あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

キシュ著「庭、灰」カルヴィーノ著「見えない都市」を読んで

2009-11-15 18:14:07 | Weblog


照る日曇る日第310回

これは池澤夏樹編集による河出書房新社の世界文学全集の1冊です。

ユーゴスラビアのキシュが書いたのは現実と幻想がごった煮になった父親の思い出とそれに付随するビルダングスロマン。ユダヤ人の父親はアウシュビッツで帰らぬ人となりましたが、誰にせよ父にまつわるさまざまな記憶と物語はあるわけで、それらと比べてこの小説が格別劣るわけでもすぐれているわけでもありません。

イタリアのカルヴィーノが書いたのは、これとは正反対の幻想小説です。マルコ・ポーロの「東方見聞録」を下敷きにした偉大なる旅行者と偉大なる征服者フビライ・ハーンとの世界の都市をめぐる対話です。
それらすべて女性の名前がつけられた都市はベネツイアをのぞいて実在しない空想の都市であり、したがってそれらの都市をめぐってさまざまな視点から繰り返される対話自体も空想的な性質のものです。

第7部に至って、フビライはポーロが一歩も静謐な庭を動いて形跡がないにもかかわらず、いつそれらの数多くの都市を訪問する暇があったのかと疑い、「朕もまたここにおるということが確かなこととは思えないのだ」と自問します。

万里の長城やヴェネツィアははたして本当に実在していたのか? マルコ・ポーロもフビライもはたして実在したのか? 歴史的事実も人物もその存在の根底が激しく疑われたままこのいかにももっともらしい小説は終わりを告げるのです。


♪われ描くゆえに都市ありカルヴィーノ語りき 茫洋

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キシュ著「庭、灰」カルヴィーノ著「見えない都市」を読んで

2009-11-15 10:35:57 | Weblog


照る日曇る日第310回

これは池澤夏樹編集による河出書房新社の世界文学全集の1冊です。

ユーゴスラビアのキシュが書いたのは現実と幻想がごった煮になった父親の思い出とそれに付随するビルダングスロマン。ユダヤ人の父親はアウシュビッツで帰らぬ人となりましたが、誰にせよ父にまつわるさまざまな記憶と物語はあるわけで、それらと比べてこの小説が格別劣るわけでもすぐれているわけでもありません。

イタリアのカルヴィーノが書いたのは、これとは正反対の幻想小説です。マルコ・ポーロの「東方見聞録」を下敷きにした偉大なる旅行者と偉大なる征服者フビライ・ハーンとの世界の都市をめぐる対話です。
それらすべて女性の名前がつけられた都市はベネツイアをのぞいて実在しない空想の都市であり、したがってそれらの都市をめぐってさまざまな視点から繰り返される対話自体も空想的な性質のものです。

第7部に至って、フビライはポーロが一歩も静謐な庭を動いて形跡がないにもかかわらず、いつそれらの数多くの都市を訪問する暇があったのかと疑い、「朕もまたここにおるということが確かなこととは思えないのだ」と自問します。

万里の長城やヴェネツィアははたして本当に実在していたのか? マルコ・ポーロもフビライもはたして実在したのか? 歴史的事実も人物もその存在の根底が激しく疑われたままこのいかにももっともらしい小説は終わりを告げるのです。


♪われ描くゆえに都市ありカルヴィーノ語りき 茫洋

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山中貞雄監督「人情紙風船」を見る

2009-11-14 09:16:18 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.17

わずか28歳で若い命を中国戦線に散らした山中の最後の作品です。タイトルどおりの江戸時代の長屋もので、ちょっとくだけた落語調で住人の首つり自殺騒ぎを語り始める導入部はなにやら職人肌の超ベテランの仕事のようです。

しかしその軽妙さが、第2、第3の殺人事件で終わりを告げるラストは衝撃的でもあり、いささか唐突でもありますが、この開始と終結のあざやかな構成はやはりただものの仕業ではなく、早熟の天才の片鱗を垣間見せたものでしょう。

棟割り長屋の住人たちはけっして熊さんや八っさんではなく、威勢の良いやくざな髪結の町人や不甲斐ない侍とその生活をしがない紙風船作りで支える妻であり、その住人たちをとりかこむ武家や富裕な商人たちややくざが三味一体となった権力構造もさりげなく描かれており、やがて突然の悲劇がまるで山中の最期を予言するように起こるのです。

