碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

三笠の炭鉱跡→札幌→千歳→羽田

2011年06月20日 | 日々雑感

富良野から札幌へと戻る途中、三笠の炭鉱跡に立ち寄った。

その一つが「旧 住友奔別炭鉱立坑」だ。

奔別炭山は明治13年に発見、明治35年から開坑に着手された。

昭和46年に閉山するまで、約70年も石炭を掘り続けた場所だ。



往時の立坑の高さは約50メートル。東洋一を誇った。

今は完全な廃墟だ。

鳥の声だけが響いていた。

原発事故以来、エネルギー問題が云々されているが、誰もいない“産業遺跡”に立っていると、様々なことを考えさせられた。




そして、札幌から千歳へ。

空港に行く前に、「お食事処 柳ばし」で昼食。



今日は、久しぶりの「とんかつ定食」に、お母さんが庭で育てた野菜だ。

店内は満員で、いつものカウンター席には座れず、お座敷でいただいく。



ごちそうまさでした。


北海道・富良野で、脚本家の倉本聰さんと

2011年06月20日 | テレビ・ラジオ・メディア

北海道に来ています。

この時期、梅雨のない北海道の爽やかさは、とても嬉しい。




今回の目的は、富良野で脚本家の倉本聰さんとの打ち合わせだ。

演出の藤島保志ディレクター(アウンビジョン)と一緒に、現在準備中のテレビ番組に関する話し合いである。

場所は富良野演劇工場。



現在、舞台『歸國』の上演中で、演出を兼ねる倉本さんとは、終演後にお会いすることになっている。

で、まずは観劇となった。



過日、TBSのドラマ版『歸國』を見たのだが、どうにも納得いかなかった。

しかし、ドラマの原作であるこの舞台を見て、今度は大いに納得、そして満足できた。

やはり、この作品は舞台こそが本来の姿だったのだ。

現在の東京に現れた“英霊たち”の心情もストレートに伝わってきた。

恐るべし、舞台のチカラ。

そして、ようやく倉本さんとの面談となる。



1983年に、倉本さん脚本のスペシャルドラマ『波の盆』の制作に参加して以来、倉本さんは私にとって、ずっと師匠の一人だ。

有難いことに、30年近くも親しくしていただいている。

そして、『波の盆』に携わった吉川正澄プロデューサー、実相寺昭雄監督、さらに児童文学者・はまみつを先生といった“師匠たち”が皆、鬼籍に入った今、倉本先生(と私は呼んでいる)は、ますます貴重な“我が師”なのである。

打ち合わせとしては、番組内容はもちろん、撮影スケジュールまでを、短時間で確認し合うことが出来た。

ちょっとびっくりするような1本になるのでは、と自負している。

詳細は、いずれ発表しますが、「乞う、ご期待!」です(笑)。