あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ドナルド・シーゲル監督の「突撃隊」を見て

2010-11-15 06:55:21 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.49

1961年制作のモノクロ映画だが、注目に値する戦争映画である。

1944年の独仏国境のジークフリート線で戦闘を続ける米軍の2個小隊が主人公。帰国できるという噂が流布されていたが、一転して最前線に投入されることになり、ふたたび死地に赴く米軍兵士の孤独な局地戦をじっくりと描いて見る者の耳目をくぎ付けにする。

おそらくこのような局面に遭遇すれば誰もがこのような恐怖と絶望と無我夢中の殺人行為の世界に蹂躙されるほかないであろうと思わせるクールなタッチが空恐ろしい。ことにも恐ろしいのは登場した瞬間から狂気と死の気配を漂わせるスティーヴ・マックイーンの底光りする存在感とあちらの世界にいってしまったような迫真の演技。

結局彼は18キロ爆弾もろともドイツ軍のトーチカに身を投じて壮絶な自爆を遂げるのだが、これほど救いのない、しかしそれゆえに戦争の無意味と無惨さを伝える映画も数少ないだろう。全篇をひたひた覆い尽くす激烈なリアリズムとセットになった

死とニヒリズムの忌まわしき祝祭。さすがペキンパーとイーストウッドが師と仰いだ名匠ドナルド・シーゲルの作品である。

政治家の使命とは国民の利害から遠ざかっても普遍の正義に殉ずることである 茫洋

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鏑木清方記念美術館で「鏑木清方と官展」を見て

2010-11-14 09:25:38 | Weblog


茫洋物見遊山記第47回&鎌倉ちょっと不思議な物語第234回


鏑木清方記念美術館は観光客でにぎわう小町通りを一本入った閑静な住宅街の中にあります。どうしてそうなのかというともともと小町は30年前までほとんど人気のなかった宅地でその一角に鏑木清方が住んでいて、死後遺族によって市に寄贈されたまさにその場所が記念美術館になったというわけです。

瀟洒な生垣と植え込みが並ぶエントランスを傘をさしながら歩んでいくと、その先に美術館があるとはとても思えない典雅な風情です。玄関から入ってすぐ右が当時のままに再現されたアトリエになっていて、いますぐにも画家本人が姿を現しそうな気がします。

この日狭い会場に飾られていたのは明治40年(1907)に始まった文展に出品された「慶喜恭順」や「黒髪」「ためさるる日」などでしたが師である永野年方を描いた「先師の面影」が作者の敬慕と尊崇の念を伝えて見事な出来栄えでした。

なおこの美術館では画家の数多くのスケッチを備え付けの保存箱から自由に引き出して観賞することができます。無人の会場で久しぶりに小一時間ゆっくりと日本画を眺めて、ああここはいつ来ても江戸から明治の俤が残っているなあと思いつつこていな庭を見やると、ホトトギスの花が雨に打たれて咲き誇っておりました。

裏銀の裏を見せつつ飛びにけり 茫洋
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オバマ大統領が来る前に「鎌倉大仏」を見る

2010-11-13 10:14:47 | Weblog


茫洋物見遊山記第46回&鎌倉ちょっと不思議な物語第233回

高さ11メートル余の大仏で有名なこの場所は、じつは高徳院という浄土宗のお寺なのですが、開山、開基ともに不明です。その証拠に境内の奥には観月堂という小さなお堂があるのですが、あまり参拝する人はいないようです。
この大仏は、源頼朝の侍女稲多野局が思い立ち、僧浄光が民衆の浄財を募って歴仁元年(1238)に着工し、6年後に完成しましたが宝治元年(1247)大あらしで倒壊し、建長4年(1252)に現在の青銅像が鋳造され、大仏殿に安置された、と「東関紀行」などの物の本には書いてあります。

ところが、その後大仏殿は2度の台風で倒れ、その都度復興されたものの、明応7年(1498)に大津波で流されてからは露座の大仏としておよそ半世紀にわたって雨風にさらされているのです。それでなくとも環境の悪化が懸念される昨今、おそらく数十年度にはみ仏のお肌はぼろぼろに侵害されて現在の端正な容姿とシルエットの美しさを失うに違いありません。

現場を歩いて足元を見ると数多くの巨大な礎石に驚きますが、この立派な大仏殿を一夜にして由比ヶ浜に押し流してしまう大自然の猛威にはもっと驚かされます。大仏を鋳造した仏師は大野五郎右エ門と丹次久友、宋の影響を受けていますが、当時としては最高水準の工法で造られているそうで、だから鎌倉が半壊した関東大震災でも倒れなかったのでしょう。

観月堂の傍、栴檀の樹の下に立つ与謝野晶子の「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」の歌碑を一瞥したらもうここには見物すべきなにものもありません。広島長崎を訪問すればいいのに、なぜか山口県警が厳重に警備する当地をめざす米国の大統領はいっとき政争を忘れて、少年時代の甘き冷菓の懐旧に浸りたいのでしょうか。

