碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

今週の「読んで書いた本」 2010.09.10

2010年09月10日 | 書評した本たち

渋谷ブックファーストの書評本コーナーで、「週刊新潮」の棚の本を手にとって、熱心に読んでいるお客さんを見かけました。

その後、購入されたかどうかは分かりませんが(笑)、ちょっと嬉しい光景でした。

さて、今週「読んで、(書評を)書いた」のは以下の本です。


伊集院 静
『お父やんとオジさん』(講談社)

亀山郁夫
『ドストエフスキーとの59の旅』(日本経済新聞出版社)

トウッリオ・ケジチ 押場靖志・訳
『フェリーニ 映画と人生』(白水社)

石光勝・柿尾正之
『通販』(新潮新書)
 
平林雄一 
『芸能人という生き方』(中公新書ラクレ)


書評は、発売中の『週刊新潮』9月16日号に掲載されています。


和田秀樹:著『テレビの大罪』をめぐって

2010年09月09日 | メディアでのコメント・論評

放送批評懇談会が発行する月刊誌『GALAC(ぎゃらく)』。

発売中の最新(10月)号で、ギャラクシー賞報道活動部門のページに寄稿している。

タイトルは「ジャンルに収まりきらない“報道”を評価」。

今期から道活動部門選奨員会の委員長を務めさせていただくことになり、この部門の意味合いや方針についてまとめたものだ。

前半では、和田秀樹さんの近著『テレビの大罪』を取り上げている。

今、テレビがどんなふうに見られているのかを知る、一つの例になると思ったからだ。

以下、その部分です・・・・


書店に並ぶ本のタイトルには、思わず手に取ってしまうような、人の目を引くものがあります。

テレビに関する本でいえば、和田秀樹さんの近著『テレビの大罪』(新潮新書)は、タイトルにある「大罪」にインパクトがあります。

テレビを「もっとも見る者に短絡的な思考をさせやすいメディア」だとする視点からの、精神科医らしい、厳しい指摘を興味深く読みました。

しかも、全8章のうち2つが「報道活動」に関わるものでした。

一つ目は第3章『「命を大切に」報道が医療を潰す』。和田さんの説明はこうです。

ひとたび医療過誤が起きると、テレビは一大キャンペーンをはって医者を“殺人犯”としてコテンパンにたたく。しかし、医療過誤は過失であって、意図的なものではない。

マスコミと警察が医療過誤を犯罪として徹底的に糾弾することによって、医療は委縮し、産婦人科や小児科のように訴えられるリスクの大きな科の医療崩壊を招いている。

そもそも医療とは、一定の確率で失敗が起きうるものであり、医療過誤は刑事罰の対象にならないことが世界の常識である。そういう大前提を、テレビは決して報じてくれない。

もう一つは第6章『自殺報道が自殺をつくる』です。こちらも要約してみます。

「いじめ自殺」が起きると、テレビはその話題でもちきりとなる。

そこではいじめが自殺の原因と断定されるが、いじめられた時にうつだったとか、家庭が崩壊していて相談相手がいなかったとか、いじめ以外の背景に触れることなく、何でもいじめのせいにするのは短絡的だ。

