あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

レイモンド・カーヴァー著「象」を読む

2008-02-14 08:14:00 | Weblog


照る日曇る日第98回

これは村上春樹が翻訳したレイモンド・カーヴァー最後の短編集である。

レイの短編の特徴は見事に完成されたばかりのキャンバスをその瞬間にナイフでざっくりと切り裂いたような放埓なラストであろう。表題作の象における稲妻のごとく疾走する大型車、「誰かは知らないが、このベッドで寝ていた人が」において突如引き抜かれる電話線、「親密」で主人公に降りかかるおびただしい木の葉、「ブラックバード・バイ」における愛する人との別れ――読者を突き放すように唐突に断ち切られた物語の終わりが、生きることは死ぬことであり、死ぬこともまた生きることである、という著者のクールな人生観をあざやかに示すのである。

最後にさりげなく置かれた「使い走り」は、死期を宣告された著者がそれこそ死力を奮って書き綴った遺作の短編だが、それはロシアの文学者チェーホフ最期の日を想像力豊かに描くことによって迫りくる自らの死を冷徹にトレースしている。

「バーデンヴァイラーはシュヴァルツヴァルト地方の西にある保養地で、バーゼルからそれほど遠くないとことにある。町のほとんどの場所からヴォージュ山脈が見えた。その当時、空気はまじりけなく綺麗で爽快であった。ロシア人たちは古くからそこを好んで訪れ、熱い鉱泉に身を浸し、通りをそぞろ歩いたものだ。1904年の6月に、チェーホフは死ぬためにそこを訪れた」

という見事なセンテンスを眼にした読者は、そのときマグニチュード8.0の大震災に襲われたとしても、その次から始まる短編の極意とでもいうべきストーリーを読まないわけにはいかないだろう。レイモンド・カーヴァーはこんな素晴らしい短編をこの世の置き土産に、1988年、50歳を一期に肺がんで身罷ったが、そのあまりにも早すぎた死が惜しまれる。

♪ぴらかんさ次いで千両の順に食われけり 亡羊

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続・元コピーライター、かく語りき

2008-02-13 10:15:23 | Weblog


♪バガテルop42&照る日曇る日第97回

消費者に商品を売る一介のテクノクラートであり、商品の宣伝の召使であるはずの広告文案作成屋が、なにを勘違いしたのか社長に代わっておのれの個人的な思想や感慨を語りはじめ、天下の公器を私物化し、あまつさえ1行のコピーが時代や世の中を変える、などと錯覚し、ドンキホーテのように奇怪な妄想にうつつを抜かしはじめたのである。彼ら自身は無自覚であったが、「欲しがりません勝つまでは」という名コピーを書いて文字通り一世を風靡した才人をひそかに目指していたのかもしれない。

私自身も含めてコピーライターのみならずほんらい怜悧であるはずの日本資本主義もまたここで大きな勘違いをしてしまった。思えばここがいわゆるコピーライターブームの出発点であり、後続するバブル時代の幕開けだったのではないだろうか。まことに思い出しただけで吐き気がするほど苦しく、また悶絶的に楽しい戯作家の虚業全盛時代でもあった。

それにしてもあるかなきかの微細な商品の独自性、優位性、セールスポイントをむりやり「発見」し、それに対して針小膨大な「付加価値」をでっちあげ、おのれの才覚にまかせて恣意的なお化粧を施し、無理やり消費者の欲望を喚起させるこの仕事は、いかに身過ぎ世過ぎとはいえ本質的には良心に恥じ、人倫に悖る作業であり、内心忸怩たる因業な課業でもある。

この賎業への加担を逃れ、因果の悪連鎖を逃れるためには、広告の現場からとく立ち去って生産現場に駆けつけ、本当に消費者のためになる画期的な製品をみずからの手で生産し、しかるのちに広告宣伝に立ち戻るか、あるいは目の前の劣悪で凡庸な商品に眼をつぶって、消費者にその本質を気づかせないような呪文や幻惑や目潰しをあびせ続けるか、あるいは誰にも評価されず注文が来なくとも、誠実で正直なコピーをほそぼそと書き続けるか、はたまた「自分が幸福ではないのに幸福なコピーは書けない」と遺言して1973年に自死した杉山登志の道を選ぶか、のいずれかしかないだろう。

そしてそのあまりにも美しすぎる呪文のひとつが、昨日挙げた秋山氏の「ただ一度のものが、僕は好きだ」という“感動的な”コピーだったのではないか、と私は今にして振り返るのである。