黒澤と同世代のこの監督がもし生きていたら、どのような傑作をわれわれに見せてくれたでしょうか。長十郎、翫右衛門、加東大介が好演。  
                                                脚本三村伸太郎、撮影三村明、音楽太田忠、出演前進座一同=河原崎長十郎、中村翫右衛門、山岸しづ江、霧立のぼる、市川楽三郎(1937年 前進座/P・C・L制作)


♪せめてあと20年あらばさぞや傑作が生まれたろう人情紙風船のごとし 茫洋
                        

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吉村昭著「吉村昭歴史小説集成5」を読んで

2009-11-13 09:15:12 | Weblog


照る日曇る日第309回

この巻に収められたのは「大黒屋光太夫」と「アメリカ彦蔵」の2つの作品で、いずれも江戸時代に海難事故で遭難した水夫の波乱万丈の生涯の物語です。

天明2年1782年、伊勢国白子浦を15名の仲間とともに江戸に向かった沖船頭大黒屋光太夫は遠州灘で時化にあいます。刎ね荷を行い帆柱を切り倒して坊主船となった神昌丸はアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着し、そこでロシア人ニビジモフに救われた光太夫は極寒さと病気で13名の仲間を失いながらカムチャッカオホーツク、ヤクーツクを経てイルクーツクに到着。ロシア当局者の好意と援助に支えられながらペテルブルグに赴きエカテリナ女帝に拝謁し、女帝の命でラクスマンとともに12年ぶりに故国の土を踏みます。
 
いっぽう「アメリカ彦蔵」の主人公彦太郎は、播磨国加古郡播磨町の水夫でしたが、嘉永年1850年に浦賀沖から大坂に向かう永力丸に13歳の若さで乗って熊野沖で遭難、太平洋を漂流するうちに米船に救助されてサンフランシスコに到着。やはりこの国でも多くの人々の温かい援助を受けて、リンカーンなど3人の大統領と面会するなど、この国の言語習慣文化になじみ、ついに米国籍を得て安政6年に帰国しました。

いずれも身分の低い一介の漁夫にすぎない者が、偶然とはいえロシア、アメリカという先進国の文明の余沢を受けて世界の最新情報に通じ、語学を生かして生計の道を得たのみならず当時のエリート階級に接近してあざやかに一種のコスモポリタンとして成り上がるさまを、著者は例によって膨大な文献を駆使し、光太夫や彦蔵その人になりきって彼らの足跡を舐めるような圧倒的なリアリズムで描破しています。

ギリシア正教の洗礼を受けなかったために帰国できた光太夫と、カトリック受洗者でありアメリカ国籍取得者であったにもかかわらず入国を許されたジョセフ・ヒコ。
まるで一身にして二生を経るような異邦体験を経た日本人でありながら、故里では浦島太郎のような味気ない思いを懐いた二人。

かつて世界の輝かしい頂点を見た二人の晩年には、コスモポリタン特有の三界に身の置き所がない根なし草のどこか虚ろなものがあったようです。



♪エカテリナの抱擁リンカンの分厚い掌漁夫の見し夢のまた夢 茫洋
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横須賀ところどころ 第2回

2009-11-12 04:07:31 | Weblog


茫洋物見遊山記 第4回

ヴェルニー記念館の見どころは、巨大なスチームハンマーです。

慶応元年1865年に製造されその翌年にオランダから輸入されたこの横須賀製鉄所備え付けの工作機械は、蒸気(スチーム)を動力としてハンマー(鎚)を持ち上げてこれを落下させ、加熱した金属素材に打撃力を加えて鍛造作業を行うもので、19世紀半ばにイギリスのナスミスという人が考案したそうです。

スチームハンマーが稼働するためには巨大なハンマーを受け止めるための地下部分の強化が重要で、落下する重量の20倍から30倍もある重量物を埋める必要があったといわれていますが、その現物がこの記念館には据え付けてあり、日曜祭日には実際に稼働するところを見物できるそうです。 

