碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

BS―TBS 「みんな子どもだった」の公開収録

2013年03月10日 | テレビ・ラジオ・メディア

江古田の日本大学芸術学部へ。

キャンパス内の立派なホールで、BS―TBS「みんな子どもだった」の公開収録が行われました。




「みんな子どもだった」は、脚本家の倉本聰さんがホストを務める
トーク番組です。

公開収録は初のことだという。

で、なぜ出かけたのかと言えば、今回のゲストが小山薫堂さんで、
この取り合わせは実に魅力的。

その薫堂さんの母校・日大芸術学部で、収録が行われたのです。

倉本さんとは30年にもわたっておつき合いさせていただいていますが、薫堂さんもずいぶん昔からの仕事仲間。

映画「おくりびと」の脚本で、一般の方たちにも知られるようになった薫堂さんですが、売れっ子構成作家だった薫堂さんに、初めて脚本の執筆をお願いしたのは、我がプロデュース作品「生まれてはみたけれど」(1993年 日本テレビ)でした。

「脚本 小山薫堂」という文字が画面に出たのは、20年前のこの
番組が第一号。

慧眼ってわけですね(笑)。




収録が始まる前に、倉本さん、薫堂さん、それぞれの控室を訪ねて、ご挨拶してきました。

倉本さんのところには、打ち合わせを兼ねていらていた、放送批評懇談会理事の嶋田親一さんの姿が。

お2人の関係は、ニッポン放送での先輩・後輩というだけではない。

フジテレビのプロデューサーだった嶋田さんは、東京から北海道へ行ったまま、脚本家をやめてしまうかもしれなかった倉本さんに、
再び書くことを要請。

それが伝説のドラマ「6羽のかもめ」であり、脚本家・倉本聰の復活であり、後の「北の国から」へと道が続いていくことになるのです。

そんなお2人の、貴重なツーショット。




薫堂さんの控室では、番組の進行役であるTBSの長峰由紀アナウンサーにも入っていただいて記念撮影。






いつもはホストとして相手の話を引き出している倉本さんに、今回は薫堂さんがインタビュアーとして話を聞く、という面白い趣向で、大いに楽しめました。


BS―TBS 
3月17日(日)よる7時から8時54分


みんな子どもだった「倉本聰×小山薫堂 スペシャル」