バブルは無残にはじけ、毎晩銀座のバーを肩で風切って闊歩しながら飲み歩く流行作家気取りのかっこいいコピーライターは1匹残らず絶滅した。時代はコピーライターのものから、スタイリスト、フォトグラファー、そしてプランナー、デザイナー、アートディレクター、マーチャンダイザーの覇権へとめまぐるしく変遷し、グッチやルイ・ヴィトンなど外資系ラグジュアリーブランドの広告では、いっさいの広告コピーを廃し、画像とロゴとURLだけで構成するのがいっそおしゃれであるという流儀が定着して久しい。

茫茫30年。制作費が厳しく削減され、広告宣伝の玄妙な秘法など糞喰らえのクライアントの強権が問答無用で復活し、なんの教養もないど素人コピーライターによって携帯メールで殴り書かかれた風情も工夫も含蓄もない超即物的かつ短絡的なへたくそコピー全盛の現在が、むしろ健全でいっそ小気味よい光景と映るのは果たして私だけだろうか。


♪篤姫を見てもすぐに涙出るこの安物の私の眼球 亡羊

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元コピーライター、かく語りき

2008-02-12 08:15:04 | Weblog


♪バガテルop41&照る日曇る日第96回

宣伝会議という出版社から最近発売された「コピーがひもとく日本の50年」という2095円もする分厚い本を頂いた。私はかつてコピーライターという仕事をしていたことがあり、宣伝会議社が主催するコピーライター講座の講師を数年間やっていたこともあるので昔を思い出して懐かしかった。

当時銀座の松屋の裏にその教室があり、毎週1回のその夕方からの授業が終わると、私は生徒全員を引き連れて安酒場に行って飲みかつ喰らい愉快に談笑するのが常だった。その当時の私はまだ少しなら酒を口にすることができ、後年のようにたったビール一口で急性アルコール中毒で昏倒するような無様なことはなかった。私のクラスから巣立った何人かはその後映画や音楽産業の優れた担い手となり、私は彼らのその後の活躍をわがことのようにうれしく思っている。

さてその分厚い本を繰ってみると、わが国のコピーとコピーライターの歴史をつくった梶裕輔や土屋耕一、秋山晶、仲畑貴志、真木準といった俊才たちの過去半世紀の名作コピー365本が、ご本人たちのコメントとともに紹介されており、なかなか興味深いものがあった。

向秀雄氏の「ミュンヘン、サッポロ、ミルウオーキー」、山口瞳氏の「トリスを飲んでHaWaiiへ行こう」、「なぜ年齢をきくの」とか「こんにちは土曜日くん」「君のひとみは10000ボルト」など伊勢丹の企業広告のコピーを作った土屋耕一氏の作品は時代の記憶の一部となったし、「おしりだって洗ってほしい」(TOTO)、「好きだから、あげる」(丸井)を作った仲畑貴志氏、「ピイカピカの1年生」の杉山恒太郎氏、「でかいどお、北海道」の真木準氏などの作品を眼にすると、私と同時代の制作者である彼らの当時の面影があざやかに甦ってくる。

しかしかつては広告文案作成屋と呼ばれたコピーライティングの流れを大きく変えたのは、1974年のたしか糸井重里氏作の「ケネディは好きだったけれど、ジャクリーヌは嫌いだ」、そして77年に高校野球をテーマにした秋山晶氏の「ただ一度のものが、僕は好きだ」というキャノン販売の広告ではなかっただろうか。

これらの作品ではいずれも主語がクライアントではなく、驚いたことにはコピーライター本人であり、訴求テーマが商品そのものから大きく逸脱してモノからコトへ、商品世界から仮想文学的世界へと大きく飛躍し、幻想の虚空で浮遊している。


♪生きておっても死んでおっても空の空なり 亡羊
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DVDには寿命がある!?