 また明治22年1889年に開業した横須賀駅のホームには古いイギリスとアメリカ製のレールが再利用され、アメリカ製の鉄鋼を使って1910年代に建てられた工場はいまなお横須賀で現役で働いています。

このように横須賀製鉄所は、当初フランスとオランダの技術が取り入れられ、続いて明治以降ドイツやイギリス、アメリカの工業技術も移入された先進技術工場だったのです。

以上昨日の記事とともに、ヴェルニー記念館のパンフレットより勝手に引用させていただきました。

♪君知るや幕末の巨大機械平成の御代になおも駆動するを 茫洋

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横須賀ところどころ 第1回

2009-11-11 09:50:49 | Weblog


横須賀駅のすぐそばにあるのがヴェルニー記念館というちょっと変わった建物です。
ヴェルニーは幕末にフランスから招かれたお雇い外国人の一人ですが、この地に横須賀製鉄所(造船所)を建設しわが国の近代化に大きく貢献した彼の功績をながく後世に伝えるために建てられたそうです。

ヴェルニーは1837年にフランスアルディシュ県オブナに生まれリヨンの国立高等中学を経てパリのエコール・ポリテクニクに入学、1858年海軍造船大学校に進み、25歳で2等造船技師資格を取ってブレストの海軍工廠に勤務、海軍の技術者として中国の寧波で造船に従事していましたが、慶応元年1865年に来日し、横須賀製鉄所をつくってその活動を軌道に乗せ、12年間の滞在を終えて明治9年1876年3月に帰国し、故郷オブナで71歳で逝去しました。

横須賀製鉄所はゆいいつの政府直轄の造船所として軍艦清輝や運送船箱館丸などの汽船を製造したほか、国内外の艦船263艘を修理し、明治政府の富国強兵・殖産興業のモデルとして活躍し、付属教育機関からは数多くの艦船建造技術者やフランス語教育者を輩出しました。

 ウオルターズ兄弟とともに銀座の煉瓦街の建設に加わった朝倉清一や旧丸ビルを建てた桜井小太郎もこの学校の卒業生です。

 
   ♪ダイエーの500m先に潜水艦浮かぶ横須賀に驚かぬ人 茫洋

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梟が鳴く森で 第3回

2009-11-10 13:59:08 | Weblog


9月8日 曇のち雨

山手線の話。
前の山手線は、旧型です。旧型は、黄緑の電車です。旧型と、新型が、両方、走って、居ました。新型丈、走って居ます。

9月9日

 山手線の話。つづき。
 前の山手線は、旧型で、電車は、黄緑です。旧型と、新型は、両方走って、居ます。
 そして、旧型の山手線は、南部線と、常磐線と、仙台と、秋田の所へ行って、仕舞いました。山手線の線路は、新型丈、走って、居ます。

9月10日

 前の横浜線は?
 黄緑丈、黄緑と、緑。根岸線に、似て、居る。其れで、配送、した。
今は、ステンレスカー。
良く、頭、入れなさい。
はい。

♪弦と弦つま弾くギターのおぞましき 茫洋
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ベローナ野外劇場ポンキエリの「ジョコンダ」を視聴する

2009-11-09 16:43:22 | Weblog


♪音楽千夜一夜第93回

これは05年6月17日にイタリアベローナの野外劇場で行われた公演のライブです。老練ドナート・レンゼッチィ率いるベローナの管弦楽団が「時の踊り」で有名なこのオペラを好演しました。

演出と衣装はこれもベテランのピエール・ルイージ・ビッティが小奇麗にまとめています。ローマ時代の遺跡という広大な会場なので、オーケストラの音響と合唱がずれるという局面もままありましたが、実力派ぞろいの歌手たちが気持ちよさげに高音を張り上げているのがいかにもイタリアの野外公演でした。

ヒロインのジョコンダはトスカと同じような歌姫という役柄ですが、トスカがスカルピアに迫られたようにバルナバという悪役に欲情を抱かれ、トスカがローマの城壁から身を投げたように、ベネツイアの運河で自刃して果てるのです。あわれと言うも愚かな話です。