また、テレビは自殺者の遺影や葬儀の風景などをこれでもかと映し出し、悲劇性をあおる。

そんな自殺報道を見て、97%の人は「かわいそうに」で済むが、のこり3%のうつ病の人は「やっぱり俺も死のうかな」ということになってしまう。

人の生死に関わっている以上、この3%の人たちへの影響は考慮されるべきだ。基本的にマスメディアには自殺誘発効果があり、もっとも誘発されやすいのが青少年なのである。

「医療過誤」も「いじめ自殺」も、和田さんは、「だから報道すべきではない」としているわけではありません。忘れてはならないこと、注意すべき点があるというのです。

それは真摯に受け止めるべきかもしれません。ただ、少し気になるのは、複雑な要素で構成されている社会問題を、すべてテレビ報道の責任に帰するかのような論調です。

それこそ、和田さんがテレビの特徴的な手法として挙げている「二分割思考」、白か黒かの考え方に近かったりしないでしょうか。

いずれにせよ、テレビの報道活動が、和田さんのいう「1人の命を守るために大勢の命を犠牲にすることにつながって」はならないことは確かです。



・・・・続いて、「報道活動」に関して整理した後半になりますが、そちらはぜひ本誌をご覧ください。


『人間ドキュメント・夏目雅子物語』と伊集院静さんのこと

2010年09月08日 | テレビ・ラジオ・メディア

発売中の「週刊現代」(9月18日号)で、作家の伊集院静さんが夏目雅子について書いている。

「感涙スクープ8ページ あれから25年 伊集院静氏が初めて書く」とあり、タイトルは「妻・夏目雅子と暮らした日々」。

本文中で伊集院さん自身が書いているように、伊集院さんはこれまで夏目雅子に関する文章をほとんど書いてこなかった。だから「スクープ」なのだ。

雅子との出会いから結婚。雅子の闘病と死。そして残された後の自分こと等々、伊集院さんの側から初めて語る内容である。

読了して、最初に感じたのは、「ああ、夏目雅子が亡くなって、もう25年が経つんだなあ」ということだった。

同時に、17年前の、あるシーンを思い出した。

17年前、1993年の秋、私たちは日比谷の帝国ホテルのロビーで伊集院さんを待っていた。

私たちというのは、プロデューサーの私と、演出の加藤義人(現在、テレビマンユニオン社長)。

2人は、その年の12月にフジテレビで放送する予定の『人間ドキュメント・夏目雅子物語』に関して、伊集院さんの許諾を得ようとしていたのだ。

『夏目雅子物語』は、私たちにとって“同時代のヒロイン”だった夏目雅子の生涯を、ドラマとドキュメンタリーを融合させながら描こうという企画だった。

約束の時間となり、ふと周囲を見回すと、通路の奥の方から伊集院さんが歩いてくるのが見えた。

写真などで見るより背が高く、ノーネクタイのワイシャツにジャケットというラフなスタイルが、またカッコよかった。

ソファに移動した後、伊集院さんは、私たちの「今、なぜ夏目雅子をドキュメンタリードラマの形で描きたいか」という思いを、じっと聞いてくださった。

聞き終って、しばし沈黙。

もしかしたら断られるかな、と不安になった直後、伊集院さんが「わかりました。お任せします」と言った。

こちらは、内心安堵したが、伊集院さんは「ただし、条件があります」と続けた。

また、一瞬沈黙。こちらは緊張。

そして、「私のことを、カッコよく描かないでください」。

え?

「ドラマとはいえ、当時の私を颯爽とした人物にしないでください。実際にはそうじゃないし、照れくさいので」と、伊集院さんは少し笑いながら言う。

その様子が、また文句なくカッコよかった(笑)。やはり、あの夏目雅子が惚れた男だと思った。

後日、『夏目雅子物語』の制作に取り掛かったが、画面に登場する伊集院さんは、ほとんどが後ろ姿だ。台詞も最小限にした。

しかし、そんなふうに描いても、夏目雅子が命がけで惚れた伊集院静は、ドラマの中でもやはりカッコよかったのだった。



TBS『クイズ☆タレント名鑑』の正解を知りたいか!?

2010年09月07日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

『日刊ゲンダイ』で連載しているコラム「テレビとはナンだ!」。

今週の掲載分は、TBS『クイズ☆タレント名鑑』について書いた。


見出し:

なんでもクイズにすればいいってもんじゃないゾ

コラム本文:

日本人ほど“クイズ好き”な民族はいない。

基本的に真面目。旺盛な知識欲。どんな問題にも、つい答えようとしてしまう律義さ。

正解を知るとちょっと得した気分になるが、元々クイズに限らず、何かを知ることは喜びでもあるのだ。

しかし、最近は出演タレントに合わせて問題のレベルが低下している。

「ネプリーグ」(フジ)などがいい例で、普通の人なら「知っていて当たり前」なことばかりだ。

そして、ついに問題自体がほとんど意味のない、答えを考える価値もないクイズが登場した。

それがTBS「クイズ☆タレント名鑑」である。
 
「タレント名鑑」とは業界御用達の出版物。

俳優・タレントの所属事務所、生年月日、代表作の他、身長や靴のサイズなども載っている。

彼らが使う衣装や小道具の準備に必要な数字だからだ。

さて、「クイズ☆タレント名鑑」の出題である。

猫ひろしは身長160㌢を超えているか。

篠原涼子は「笑っていいとも!」にレギュラー出演していたか。

つぶやきシローの年齢は41歳から43歳の間か。

さらに、品川ヒロシの著書「ドロップ」は百万部以上売れたか。

はっきり言って、どーでもいい問題であり、視聴者が答えを知りたい内容だとも思えない。

作り手にとっては手間と予算の節約かもしれないが、何でもクイズにすればいいってもんじゃない。

(日刊ゲンダイ 2010.09.07付)