2008-02-11 09:31:22 | Weblog


♪バガテルop40

9日の旭日新聞の夕刊トップに「DVDディスク寿命格差」という大見出しで、いま使われているDVDディスクの中には数年で劣化してデータを読み出せなくなるかもしれないと警告する記事が出ていた。DVDディスクなら孫子の代まで大丈夫と思っていたのに1年で映像が消えうせる例も多々あるという。

国内ブランドの一部は半永久的に保存できる優良製品もあるようだが、私が愛用している1枚30円から40円の台湾製は、実験前からエラーが多すぎて寿命の推定が不可能という劣悪品が多いそうだ。そういうこともあるかもしれないと漠然と考えていたが、実験結果をこのように露骨に突きつけられるとはたと頭を抱え込んでしまう。

私は前にもここで書いたように、NHKBSで放映されるすべての映画とクラシック音楽、歌舞伎などの新旧演劇番組を連日DVDディスクに録画してきた。1日にたかだか4番組くらいだが、それが毎日毎日何年にもわたるとおびただしい数量となり、私のような恒産なき流浪のルンペン・プロレタリアートには1枚100円以上もする国内盤はいくら品質が優れているとはいえ経済的に負担がかかりすぎる。

よって超安価な台湾製のあれやこれやをためつすがめつ大量に買い込むことになる。ところが100枚2300円のお買い得を買ったはいいけれど、それがちゃんと録画できないこともよくあり、これまでいくど痛い目に遭ったか分からない。例えばZEROは人気の台湾ブランドでそこそこ品質もよく、値段も安いので愛用していたが、ある時期から工場だか規格が変わったらしく、私のレコーダーがいっさい受け付けなくなってしまった。

やむなくPRO-FEELブランドに転向しそれなりに満足していたら、突然この製品が冷凍餃子のように市中に出回らなくなってしまった。そこでようやく超破格値のFINEブランドに切り替えたところ、この16倍速がそれこそ早い・安い・美味いの3拍子が揃っているのでやれやれと安心していた矢先に旭日新聞の記事である。

もし私にお金があったらもちろん国産を買うだろう。しかし国産といっても三菱のように台湾の工場に委託しているものも多く、純台湾製ほど多くはないがけっこうトラブルも生じるから始末におえない。

コストの問題以上に問題なのは収納スペースだ。私の狭い書斎はすでに無数の書籍群とLPレコード、カセットテープ、ビデオテープの大群に加えてかの「あほばかレーザーディスク」まで捨てるに捨てられない状態で死蔵されている。これに加えて日夜増殖を遂げつつある膨大なDVD! 過大な加重に耐え切れず部屋の土台が崩れ去る日も近い。

それにしても、と私は考える。どんどん膨れ上がるこの膨大なソフトを、果たして私は生きているうちに鑑賞できるのだろうか?

全山の緑を剥がしてことごとく墓に変えしは堤義明
堤氏が山を毀ちて築きたる墓に眠れる義父と叔父かも
いち早くその白き墓購いて父叔父葬りし我ら一族
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小島信夫の「月光」を読む

2008-02-10 09:20:53 | Weblog


照る日曇る日第95回

依然としてさっぱり仕事が来ない私は、またしても小島信夫の小説を読んで、みずから無聊を慰めることしかできない。

私が思うに、この人はまあ「書く自動機械」に似たようなものであるなあ。小島信夫のなかにもう一人の小島信夫、あるいはコジマ式ロボットが棲息しておって、これが日常茶飯事、森羅万象をすべて書きまくるのじゃ。人の迷惑もプライバシーもなぎ倒してじゃんじゃん書きなぐるのである。

それは書きたいことを書きたいからではなく、普通の人間なら非常に書きづらいこと、あるいは絶対に書いてはいけないこと、を、彼はどうでも書かなければならない、と天によって強くうながされ、みずからもそうしようと決意しているからなのだ。自分がその先に進み、生きるために破らなければならないベールを、彼はどんどん破りながら全身全力で前進するのである。

そしてそのように行動することの総体が、小島信夫の生であり文学なのだ。
書かずにいられないその軌跡を、人は宇宙の果てまで限りなく越境する私小説というが、当のご本人は「私はいまは夢見るように書き綴っていので、相前後し、合体することを許してもらいたい」と澄ましている。

さて本書は1982年4月から翌年8月にかけて「群像」に連載された表題作はじめ「青衣」「蜻蛉」「合掌」「「高砂」「「再生」の6つの短編小説であるが、例によって例のごとくあっちに寄ってはこちらに引っかかりながら、まるで二人羽織のように脳内対話がとめどなく繰り広げられていく。

最後に並べられた「再生」では、甦りの再生ではなく噺家の安藤芳流という人の談話テープを作者が文字起こししてそのユニークな語りを再現するのに驚かされる。

安藤は漱石の弟子の森田草平の思い出を語り、続いて福本日南が書いた「元禄快挙録」を引き合いに出して、大石内蔵助の切腹があまり潔いものではなかったという話をする。彼の切腹を陰からこっそり見ていた細川越中守がそう証言しているというのである。