ジョコンダには恋しい男がいるのですが、この男はベネツイアの総督の細君にいれあげていて、結局ジョコンダは自らを犠牲にして惚れた男とその恋人のために身を滅ぼしてしまいます。3幕第2場の時の踊りが終わって4幕に入ると最後の愁嘆場になりますが、ここで本当にヒロインに共感して一掬の涙を流してもらえるかがこのお芝居の成功か不成功かの分かれ道ですが、本公演はその点ではいまいちでした。

しかし冒頭のスパイの流言飛語からジョコンダの盲目の母親が魔女扱いされて私刑に遭いそうになる箇所の衝迫振りはなかなかのもので、ポンキエリは人の心に迫る音楽が書けるひとだと改めて思いました。

 ちなみにジョコンダとは陽気な女という意味だそうですが、陽気なはずのヒロインが運命のいたずらで自滅に追い詰められていく悲劇的な道行が最大の見どころとはずいぶん皮肉なタイトルをつけたものです。

♪アズディン・アライアの黒のミニから柔らかな2本の脚がくねくねと降りてきた 茫洋



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「第94回鎌倉交響楽団定期演奏会」を聴いて

2009-11-08 10:51:37 | Weblog


♪音楽千夜一夜第92回&鎌倉ちょっと不思議な物語第207回

土曜2時からのマチネーでした。冒頭楽団長よりこのオーケストラの名誉団長、日比谷平一郎氏が1昨日92歳で逝去されたとの報告がなされ、コンサートに先立ってバッハのアリアが粛々と奏されました。今から10年くらい前、旧中央公民館で氏のモーツアルトのカルテットの演奏に接したことを思い出しましたが、枯淡の弦の調べでした。謹んで哀悼の意を表します。

 それからおなじみの名曲である「鎌倉市歌」が演奏されると、次はいきなりモーツアルトの変ホ長調k543が始まりました。第1楽章のアダージョでは珍しく第1ヴァイオリンにアンサンブルの乱れがありましたが、すぐに立ち直り、終わりのアレグロなどは快調そのものでした。

第2楽章のアンダンテ・コン・モートから第3楽章のメヌエットへと、新進指揮者三原彰人に率いられたオーケストラは、モーツアルト晩年の孤愁をオーボエなしの編成でほのかに湛えつつ最終楽章へ突入します。変ホ長調4分の2拍子で始まるアレグロです。

第1ヴァイオリンが奏でる16分音符は明るい滅びの歌ですが、これが弦楽器から木菅、木菅から金菅、金菅から弦楽器へと変奏されながら手渡され、螺旋階段を上っては下り、下っては登るように何度も何度も主題が再現されます。

憑かれたように演奏するオーケストラに聞き入っているうちに、私の脳裏に晩秋のヴィーンの路地で、辻音楽師のようにただひとり踊っている背の低い男がぼんやり浮かんできました。粉雪舞い散る夕映えの街灯の下でまるで子供のように単純なメロディを歌いながら踊り興じる孤独な天才の姿が。
そんな見事な演奏だったのに、あまりにも少ない拍手がお気の毒でした。

次はL.グレンダールというデンマークの作曲家による「トロンボーン協奏曲」を府川雪野さんが独奏しました。とても珍しい曲で私には初めての曲でしたが、なかなか楽しめました。

休憩を挟んで演奏されたのはバルトークの「管弦楽のための協奏曲」でした。鎌倉交響楽団は名技性を発揮してこの難曲を見事に演奏しましたが、私は冒頭の鎌倉市歌ほどの感銘すら受けませんでした。これは誰がなんといおうと底の浅い駄曲なのですが、モーツアルトで拍手の労を惜しんだ大方の聴衆は、ここぞとばかりやんややんやの喝采を浴びせ続けます。お決まりのアンコールを催促しているのでしょう。

で、演奏されたのがなんとリストの「ハンガリー舞曲第2番」という俗悪な骨董品。こんな趣味の悪い曲を聴かされるくらいなら、モーツアルトで退場して大船のユニクロで990円のヒートテックを買いに行ったほうが良かったなあ。

次回の公演は恒例のベートーヴェンの「第9」ですが、鎌響はこの名曲をどうして日本語の歌詞で演奏するのでしょうか? 中西礼という鎌倉市政に一大汚点を残して東京に逃亡したこの男の作詞も良くないけれど、どんな日本語訳だってこの第4楽章とはミスマッチであり、原曲の感銘を大きく損なっていることはロバの耳にさえ自明のことではないでしょうか。2010年度からはどうか元のドイツ語に戻して頂きたいものです。


