建物だ。しかし、その教室の中には押しつぶされた自動車が三台も入り込んでいた。
この二ヶ月間、テレビや新聞などメディアを通じて大量の映像・画像を見てきた。
恥ずかしいことに、それで被災地の様子を知っているような、わかっているような気になっていた。
けれど、現地に立ってみると全然違っていた。何もわかってなどいなかった。それを知ったことが一番の収穫だ。
(東京新聞 2011.05.18)