定めし立派な腹切りであろうと固唾を呑んで期待していたら意外にも「あまり締まりがなかった」。いったいどうしてだろうといぶかしみながら越中守が内蔵助が使っていた手文庫の中を改めてみたら、「見事なる切腹は一人にかぎり候」という書置きが出てきたそうだ。

この秘話を安藤が恩師の森田に語ってきかせたところ、草平は「おいちょっと待て。そこのところは『見事なる切腹は、殿ご一人にかぎり候 内蔵助』とやれ」と安藤に知恵を授けたという。

なるほど、これだと内蔵助が主君の見事な切腹を際立たせるためにあえて無様な切腹を選び取ったということが一遍で分かる。さすが漱石の永遠の弟子の森田草平だけのことはある、ということを言いたいがために、小島信夫はこの40分間の口演テープを汗だくで再現してみせるのである。


♪如月も十日を過ぎて仕事なし 亡羊

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40年前の幻の「トリスタンとイゾルデ」

2008-02-09 08:55:09 | Weblog


♪音楽千夜一夜第32回

冬来たりなば春遠からじ。私はその春の足音に耳を澄ましながら、もはや過去の遺物と化しつつあるヴィデオテープに収められたクラシック音楽の演奏を少しずつDVDに変換に変換している。

昨日は1967年に初来日したピエール・ブーレーズが大阪のフェスティバルホールでワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を振った歴史的演奏を視聴した。イゾルデがビルギット・ニルソン、トリスタンがウオルフガング・ヴィントガッセン、マルケ王をハンス・ホッター、演出はヴィーラント・ワーグナーという、今では考えられない超弩級かつ垂涎の豪華絢爛たる組み合わせである。

オーケストラは大阪祝祭フェスティバル管弦楽団とあるが、おそらくはN響であろう。現在の腐敗堕落した同名のオケとは違ってなかなか見事な演奏を繰り広げ、当時弱冠40歳のブーレーズに巧みにドライブされてバイロイト風の味わいを醸し出している。さはさりながら、現在よりも40年前のほうが優れた演奏をしていた管弦楽団とはなんというおそまつさであろう!

しかしなんといっても素晴らしいのは表題役の2人の名唱、そしてハンス・ホッターの深沈たるマルケ王の絶唱である。ヴィーラントの演出といっても背後に「俊寛」を思わせる書割が出てくる程度でほとんど無作為であるが、その無作為が聴衆に音楽と歌唱への集中を促し、この空前絶後の絶対的な愛と死の物語への陶酔を生み出すのである。

それがすんでからNHKのFMをつけるとメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」の目も覚めるように鮮烈な、そしてほんとに私が吐き気を覚えたエッジーな演奏が聞こえてきた。「チョン・ミョンフンかな? いやもっともっと凄いぞ」と思いながら最後まで聞きとおすと、これがなんと若き日の小沢征爾がトロント響と入れた空前絶後の古い古い演奏だったので、私は大昔から今日までどんどん恐竜のように退化していったこの国民的アイドルの音楽的「反進化」の栄光と悲惨を思わないわけにはいかなかった。

小沢大先生の悪口をもうこれで最後にしようと思いつつまたしても書いてしまうのは、若き日の彼にはいま世界中の話題をさらっている81年ベネズエラ生まれの俊英指揮者ドゥダメルをはるかにしの超越的なアカルイミライがまぎれもなくあったにもかかわらず、その宝をうまく開花させることが出来なかったこの未完の天才に対して大いなる無念の想いがあるからで他意はない。

閑話休題。

その1週間くらい前には、教育テレビでコソットの演奏生活50周年記念のコンサートをやっていたがもう相当の年来なのにフィガロのケリビーノのアリアなどを歌い始めると肉弾相打つ風情の肥え太ったおばさんが突然妙齢の美少年に変身するのには驚いた。けだし年の功というやつだろう。
それに比べるとコソットより若いはずのバンブレーはもう往年の輝きは失せ、声も出ずまことに無残なものだった。