♪オオフロイデとドイツ語で歌わずば鎌倉第9をボイコットすべし 茫洋

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小西甚一著 日本文藝史別巻「日本文学原論」を読んで

2009-11-07 11:16:23 | Weblog


照る日曇る日第308回

理数系の学問と違って、私たちが日本文学を研究する際に、「何を対象にして、どのようにその研究を進めるのか」という問題はなかなかに難しく、明治以来幾星霜を経たわが国の国文学界においても、いまだに明確にされていないといっても過言ではないようです。

顧みれば我が国では文学の実証的・文献学的考証は盛んに行われてきて一定の評価をあげてはきたものの、歴史や社会的要因と区別された「文学自体の内在的な価値の研究」はなおざりにされてきました。

この880頁に及ぶ書物は、物理や数学の世界では古くから採用されている科学的な理論と手法を用いた文芸、文学の研究というものが、どうしてこれほど我が国では遅れてしまったのか、またそれを早急に確立するためにはどうしたらよいか、という課題をめぐって、「雅」と「俗」と「雅俗」の3つのカテゴリーで鮮やかに我が国の文学史をぶった斬ってみせた大著「日本文藝史」を著した国文学の泰斗が、最晩年に取り組み、ついに未完に終わった壮大な知的営為の総決算であると申せましょう。

著者は国文学のみならず広く古今東西の哲学や人文諸科学、物理、化学、数学などの歴史的文献や欧米諸科学を主導した研究者の代表的な管見を自由自在に引用、敷衍、解釈しながらあちこち道草を楽しみ、悠揚迫らずこの大きな課題に挑んでいます。

たとえば著者は、なぜ優れた芸術作品が私たちを深く感動させるのかという問いについてドイツの哲学者ハイデガーの1934年から36年頃の学説を縷々紐解いたあとで次のように解説しています。

1)日常的な次元では「隠れ」でしかない存在自体が、本来的な次元では、「隠れなさ」としての「真」であること。2)その「真」を正確に表現ないし理会するのが芸術的な「美」となること、3)そうした「真」や「美」に至るために日常次元からいっての「手荒さ」が不可欠なこと。(ハイデガーの講演「ヘルダーリンと詩の本質」参照)
つまり「隠れなさ」としての「真」を形象の中に確立することが芸術の本質で、それが達成されていないものが非芸術であり、その確率の度合いが低いものが浅薄な大衆文芸であるということになります。

しかし本書に登場するのは、ハイデガーだけではありません。プラトン、デカルト、カント、デユルタイ、フッサール、フロイト、ニュートン、リルケ、ゲーテ、世阿弥、芭蕉、西田幾太郎、朝永振一郎、シュライアマハー、インガルンデン、ガダマー、フライ、バシュラール、アインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルク、ゲーデルなどの思索とその達成が次々に呼び出され、たとえば物理学における相対性原理や量子力学論、数学における不完全性定理の登場とニュー・クリティシズムにおける多元性・不確定性の創案が共時的に論じられるくだりではなにがなしに(こんな時こそ「ナニゲニ」というのでしょうか?)知的興奮を禁じ得ません。

英米仏独などの重厚な西欧思想に加えて江戸期以前の本邦固有の文化思想および中国、インドなど東洋の歴史的伝統を広く渉猟しながら独自の世界文学観を手中に収めたかにみえる著者がもっとも高く評価した思想家、それはほかならぬ「意識と本質」の著者井筒俊彦でした。

東洋的伝統の最高最良の理解者・継承者である2人の偉大な思想家が並び立つ本書の掉尾に、静かな感動をおぼえない読者はいないでしょう。



♪束の間の命の限りを文芸に捧げつくせり小西甚一 茫洋
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イヴァン・フィッシャー指揮ジ・エイジ・オブ・インライトメント管で「コシ・ファン・トゥッテ」を視聴する

