ブロンズ新社刊「かがくいひろしの世界」を読んで
照る日曇る日 第2151回
絵本「だるまさん」シリーズなどで知られる作家、加岳井広は1955年東京都生まれ。東京学芸大学教育学部美術学科を卒業してから千葉県の松戸つくし養護学校、松戸養護学校、船橋養護学校などで28年間に亙って障碍を持つ子供たちとひざを交えて付き合う傍ら、人形劇の公演活動や紙を使った立体造形作品の制作・発表を行いましたが、50歳の時に応募した絵本「おもちのきもち」で第27回講談社絵本新人賞を3度目の正直で受賞し、念願の絵本作家として遅咲きのデビューを飾りました。
以後2009年に病で急逝するまでの4年間に「もくもくやかん」「みみかきめいじん」「おむすびさんたちのたうえのひ」「だるまさん」シリーズ、「まくらのせんにん」シリーズ、「がまんのケーキ」など数々の名作を堰を切ったような怒涛の勢いで世に贈り、遺された16冊の絵本は1冊残らず今なお版を重ね続け、子供たちのみならず大人からも愛されています。
本書は、作家のすべての絵本の原画と未完の作品を公開し、絵本作家かがくいひろしの全貌を伝えると共に、若き日に障碍児教育に全身全霊をあげて取り組んだ加岳井広という類い稀な逸材の限りなく優しい人柄を偲ぶ、昨年11月16日から現在も日本全国で開催中の「かがくいひろしの世界」展のために制作されたガイドブックでもあるのですが、執筆者の中に「飢餓陣営」の主宰者であるジャーナリストの佐藤幹夫氏の名前を見出した時は驚きました。(そういえば「飢餓陣営」の要所要所になんでかがくいひろし名のカットが挿入されているのかと気になってはいたのですが……)
「年齢を重ねるにつれ、人との出会いの尊さを強く思います。掛け値なしの盟友、かがくいひろしと過ごした10年は、私にとってひときわ印象深く、かけがえのない時間でした」と書き出されたそのエッセイを読むと、20代半ば過ぎに養護学校の新人教員として苦楽を共にした青春真っ盛りの貴重な体験が、その後の佐藤&加岳井両氏の華々しい活動を生み出した源泉であったことが伺えるのです。
それにしても天が少なくともあと3年、いな1年の寿命を彼に与えたならば、「ぼったんぼたもち」をはじめ「おむすびさんちのものりのひ」「ぞうきんがけとぞうさんがけ」「だるまさんかるた」「ふーとん」「たんたんめん」「いねむりソフトさん」「快便ウンコマン」「あかりをつけまーす」「うまじろうはしる」「ふゆのおとずれ」などいくつもの傑作絵本が世に出たのにと思うと、悔しくて悔しくてなりません。
最後に本書のいかなるページの図版よりもわたくしの心に響いたのは、養護学校の先生をしていた作者が重度障碍児をスケッチした似顔絵で、その絵を見ていると、いかに加岳井広氏が自分の教え子たちを愛していたのかがしみじみと伝わってきて、彼が大好きだったフェリーニの「道」におけるピエロがジェルソミーナを慰める科白「どんなものにでも、例えばこの小石にも存在する理由がある。それがなければすべての存在理由がなくなる」を思い出さずにはいられません。
インフルに罹っていないかも知れぬ鶏たちを皆殺しにするな 蝶人