言葉の備忘録33 遠藤湖舟『ひるまの おつきさま』

2010年09月06日 | 言葉の備忘録

科学絵本「月刊かがくのとも」10月号(福音館書店)は、『ひるまの おつきさま』だ。

作者は、フォトグラファーの遠藤湖舟(えんどう・こしゅう)さん。

前著『宇宙からの贈りもの』(講談社)は、亡くなった平山郁夫さんをして、<時を超えた「美」が、ここにはあります>と言わしめた、素晴らしい写真集だった。

今回は、明るい昼間に見える「月」が主人公だ。

いつもながら、面白い着想だなあ、と思う。

また、例によって写真が美しい。

青空を背景に、真昼の月の前を通過する旅客機をとらえた一枚など、泣けてきそうだ。

なぜ、「ひるまの おつきさま」なのか。

明るいから見つけにくいけれど、昼間も月は空にいる。

たとえ見えなくても、確かに存在するものがあるということ。

ふだん気がつかないことに気がつくことの大切さ。

たぶん湖舟さんは、そんなことを、子どもたちに伝えたかったんじゃないだろうか。

ちなみに遠藤湖舟は本名で、父上のお名前は遠藤右近という。何だかすごい父子だ(笑)。

そして、遠藤君は、私の松本深志高校時代の同級生であり、一緒に写真研究会(後に写真部へと昇格)をやっていた仲間だ。

(参照:「文藝春秋」同級生交歓) 
 http://blog.goo.ne.jp/kapalua227/e/e56943db7c2476b4aa738859c94a0cff

この本に刺激されて、私も「ひるまの おつきさま」にカメラを向けてみました。



もちろん遠藤君のようには撮れません(笑)。



まいにち ぼくは そらにいる
――遠藤湖舟『ひるまの おつきさま』


田代真人『電子書籍元年』の書評

2010年09月06日 | 本・新聞・雑誌・活字

先日、北海道新聞に掲載された『電子書籍元年』の書評が、道新サイトにもアップされた。

以下、その内容です。



『電子書籍元年』田代真人著 インプレスジャパン 1575円
略歴:たしろ・まさと 1963年生まれ。メディア・ナレッジ代表。

 本と出版の今後を解説


さまざまな「元年」がある。最近も「地デジ元年」「3D(立体映像)元年」「EV(電気自動車)元年」などにぎやかだ。

そんな「元年」の掛け声を聞くたび、「時代に遅れていませんか」と脅されるような、背後に“商売”の影があるような、居心地の悪さを感じるのはなぜだろう。

さて、電子書籍である。実は、紙の代わりにパソコンを「器=プラットフォーム」とした電子書籍は、すでに1990年代から存在する。10年前には、その器がケータイとなり、昨年、日本の電子書籍総売り上げは500億円を超えたという。

今年が「元年」たるゆえんは、著者が「電子書籍の本命」と呼ぶiPad(アイパッド)の登場だ。これによって、今後、本はどうなるのか、出版はいかに変わるのかを解説しているのが本書である。

著者によれば、出版社はなくならないが、ビジネス構造は変わっていく。何を電子書籍として販売するのかを決めるのは、アップル、アマゾンなどプラットフォームを提供する会社だからだ。

書店は、これまで通りのやり方ではより苦しくなるため、著者は“セレクトショップ”化を提唱する。独自のテーマに沿って集めた本を並べることで店の特色を出すのだ。

東京・丸の内にある丸善には、編集者で著述家の松岡正剛さんが選んだ本だけを置く「松丸本舗」という魅力的な書棚がある。これも一つのヒントだ。

読者は自分の読書スタイルや目的に合わせて選択すればいい。利便性や低価格なら電子書籍。絶版本が電子書籍で復活することもある。手で触れる「本」の形で読みたければ紙だ。

先日、開高健「夏の闇 直筆原稿縮刷版」(新潮社 3360円)を入手した。文庫本で500円。電子書籍ならもっと廉価なはずだ。

しかし、本が与えてくれる悦楽は、活字が伝える内容だけにあるわけではない。電子書籍元年が、あらためて人と本の関係を考える、最初の年でもあってほしい。


評・碓井広義(上智大教授)