2009-11-05 11:35:11 | Weblog


♪音楽千夜一夜第90回

06年6月にロンドン郊外のグライドボーン音楽祭で行われたモーツアルトの生誕記念演奏です。指揮はハンガリー出身のイヴァン・フィッシャー。

この人のお兄さんのアダム・フィッシャーは、私がドラティのと並んで高く評価するハイドンの交響曲全曲をオーストリア=ハンガリー・ハイドン管弦楽団と入れたり、ハンガリー国立管弦楽団とバリトークの管弦楽曲を録音(2つのバイオリン協奏曲の独奏は今は亡きゲルハルト・ヘッツェルの名演!)したりしている名人ですが、その弟もオペラの達人でこの古楽器による演奏集団をはつらつとドライヴしています。

この古楽器オーケストラは、あのロジャー・ノリントンのロンドン・クラシカル・プレーヤーズを吸収して発展し続けているようですが、聞かされている我々はこの音が果たして17世紀後半から18世紀にかけての啓蒙時代に鳴っていた音の再現なのかなんてわかるはずがありません。

私がこの種のオケを初めて耳にしたのは60年代初めのアーノンクールによるウィーン・コンツェントゥス・ムジクスやコレギウム・アウレウム合奏団でしたが、70年代に入るとホグウッドが創立したエンシェント室内管弦楽団が録音したモーツアルトの交響曲なぞを大枚はたいて買わされて、「もしかすると現代楽器よりもこっちのほうが本物ななのかしら」と思わされてしまったものです。

いまそれらの初期古楽器時代の演奏を聴きなおしてみますと、その大半の演奏内容がこけおどしであり、使用されている楽器の時代考証もいい加減であり、現物が残ってもいない楽器を新規に制作してそれを古楽器と称する輩や、ドボルザークやスメタナまで古楽器で録音する手合いまで登場するに至っては、いったいなにが正しい古楽器演奏なのかを誰も明言することが不可能となり、画期的だったのは「ハイドンやモーツアルトをその当時の楽器で」というコンセプトだけであったことが歳月の経過とともに明らかになってきたように思われます。


下世話にいうならば、アーノンクールもウイーンフィルの指揮棒を一度でもよいからこの手で握りしめたかったからこその古楽器研究であったのであり、ホグウッドも、ノリントンも、ガーディナーもブリュッヘンも、所詮は金儲けと有名目当ての古楽器三昧だったのではないでしょうか。何故か今は亡きデヴィッド・マンローが懐かしい今日この頃です。

大きく脱線してしまいましたが、コニラス・ハイトナーの簡素な演出による「コシ・ファン・トゥッテ」の演奏は、古楽器による現代風モーツアルト歌劇の興業としてまずまずの出来映えです。


♪ただ一日で他の男に乗り換える今も昔もコシ・ファン・トゥッテ 茫洋

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梟が鳴く森で 第2回

2009-11-04 08:46:37 | Weblog



9月5日

中学生の時の時間割

  月   火    水    木    金   土

1 音楽  音楽   音楽   音楽   音楽  音楽

2国語  技術家庭  数学   技家   国語  数学

3体育  技家    養訓   技家   体育  生活個別

4体育  技家   養訓   技家   体育

5生活個別 技家  生活個別 技家   クラブ

6   生活個別      生活個別


9月6日

 停止信号です、暫く、御待ち下さい。暫く、御待ち、下さい。暫く、御待ち、下さい。
 間も無く発車、致します。
停止信号です。ええ、只今。暫く、御待ち、下さい。暫く、御待ち、下さい。 
停止信号です、暫く、御待ち下さい。

9月7日 晴

 横浜線の話。
 前の横浜線は、旧型です。旧型は、黄緑で、電車は、根岸線に、似て、居ます。
 そして、新しい、ステンレスカーに、成りました。ステンレスカーは、新型です。おわり。


晴朗な魂の頬笑みを隠す黒き雲 茫洋
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第106回横須賀交響楽団定期演奏会を聴いて

2009-11-03 10:14:31 | Weblog


♪音楽千夜一夜第89回

まずはシューベルトの「未完成」、次にワーグナーのタンホイザー序曲、最後にブラームスの第3番へ長調の交響曲というラインアップに惹かれて宵闇迫る横須賀までやってきました。