♪蝶々が舞うように歌いたりフィオレンツア・コソットの不可思議な「君が代」
♪老残のグレース・バンブレー出ぬ声で懸命にシャウトせり黒人霊歌


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古井由吉著「白暗淵」を読む

2008-02-08 09:17:07 | Weblog


照る日曇る日第94回

それは夢なのか、それとも夢見る前なのか、夢を見た後の想いなのか、と著者に尋ねても答えは返ってこないだろう。とりとめのない父母生死未然の記憶、突然の爆撃と機銃掃射、一瞬にして町と川と人間の景色を消し去った戦争の悪夢、よみがえった平和の中の死、老年の衰えの日々に鳴り響く幻聴、若き日の友人の些細な思い出、さまざまな女たちの臭い、皮膚と肉の柔らかな接触、鳥や花や物や人間などがひとつに融解していく恐怖と快楽などがここ2年ほどの間につむがれた11の短編の中でモノローグのように語られ、ハープシコードのように独奏されている。

どの作品も見事な出来栄えだが、とりわけ凄いのは「撫子遊ぶ」。文久2年のコレラ流行から話が始まり、やがて応天門炎上の責を問われて憤死した大納言伴善男の話になり、「伴大納言絵詞」の登場人物が側対歩(末讀選手のナンバ走り)ではないかと疑い始め、絵詞の登場人物たちの「恐慌と喜悦とはその表情においてじつに紛らわしい」と著者は書く。私はこの作品を06年の秋に出光美術館で鑑賞したがたしかにそういう表情だったと思い当たった。

やがて大納言を思わせる老人が現れ、男女の交わりの話になって突然「水口に撫子遊ぶ夕まぐれ」という句が著者に浮かんでからは少年時代の思い出に話柄は飛び、いきなり友人の父親の死の前夜の思い出が挿入されてから、「撫子の咲く野辺に 父を埋めて 母を埋めて」という唄が歌われて、さながら漱石の「夢十夜」のような狂気幻想夢譚が鮮やかに閉じられる。人生の切断面の異様なまでの鋭い美しさである。
その幕切れはどうか直接手にとって確かめていただきたい、と寅さんの口上のように言うしかない。

なお題名の「白暗淵(しろわだ)」は、旧約聖書創世記の冒頭にある「元始に神天地を創造たまえり。地は定形なく曠空くして「黒暗淵」の面にあり神の霊水の面を覆たりき」による。菊池信義による装丁は、そのためか白い壁か油絵のテクスチャーを拡大撮影したようなデザインになっているが、これは戸田ツトムの「断層図鑑」のコピーのようにも見えた。

♪その日の午後西郷どんの首の如き橄欖樹の枝を斬った 亡羊

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冬の自画像

2008-02-07 08:43:25 | Weblog


♪バガテルop39&鎌倉ちょっと不思議な物語98回

駅前を歩いていたら裏駅と表駅を結ぶ地下道に市内の中学生の自画像が張り出してあった。

精密なモノクロームの描線が写実的でいずれも巧みなクロッキーであるが、全体の印象がどことなく暗く、陰鬱であることが気になった。

それは思わずぎょっとするほど不吉ですらあった。個々の作品をよく見るといろいろな違いが見えてくるけれど、遠くから眺めた印象では十人一律で、あえて言うなら手法と切り口を含めて無個性なのである。

間違いであってほしいが、この暗さと空虚さと類似性が若い彼らのいまを象徴している、と私は思った。そしてそこに垣間見られるものは、未来への大いなる不安とあらかじめ用意された絶望ではないだろうか。十五にして心はすでに老人のように朽ち、孤独に立ちすくむ若く孤独な魂たちを想像して、同じ心根の私は冬空の下でぶるぶると震えた。

私(たち)は死んでも希望だけは手放してはならない。 

♪梅千本一輪だけが咲いており 亡羊

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常楽寺詣

2008-02-06 08:06:53 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語97回

大船という地名は3代将軍実朝が宋に渡航する大きな船を材木座あるいは由比ガ浜で作らせたことに因んでいると勝手に想像していた。
ところがいつもお世話になっている「鎌倉の寺小事典」によれば、ここ大船の常楽寺の山号である「粟船」に由来しているそうだ。 

嘉禎3年1237年、3代執権の北条泰時が妻の母の供養のために「栗船御堂」を建て、退耕行勇が供養の導師をつとめたのがこの寺の始まりであるという。しかしこの泰時は日本最古の港である和賀江島を材木座の海岸に築いた人なので、まんざら大きな船と縁がないわけでもない。