『借りぐらしのアリエッティ』は小品感漂う佳作

2010年09月06日 | 映画・ビデオ・映像

映画『借りぐらしのアリエッティ』を観た。

NHKと日テレ、それぞれのメイキング番組を見てあったこともあるが、
いろんな意味で予想通りの作品でした。

ひとことで言えば、佳作の小品。

というか、小品感の漂う佳作だ。

小人のアリエッティは、元気で、可愛くて、健気で。

もしも宮崎駿さんが監督していたら、もっと“借りぐらし”を軸にメッセージが強調されていたかもしれないが、米沢監督はそういう風にはしていない。

逆に、それがよかった。

ジブリ的大作ではなく、ちょっとせつないファンタジー。

そもそも“小人もの”というだけで、十分せつないのだ。

初めから、なぜか「ごめんね」(笑)、という気分で見てしまう。

それは原作「床下の小人たち」自体がそうで、小人が出てくる児童文学は、名作の誉れ高いものも基本的にはせつない。

映画の中で、少年・翔がアリエッティにこう言う。

「君たちは滅びゆく種族なんだよ」

うーん、ここは辛かった。

そうかもしれないけど、言われちゃったアリエッティは逃げ場がない。
かなり可哀想だった。

ストレート過ぎて、全体の中では違和感がある。

この部分の演出って、米沢監督の本心なのかな。

宮崎監督を、いやジブリブランドを意識してのものじゃないか、という気がする。考えすぎかもしれないけど。

とはいえ、前述のごとく佳作であるのは確かで、『ゲド戦記』よりは、
ナンボかいい(笑)。

おススメもできる。ただし、“小人もの”が大丈夫な人には。

米沢監督には、ほんと、「おつかれさまでした」と言いたいです。

はまみつを『白樺教師 中谷勲』のこと

2010年09月05日 | 本・新聞・雑誌・活字

中学校時代からの恩師・浜光雄先生を訪ねた。

12歳で先生に出会い、師事すること、今年で43年になる。

年に2回、恒例の報告会というか、話が肴の“ふたり飲み”(笑)である。

飲みながら、半年間の出来事、してきたこと、思ったことを、互いに出し合っていく。

昼12時から始めて夕方まで。

なんとも愉快で、贅沢な時間だ。


浜先生は、童話作家「はまみつを」である。

先生の、児童文学界における師匠は大石真であり、大石先生の師匠は坪田譲治だ。

滔々たる文学DNAの流れ・・・・

77歳になる先生は、現在も原稿用紙に向かい続けている。

近著『白樺教師 中谷勲』(郷土出版社)は、信州白樺教育を代表する一人、中谷勲(なかやいさお)の生涯を描いた絵本だ。

信州白樺教育は、武者小路実篤らの雑誌「白樺」が唱えた個性尊重の精神を教育の場にうつし、実践しようとしたものだ。

だが、当時の社会では、白樺教師たちの行動は認められず、異端者、危険思想、非国民という扱いを受けた。

ひたすら子どもたちのことを思う教師以上の教師などあり得ない。

先生は、中谷勲を「愛の教師」と呼んでいる。

現在の信州教育界に、どんな形であれ“白樺のDNA”が継承されているのか、いないのか、それはわからない。

ただ、浜先生と向かい合っている時、「ここに一人の白樺教師がいる」と、いつも思う。

やはり、愉快で贅沢な時間だ。


今週の「読んで書いた本」 2010.09.04

2010年09月04日 | 書評した本たち

今週、「読んで、(書評を)書いた」のは以下の本です。


マイケル・マイヤー
『1989 世界を変えた年』(作品社)

松岡正剛
『松岡正剛の書棚~松丸本舗の挑戦』(中央公論新社)

酒井順子
『ズルい言葉』(角川春樹事務所)

三橋俊明
『路上の全共闘 1968』(河出書房新社)

田中正恭
『夜汽車の風景』(クラッセ)



書いた書評は、発売中の『週刊新潮』9月9日号に掲載されています。

また、松丸本舗は、東京駅北口の前にある「丸善」の中に置かれている
<書店内書店>です。

東京ラブストーリーは突然に!?