 相変わらずオーケストラは好調を維持し、へぼでダルなN響よりも生気あふれるアンサンブルを奏でていました。が、問題なのはこのオケの常任指揮者(特に名を秘す)の指揮そのものです。古来指揮者の役割は、音楽を開始すること、終えること、その中間部をうまく演奏すること、の3点だとされてきたわけですが、この夜は3つのうちの2つまでが十全に機能していなかったといわざるを得ません。

 この指揮者は、ブラームスの終楽章において、あの見事に書かれた終結部の音楽を音楽の内部において充実し切って終わらせることに失敗し、あろうことかアンコールのハンガリー舞曲第1番の咆哮を代置してなんとか「終わった」ことにするという体たらくでした。これではとてもプロの仕儀とは申せません。(もしかするとアマチュアかも)

ここで唐突ですが、指揮者をピッチャーにたとえてみましょう。普通の指揮者ならストレートをベースにスライダーやフォークやカーブなどを少なくとも2割か3割くらい交え、球種に加えてコースと緩急の変化をつけて打者(曲)と対決するのですが、あいにくこの投手の持ち球は平均135キロ程度の直球しかなく、時折恣意的かつ痙攣的にオケをかわいそうなくらいに恫喝して140キロ台後半の剛速球を投げ込むのです。
ただしコントロールは抜群でつねにど真ん中。「さあ、打ってくれ」とばかり腕も折れよと投げ込むのですが、野球(音楽)の醍醐味ってそんな単純なものでしょうか。

おそらくこの指揮者のカラーパレットには、元気や歓喜や軍隊ラッパやジンタの狂騒、元気はつらつオロナミンはあっても、優雅や抒情や哀愁や孤独や悲傷のひと刷毛もないのでしょう。もっと言い募れば、彼がこれまで生きてきた人生において、脳天に響くフォルテッシモにはなじんでいても、平々凡々たる人生の基底を流れる切実な喜怒哀楽、とりわけ都会の孤独な魂にひそりと語りかけるピアニッシモのはかない美しさなど歯牙にもかけてこなかったのでしょう。こんな単細胞な指導者に率いられた楽員こそいい迷惑です。


事実当夜シューベルトの2つの楽章、ブラームスの4つの楽章のテンポと音の強弱について格別の思い入れがあったとは思えず、あの有名なブラームスのポコ・アレグレットをあれくらい無味乾燥かつ無慈悲に演奏できることにわたしは恐怖と驚異すら覚えたほどでした。

再現芸術の演奏において、私たちは作曲者の生の実質と同時に、演奏者とりわけ指揮者のそれをも耳にしています。だからカザルスの「鳥の歌」に落涙するのです。うろんな生きざまが演奏のひとふしに出るから音楽は怖いのです。

スコアの音符を物理的な音響に変換しようとだけ考えるのではなくて、1828年のシューベルトがどのような絶望とはかない希望のなかでこのロ短調を書いたのか、そして1883年のブラームスがどのような恋に苦しんでいたのか、等々も考えてそれを演奏の解釈に反映し、その曲の背後に潜む作曲家の活きた心模様を聴衆に伝えることが指揮者に課せられた重要な使命ではないだろうか、と思わされた横須賀の貴重な一夜でした。


 ♪いまいちどカザルスの「鳥の歌」聴きたしと横須賀の海岸をさまよう夜 茫洋
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夫馬基彦著「オキナワ 大神の声」を読んで 後篇

2009-11-02 09:00:13 | Weblog
照る日曇る日第307回


さてせっかくの機会なので著者の驥尾に付して南方問題なぞに贅言を費やしてみたいのですが、本書で取り扱われている「琉球弧」は、往古より中国や日本という大国の不当な干渉を受け、政治的な従属を強いられてきました。そして戦後米国からの独立を果たしてからもなお日米軍事同盟のあおりをくらって、その領地の半分が基地によって占拠された状態にあります。

最近日本=大和国の政権の座についた民主党は、普天間基地の移転問題を契機に日米関係の見直しを及び腰で唱えていますが、それならばいっそ沖縄=琉球の側でも、軍事基地を不当に押し付けるヤマトンチュウ政権との関係を根本的に見直すべきではないでしょうか。 
この際数世紀に及ぶ古い隷属の絆を思いきって断ち切って、あわよくば北のまほろばアイヌ政権と手を携えて腐敗堕落したヤマトンチュウ政権から独立し、天皇制なき完全非武装中立を旗印にかつての琉球王国の輝かしい平和と繁栄を取り戻すべきではないでしょうか。そしておよそ1万5千年ぶりに確立された幻の縄文王国は、ヤマトンチュウ政権から多くの亡命者を友愛的に迎えることでしょう。