この常楽寺は蘭渓道隆とも縁が深く、蘭渓はあの建長寺を開山する5年前にこの寺で宋の禅を広めたそうで、「常楽は建長の根本なり」といわれるほど建長寺とのつながりが深い格式高い巨大な寺だったが、今は無粋な観光客なぞついぞ見かけずいつ訪れても直ちに中世の黄昏に身を投じることができる私だけの隠れ里である。

本尊の阿弥陀三尊像、脇恃の観音菩薩、勢至菩薩を安置した伽藍、茅葺の見事な山門、秋の夕日に輝く巨大な公孫樹、仏殿右奥の池と庭園、泰時のこていな墓、そして鎌倉三名鐘のひとつである梵鐘に通じる長い長い参道は、「門」の主人公代助が参禅した円覚寺よりもはるかに趣がある。

栗船山の中腹には木曽義仲の子で頼朝政子の娘大姫との愛の絆を引き裂かれた悲運の義高の墓「木曽塚」があるそうだが、私はまだそこまで登ったことはない。

♪立春哉窓一面乃銀世界 亡羊
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萩原延壽著「馬場辰猪」を読む

2008-02-05 08:26:13 | Weblog


照る日曇る日第93回&勝手に建築観光28回

馬場辰猪は「明治の東京」の著者で西脇順三郎によって“日本のアナトール・フランス”と称された明治時代の文人馬場孤蝶の兄で、嘉永3年1850年土佐中島に生まれ、明治21年1888年米国フィラデルフィアで結核のため客死した。

辰猪(「たつい」と呼ぶ)は、17歳の時に上京し福沢諭吉の慶応義塾に入って英語を学び、明治3年英国に留学しロンドンでローマ法、財産法を学んで明治7年帰国したが、翌年再び英国に留学し、明治11年の帰国まで英国法、議会の討論と西欧民主主義のあり方について親しく見聞し、「日本語文典」、「日本における英国人」「日英条約論」などの論文・著作を英文で執筆・出版した。

帰国してからは自由民権運動の最前線に立ち、次第に身体を病魔に蝕まれながら明治専制藩閥政権の抑圧と思想的、実践的に戦い、板垣とともに結党した自由党が、党首板垣自身の腐敗堕落と戦線逃亡によって空中分解してからもなお孤軍奮闘したが、民権闘争の全面敗北の急流が押し寄せる中、米国への亡命を決意するも心身の疲労困憊がきわまる中、「あまりにも性急な歩行者」と萩原に評された享年39歳の短い生涯を閉じたのであった。

明治維新の成就いらい西欧流の自由と民権主義の移植は福沢諭吉や中江兆民はじめ数多くの留学経験者、インテリ帰朝者によって精力的に行なわれたが、伊藤博文、井上毅などが大隈重信を閣外に追放した「明治14年の政変」以来自由派への逆風がつのり結局辰猪は破滅してしまうのだが、その抵抗精神と自由主義の旗は不滅のものであり、福沢と中江の弔辞を読んで悌涙せぬ人は著者と私の友ではない。

辰猪の生涯とその戦いの詳細は本書で詳しくたどっていただくことにして、辰猪の自由思想で注目すべきは、彼の結婚観であろう。(彼自身は父親の放蕩を呪詛して生涯独身を貫いた)。彼は夫婦は愛によってのみ結ばれるべきものと考え、結婚は期限を定めた契約を前提にせよと説いている。いずれかの愛が醒めればただちに契約を破棄せよというのだがなかなかに合理的ではないか。

過日私はかつて銀座でもっとも愛していた場所を訪れた。そこには今は無残なモダン廃墟と化したわが国ではじめての社交クラブ交詢社がつい数年前まで誇らかに聳え立ち、敬愛する福沢諭吉、馬場辰猪をはじめあの西周、栗本鋤雲、菊池大麓、小野梓、岩崎小二郎、後藤象二郎、大隈重信、由利公正、小泉新吉(信三の父)、犬養毅などの倶楽部員が自由奔放に討論を交わした昔日の面影をかすかに伝えていたのである。

ギョウザより大事な問題があると思いつつ中国製の餃子を喰らう 亡羊

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我輩は犬である。

2008-02-04 16:08:15 | Weblog


♪バガテルop38

名前は探偵犬クロである。さる探偵会社で大切に育てられた現役の探偵犬である。

生まれながらに探偵犬として訓練されているから、尾行や張込みはもちろん、人捜し、また同類項の動物捜しにも大活躍、探偵犬ならではの類い稀な能力を遺憾なく発揮しておる。