以上例によって「鎌倉の寺小事典」などを参考にさせていただきました。


その夏の日少年はアイスを嘗め嘗め御仏を見上げた 茫洋
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トマス・ピンチョン著「逆光上巻」を読んで

2010-11-12 09:26:25 | Weblog


照る日曇る日 第384回



新潮社から全集が続々ではじめたからには手にとらずにはおられないピンチョン。

さきの「メイスン&ディクソン」はあまり感心しなかったが、こちらはまだ半分読んだだけだが仰ぎ見るK2のような、小説という名の一大巨峰。書きも書いたり862パージの難攻不落のでこぼこの山道を、こちとらは読むだけではあるが、あえぎあえぎ登っていけばはるかなる雲の谷間から次第次第に20世紀の幕が開いたばかりのアメリカが、ヨーロッパが、アジアが、そして現代に突入したばかりの全世界の文明の様相、人々の暮らしの断面が東方のあけぼの最中からああ堂々の姿を現してくる。

鉱山で暴発するダイナマイト、資本主義の興隆と激烈な労使の対決、暗殺される無政府主義者を尻目にアメリカ大陸、大西洋から太平洋、ベネチア上空を乱れ飛ぶ謎の水素飛行船<不都号>。砂漠の下を走破する地底船。暗躍するスパイと科学者と四元数主義者、サーカスと旅芸人と燃え盛る大恋愛。眼には眼を、歯には歯を。まもなくバルチック艦隊は撃滅されるだろう。

物語はより重層的な物語を孕みに孕んで怒涛のように下巻に突入する。これぞ小説の中の小説。すごいぞトマス・ピンチョン! それゆけピンチョンどこまでも!

千人の魔女連行し拷問したりガンビアのジャメ大統領 茫洋
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雑賀恵子著「快楽の効用」を読みながら

2010-11-11 09:48:00 | Weblog

照る日曇る日 第384回

私の郷里の旧家の冬の朝餉はいつも芋粥で、七人の家族全員が長幼の順で鍋底に杓文字を突っ込んで米に溶解したとろとろの芋を飢えた獣のように奪い合うのだった。おやつなどはなく、毎日与えられるアルミ貨の一円を原資に駄菓子屋で壱枚のチュウイングガムを購ってさぶしい口を慰めるのだった。

小学時代の勉強机がみかん箱という貧乏な家に育った少年の最高の楽しみは、病気やけがをしたときにあてがわれる駅弁と砂糖だった。駅弁は何鹿郡の銘品であり、砂糖はグラニュー糖もしくは茶色い岩石のような形をした粗糖のかたまりで、その口腔に溶けいる絶妙な甘さが、三九度の高熱を忘れさせるのだった。薄い板ガムやひと匙の砂糖は、私のつらく平板な日常の一角を一瞬にして突き破る至高の嗜好品であったことは間違いない。

 また成人してから二七歳の新婚旅行で奈良ホテルに宿泊した記念すべき夜まで重度のニコチン中毒に苦しんだ私は、単なる口すさびであったはずの煙草が人生を破壊する猛毒であると体感させられたものだった。

 本書はこのように魔術的かつ麻薬的な効用を持つ砂糖や煙草やチョコレートなどの嗜好品を次々に俎上に載せ、その来歴や成分や産業社会的な役割や、われらの人生のさなかにおいてそれらがどのような意味、あるいは「無意味の意味」を持つのか、について、ある時は口腔で軽やかに弄びながらクールに、またある時は美しい眉を少しひそめながらアカデミックに、またあるときは夢見るサッフォーのように物憂げに歌うのである。

文武両道ならぬ文理両方面に該博な知識と教養を有する著者は、例えば煙草ひとつをとりあげても、それが恰好の気散じであるのみならず、戦時の強制収容所などでは迫りくる死の恐怖を一時的に宙づりする迫真的な紛らわしであり、男のロマンの象徴であり、アメリカ先住民にとっては宗教的な儀式の重要な道具であり、医薬品でもあったことどもを、ハワードホークスの映画『コンドル』や大岡昇平の『野火』などを自在に引用してゆるゆると語る。

よく「神は細部に宿る」というが、とかく正則よりも変則、メインよりはサブ、「三度の食事」よりも「三時のおやつ」のほうが「三時のあなた」や「三児の貴方」の真相を浮き彫りすることが多い。そしてその何よりの証拠が、“科学する女流詩人”によるこの最新作なのである。


今は昔烏瓜色の頬したる少女ありき 茫洋
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サム・ペキンパー監督の「ゲッタウエイ」を見て

2010-11-10 10:50:34 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.48

1972年にサム・ペキンパーがスティーヴ・マックイーンとアリ・マッグローを起用して撮ったこれまた銀行強盗のお話です。同じ銀行強盗物でもさすがにノーマン・ジェイソンの「華麗なる賭け」のよた話とは違って骨太のドラマに仕上げているのはさすがです。

