碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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NHK『下流の宴』黒木瞳のオーバーな演技

2011年06月07日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

『日刊ゲンダイ』に連載中の番組時評「テレビとはナンだ!」。

今週の掲載分では、NHKのドラマ「下流の宴」について書きました。

以前から不思議だったのが、NHKの黒木瞳に対する手厚い配慮、
というか異常な“ありがたがり”具合だ。

もちろん有名女優であることは認めますが、果たして知名度や起用度にみあっった実力派かといえば、かなり疑問です。

今回も、そんな黒木瞳が大張りきり。

その張りきりぶりが、逆にこのドラマの足を引っ張りはしないか。

そんなふうに思っているのです。



黒木瞳はあらゆる演技がオーバー、
これ見よがしでシラケる


テーマもストーリーもいまいちだったNHK「マドンナ・ヴェルデ~娘のために産むこと」。

同じ「ドラマ10」の枠で「下流の宴」が始まった。

主人公(黒木瞳)は医者の娘で国立大を出て、高学歴の夫(渡辺いっけい)がいて、というプチセレブ系妻。

唯一の悩みは高校を中退してフリーター稼業という息子(窪田正孝)の存在だ。

この息子が同じくフリーターの女の子(美波)と結婚すると言い出したから大騒ぎになる。

注目は「息子のため」と言いながら、実は自分の価値観と理想の家庭像を壊されることが許せない母親だ。

このあたりがテンポよく戯画的に描かれているのは、脚本の中園ミホが林真理子の原作を上手にアレンジした成果。今後の展開も気になる。

ただ、困ったのが肝心の黒木である。

「私(黒木本人)は違うけど、愚かな母親ってこうよね」という意識が前面に出て、あらゆる演技がオーバー気味。

もっと言えば、わざとらしいのだ。

ヒステリックな場面を「ほら、これがヒステリックな女よ」。

コミカルな場面を「ね、私ってコミカルな芝居もいけるでしょ」とこれ見よがしに演じられると、見る側は一気にシラケてしまう。

今回の役どころであるアラフィフ世代も、原田美枝子や田中美佐子など女優の層は厚い。

NHKが過剰に黒木瞳をありがたがる理由は何だろう。

(日刊ゲンダイ 2011.06.06)