かの文豪夏目漱石は大の猫派で、探偵と大金持ちの金田一族を嫌ったそうだが、実はおいらも人様の秘密をあばく探偵稼業でおまんまを頂戴していることについては内心忸怩たるものがある。

しかし少なくともおいらは自分の頭と手足と六感で食べている。そこが2002年の2月に天寿を全うして大往生を遂げたあまでうす家のムクなぞとは一味も二味も違うところだ。あのアホムクなんて朝寝して時々起きて昼寝して時々起きて居眠りばかりしていたからなあ。やはり犬も働かざる犬は食うべからずだワン。

なに?六感がわからない? 「六根清浄お山は晴天」の六根がなまって目・耳・鼻・舌・身・意の六感になったんだワン。おいらはそんじょそこいらの新米マーロウ風情とはわけが違う。犬としての知性も品格も備えているつもりだ。

と、探偵犬クロは空っ風が吹きすさぶ甲州街道でなおもえらそうに自慢するのでした。


♪詩歌については論じるなかれ朝な夕なにただ詠めばいいのだ 亡羊


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降れ降れ小雪

2008-02-03 09:21:05 | Weblog

けふ鎌倉に初雪が降った。

♪雪深しわれは昭和の子供なり 亡羊
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ねじめ正一著「荒地の恋」を読む

2008-02-02 09:51:27 | Weblog


照る日曇る日第93回

何の期待も予備知識もなしに読みましたが、とてもよく出来た小説なのでいたく感心いたしました。

著者はまるで三遊亭円生の落語の一席のようによどみなく「詩人の恋」と荒涼たる「冬の旅」を一気呵成にカタって聞かせるのです。それは詩人北村太郎の中年の恋と妻や恋人たちの物語です。中年男が平和な家庭を壊して自分の親友の妻を奪って親友も、妻も、自分も壊していく破壊的愛の物語なのですが、それはお互いの唾液を交し合うような濃密さを終始保ちつつ甘く切なく息詰まるようなモデラート・カンタービレで描かれているので、読者は一気に読まされてしまいます。

けれどもそれがあまりにもステレオタイプで通俗小説的な展開なので、「ちょっと待て、その嘘ほんとなの」と眉に唾する瞬間もなきにしもあらずですが、てだれの著者はまるで登場人物の霊が乗り移ったように、さながら憑依したイタコのように確信をもってカタるので、我らはもはや黙して聞くしかないのです。

登場人物の造形は確かであり、男も女もいきいきと息づいており、泣き、喚き、怒り、絶望し、途方にくれて人生に生き悩み、性交し、別れ、自殺をはかり、そうして死んでいくのです。登場人物ときたら還暦過ぎで不治の病を患っているというのにラブホテルで20代の女性を苛め抜くのですからその生と性への執着には驚倒の他はありません。

けれどもまぎれもなくここには孤独な人間の生きる姿が刻み付けられています。それはほとんど感動的なラブロマンスといってよいのでしょうが、私たちはその一見通読的なお涙頂戴の物語に感動するのではなく、そのロマンスの底に流れている、北村太郎はもちろん田村隆一、鮎川信夫、中桐雅夫など著者の同業の先輩である「荒地」の同人たちへの著者の畏敬と哀悼の念に対して一掬の涙を惜しまないのです。
余談ながら私は昔西本町のてらこ履物店の隣にあった火星社書店で、研究社の「英語青年」に掲載される大沢茂と最所フミという女性の論文をよく読んだものです。大沢氏は私の敬愛する英文学者の亡き叔父ですが、やはり碩学の最所フミさんが信濃在住のタオイスト加島詳造氏と結婚してすぐに別れてからなんと鮎川信夫氏と結婚していたことをこの本で知って少し驚いた次第です。

最後に、本書の最も魅力的な箇所は、疑いもなくp270の松田聖子の「ストロベリータイム」が車に流れるシーンであり、p156の「猫山」のシーンでしょう。無数の猫たちが折り重なってピラミッドになる光景を、この世におさらばする前にできたら私も一度は見たいものです。