最後に一点どうしても書き記しておきたいことは、この著者の自閉症や自閉症気味という言葉の使い方です。おそらく著者は、221pの6行目になにげなく記したように、自閉症児者とは、社会や人間との接触を避けて四畳半の個室に自閉的に閉じこもったりする「ネクラ人間の類」と心得ておられるのではないかと想像するのですが、これはとんでもない誤解です。

自閉症は、「病気」や「気質」ではありません。生まれつき脳の機能に何らかの障害を持つ発達障害のひとつです。確かに人や物との変わった関わり方をしたり、他人とのコミュニケーションがうまくとれなかったり、興味や関心が非常に偏っていて同じことを繰り返したがる特徴をもっていたりすることもありますが、「自閉的人間=自閉症者」では断じてありません。晴朗な心の中では、他者と全世界に対してコミュニケーションをしたくて仕方がないにもかかわらず、脳の機能障碍ゆえにそれがかなわない不幸な人たちなのです。
この際、日本自閉症協会のHPなどを検索して、今後の広範な人間理解と旺盛な創作活動のために役立てていただくようお願いいたします。

http://www.autism.or.jp/autism05/rainman20040508.pdf


万国の障碍者団結せよ 偏狭健常者政権を打倒せよ 茫洋



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夫馬基彦著「オキナワ 大神の声」を読んで 前篇

2009-11-01 11:36:38 | Weblog


照る日曇る日第306回


20数年前に著者は宮古島・八重山諸島をひとり歩きしてから「琉球弧」と呼ばれる列島の南の島々に強く惹かれ、ここ何年か毎年年始年末にかけて沖縄本島をはじめ喜界島、沖永良部島、与論島、渡嘉敷島、与那国島などを次々に旅して歩いたそうです。

そうして、それらの旅におけるさまざまな見聞や予期せぬ出会いやあれやこれやの物思いやらを、縒りに縒ってなにやら人懐かしい一球に織り上げたのがこの読み物ですが、読みようによっては旅行記であり、還暦を過ぎた著者の回想録であり、物語をつなぎ合わせた連作長編ともつかぬその独創的なスタイルにまずは驚かされます。

 長い経験と技術に裏打ちされた著者の筆致は型通りの作文作法を完全に逸脱して自由自在に軽快に羽ばたき、もうどのような文藻をどのように取り扱うことも可能になった作家がついに到達した精神の深い成熟、融通無碍の境地を感じ取ることができます。

著者の心身の内奥において、あるときは若き日のインド紀行の心的体験が御嶽(カリマタ)やウガンジョ(拝み所)など南島の霊的な体験と瞬間的に連結し、またあるときはヒッピーの元祖山尾三省ゆかりの人々や偽満州国旅行で知り合った友人たちと時空を超越して、ここ南海の孤島で懐かしい再会を果たすのです。

美しい海や空や樹木や景観に賛嘆を惜しまない著者の目は、それ以上に島に生きる人々や現地を訪れる多彩な訪問者たちとの交歓に向かい、他者=異界への旺盛な好奇心こそがこの作家を根底から突き動かす動因であることをうかがわせます。

 その頂点に位置するのは、本書の表題ともなっている大神島における「大神の声」における正体不明の島の女との交情で、還暦をとっくの昔に過ぎたというのに、わが主人公は、するりと布団の中に潜り込んできた謎の女と、なんと三度も交合し「心底恍惚と」するのです。まことにもって羨ましいとしか評せません。

このように本書では、この文章の書き手が、夫馬基彦という中年のくたびれた作家ではなく、まるで宇宙に向かってぎょろりと見開かれた黒くておおきな不動の瞳であるようにも思われる印象的な個所がいくつかあって、それが著者にとっても読者にとっても望外の収穫というべきなのでしょう。


♪南風吹かば思いは常に帰りゆくわれらの故里常夏の国 茫洋


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