2010年09月04日 | テレビ・ラジオ・メディア

合宿が終わって、山梨から信州へと移動。

実家に立ち寄り、母と共に、父のお墓参りをした。

お盆に来られなかったからね。


お墓から実家に戻って、テレビをつけたら、画面にいきなり『東京ラブストーリー』が現れたので、びっくり。



リカとカンチ、鈴木保奈美と織田裕二だ。

1991(平成3)年の放送だから約20年前になる。

しかも、流れているのは「最終回」じゃないか。

長野放送(フジテレビ系)さん、なぜ今、『東京ラブストーリー』の再放送? 

・・・と聞きたくなったが、ま、そんなことはいいや。

画面を眺めていて、映像もよかったんだなあ、とあらためて思う。

最終回の演出は永山耕三さんだ。

再会した二人が、再び別れる場面のロケは、確か代々木公園だった。

背中を向け合って、それぞれが反対の方向へと歩き出す。

ふと立ち止まるカンチ。

振り向いてみるが、リカは歩き続けている。

あきらめて、また歩きだすカンチ。

すると、背後から声がかかる。

「カンチ――!」

91年3月18日、この最終回の視聴率、なんと32.3%。

気がつけば、小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」が朗々と流れて・・・・

いやいや、つい、また最後まで見てしまいました(笑)。


「碓井ゼミ夏合宿」報告 特別付録

2010年09月03日 | 大学

合宿報告の特別付録は、スナップ写真あれこれ。



































「碓井ゼミ夏合宿」報告③

2010年09月03日 | 大学

9月3日、合宿最終日。

あっという間の3日間だった。

第1回目の合宿ということで、今回は懇親を軸に行ったが、2・3・4年生が、ひとつ屋根の下、ひとつ釜のめし、というのはいいものだ。

おつかさまでした!





「碓井ゼミ夏合宿」報告②

2010年09月03日 | 大学

9月2日、ゼミ合宿2日目。




午前中は「就職講座」。2時間にわたって話をした。






昼食は、地元のお蕎麦屋さんへ。








午後、学生たちとの「個別面談」。

終了後、BBQの夕食。








花火(やっぱ、夏だし)&懇親会。












「碓井ゼミ夏合宿」報告①

2010年09月03日 | 大学

9月1日からの2泊3日で、「碓井ゼミ夏合宿」が行われた。



場所は山梨県忍野村の忍野ペンション・センターハウス。

このとてもいい環境の選定も、3日間のプログラムも、合宿の運営・進行はすべて学生たちによるものだ。


1日の初日は、到着後、いきなりグループワークだった。

学生たちは、村内を散策しつつ、デジカメで撮影し、短い映像作品を作った。共通テーマは「だって忍野だもん」(笑)。


宿舎に戻って、クイズ大会。こちらは、初年度ということで、なんと私に関する問題が出された(苦笑)。








「だって忍野だもん」プレビュー&講評。










私が持っているレア物映像(?)上映会。




自由時間には・・・










『週刊プレイボーイ』で、高島アナ退社についてコメント

2010年09月01日 | メディアでのコメント・論評

発売中の『週刊プレイボーイ』(9月13日号)が、フジテレビ高島アナの退社をめぐって、「さらばアヤパン(泣)、さらば女子アナブーム!!」という特集記事を掲載している。

もちろん、高島アナの退社を惜しむ内容だ。

記事には、いわゆるアヤパンショックに始まり、やくみつるさん、杉作J太郎さん、辛酸なめ子さん、そして週プレ記者などが登場。それぞれの意見を披露している。

私のコメントは記事の最後。以下、引用です。


アヤパンの退社が、新たなスター女子アナの台頭につながればよいが、ひとつ間違えれば、女子アナ界に負の連鎖をもたらす可能性も・・・・。

上智大学文学部新聞学科の碓井広義教授は次のように懸念する。

「高島さんが入社した01年は女子アナの当たり年で、他局を見渡しても、日本テレビの西尾由佳理アナ、TBS・竹内香苗アナ、テレビ東京・大江麻理子アナなどがいる。

いわば黄金世代で、彼女たちの活躍があったからこそ今の女子アナブームが起きたといえます。

ですが、彼女たちも今年で入社10年目の節目を迎え、さらには中心的人物だった高島さんが自身の幸せを求めて退社を決意した。

この連鎖反応で次々と退社するようなことになれば、間違いなく女子アナブームは終わってしまうでしょう」


アヤパン、お願いだから、もう一度考え直してくれえ!


・・・・という絶叫で記事は終わっている。

でも、まあ、他局の女子アナたちの連鎖退社など、そう簡単には起きないと思ので、おそらく大丈夫です(笑)。