そこはかとなく薫り洩れ来し艶人の その衣擦れの音 溜息の歌 亡羊

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小島信夫著「各務原、名古屋、国立」を読む

2008-02-01 08:47:41 | Weblog


照る日曇る日第93回


小島信夫の小説は普通の小説とは違う。あきらかに違う。

では普通の小説なんかあるのかと聞かれたって、素人の私がここでにわかに普通の小説の定義をすることなんかてんでできないが、そもそも普通の小説は、作者の語りたいテーマが最初にあって、次にそのテーマをうまく展開するためのプロットがあり、最後に、そのプロットを木の幹に譬えると、その木をより立派に見せるための枝や葉っぱを周囲に廻らせる、という形式を選ぶのだろう、といちおうは考えられる。考えさせてもらってもいいのではなかろうかいな。

ところが小島氏の小説は、特に晩年の作品は、テーマだのプロットなどはほとんどない。

いや名古屋だの国立などといちおうあることはあるのだが、読んでみるとあまり名古屋や国立そのものの話ではないことの方が多い。それでも最初だけは題名で示されたテーマに沿って氏の小説はゆっくりと開始されるのだが、途中で必ず話が逸れ、あちこちで横道に入りこみ、横丁の長屋で大いに道草を食い、そのうちにテーマなんかあってもなくても構わないと不敵に居直り、当初はあったはずのプロットを大胆に投げ捨て、いわば無手勝流でわが道を猛進するところに彼の文学の真骨頂があると私は思う。

そのとき彼は、自分という小説家が小説を書いていることを忘れるはずがないにもかかわらずいつのまにやら忘れ去り、そのとき遅くかのとき早く忘我の境地に立ち至り、それこそ無我夢中になって細君のアルツハイマー症状やら自分の過去現在の交友やら郷里の記念碑やら文学館やら私も大好きなゴンチャロフやオブローモフや幕末の聡明な奉行川路聖謨やら「わが名はアラム」のウイリアム・サローヤンやらスターンの「トリストラム・シャンデイ」やら私の大好きな新橋の日本銀行に似た昭和7年製の堀ビルやら明治大学理工学部の授業で「具体的なことだけが生きるのだ」と語った話やら持病やら住宅問題やら身の回りの些細なトラブルやらについて忙しく思いをめぐらせ、その思いの丈をまるで牧場の牛が限りなくよだれを垂らすように、春の小川が、いな秋の小川がさらさらとさらさらとどこどこまでも流れていくように、美空のひばりがとめどなく高空でぴーちくぱーちく囀るように、果てしなく書き連ねるのだが、他の多くの小説や小説家と決定的に違うのは、その折に作家は彼の実存を全てさらけ出し開陳しつくしていることなのである。

「おおこの男は今全身全霊で生きている、その証がこの麗しき水茎のあとなのだ」ということを我ら読者は彼の一語一語が目に飛び込むその瞬間ごとにいやおう無く感得するのである。彼が死に損ないの蛾が卵を産みつけているようにいままさに命の残光を刻み付けていること、いわば遺言を書きつつあること、にもかかわらず今彼が激烈に自らの生を生きていること、そうして私たちもまた生きていること、を痛切に思い知らされるのである。

本書の最後はこんな風に終わっている。

「ちょうどテレビでは、ニューヨークの世界貿易センターに、ハイジャックされた満タンの第一の旅客機が激突し、おどろいて物をいえずにおるとき、第二の旅客機が音を立てぶつかるところで、『ハイハイ』とてっとり早くいっておいてテレビに戻った。
そのテレビは、ムスメが電気屋さんにいって、おくようになったワイドの実に大きなものであって、何週間めかに思い出したように、アイコさん(主人公の妻)が、『このテレビ前からあったかしら』と問いかけ、『前からのものではありませんよ。これの方がよく見えるから、少なくともぼくにはね』というと、『いいわねえ、これ。こんなものがあるのね』
『ここにあった小型のは、まだ性能がいいからいまの二階のあなたの部屋のものと置き換えようと思っているが、どうしてか、この頃あの電気屋こないな』
何ということが、テレビで起こっているのだ。それからあと二週間、たぶん世界中が何とかよい方法はないものかとこんなに真剣になっていることは珍しい、と思いながら、小さい小さいことだけれど、わが家も似ているといえばいえないことはない、と思っているような気がする」

あの9.11同時テロに驚倒しながらも、同時につまらぬこと、どうでもよいとも思える日常生活の些事にとらわれてしまう自分を見つめている人間、世界の一大事と自家の一大事をためらいながらも等しい重さで対峙させている人間。その愚直な誠実さが小島信夫なのである。

♪またひとひ無事生き長らえたり1億2600万分の1の小さき生を 亡羊
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