はじめってこの映画を見たときはショットガンを乱発するマックイーンの銃撃シーンの凄まじさに衝撃を受けましたが、今回はまるで印象に残りませんでした。ペキンパーが先蹤となった当時の過激描写は30余年の歳月を閲して衛生無害のアクションシーンへ昇華されたのでしょう。

今回改めて観賞して気付いたのは「男女の愛の試練」というこの映画の主題です。マックイーンを監獄から出すためにマッグローが払った肉体の代償をめぐる夫婦のいさかいと精神的なダメージは延々と続き、ようやくラスト近くなって曙光が差し始めるのですが、ペキンパーらしからぬこのハッピーエンディングに対して、マックイーンがクレームをつけたというのは分かるような気がします。

「ゲッタウエイ」とは牢獄からの脱出であると同時に、疑惑と嫉妬と憎悪からの離脱の物語でもあるのです。


秋冷に堪え咲き誇るなり薔薇一輪 茫洋
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ノーマン・ジェイソン監督の「華麗なる賭け」を見る

2010-11-09 08:46:58 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.47

ノーマン・ジェイソンなんて知らないがスティーヴ・マックイーンがフェイ・ダナウエイーと共演した沈妙なラブ&サスペンス映画。

すでに億万長者である切れ者実業家のマックイーンが己と腐敗堕落した世の中に活を入れるべく銀行強盗を敢行しまたまた巨萬の富を手に入れる。あわや完全犯罪かと思われたこの難事件を解決するために立ち上がったのが特別金融探偵の美女・ダナウエイちゃん。

はじめは厳しく犯人を追及していたが途中からは本気で好いた惚れたの間柄となり、さあさあ愛をとるか正義を選ぶかの世にも厳しい2者択一の時がやってくる。

そして最後の最後やはりいっちゃんかっこいいのはマックイーン選手でしたとさ。こういう定型的なお話を映画と呼んでいた時代はいまや遠い遥かな昔となりにけり。


2つのアジアが遊曳する地政学的亜細亜と観念的亜細亜と 茫洋

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鎌倉文学館で「川端康成と三島由紀夫展」を見て

2010-11-08 17:11:13 | Weblog
茫洋物見遊山記第45回&鎌倉ちょっと不思議な物語第232回


秋薔薇が咲く旧前田侯爵邸で「伝統へ、世界へ 川端康成と三島由紀夫展」を見物しました。自裁して果てた文学者たちの遺業を偲ぶ特別展です。

よく知らなかったのですが、この2人は生前非常に仲の良い友人だったらしく、お互いの作品に対してエールを送った書簡や原稿などがたくさん展示してありました。日本古来の文化や伝統に対して深い造詣と関心を懐いていた2人ですからそれも当然と言えば当然でしょう。

三島はその最晩年に「楯の会」のデモンストレーションに立ち会ってくれるよう再三誘ったようですが、さすがに川端はそこまでは足を踏み入れず、肝胆相照らしたご両人もさすがに政治思想においては完全な同化はしなかったようです。しかし三島を喪った川端の衝撃は大きく、1972年4月16日の逗子マリーナでの自死になんらかのつながりがあったかもしれません。(私は小説が書けなくなったことがこの2人の自殺の原因と考えていますが)

生原稿をつらつら眺めていて思ったのは三島の筆跡の素直な美しさと川端の毛筆のデコラティブな醜さ。とりわけ墨痕も生々しく大書された「美しい日本」なる書は5秒と正視できない気色の悪さでした。


美しい日本は心でひそか思うもの「美しい日本」などと大書する恥ずかしさ 茫洋


*「川端康成と三島由紀夫展」は12月12日まで開催中


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鎌倉国宝館で「薬師如来と十二神将」展を見る

2010-11-07 11:10:28 | Weblog


茫洋物見遊山記第44回&鎌倉ちょっと不思議な物語第231回

鎌倉の大町の辻薬師堂に置かれてきた薬師如来と十二神将像の補修が終わったことをことほぎ、それらを一堂に集めた展覧会がひらかれています。14年の歳月をかけて修理された仏像たちはこころなしか嬉しそうな顔をしてわたしたち見物人を睨みつけておりました。

展示品のうち覚園寺の「十二神将立像」など4件10点が国県重要文化財に指定されています。インド、中国、そしてわが国の仏教や民間信仰、十二支などの諸宗教思想が混淆されてデザインされた護教の守護武将たちは、思い思いの姿勢でおのれの献身のほどを見せつけていますが、建築物としての価値や完成度は、平安、鎌倉、南北朝、江戸時代と下るにつれて下がってくるようで、芸術の進化が時代と比例しないことのよき見本となっています。

しかしさらに屁理屈を拡大して、現代美術や最新の超高層ビルジングなどまるで無価値で、美術も書も芸術も建築も古いものほど値打ちがあるとすれば、ではその古さの優位性や芸術的価値をどこまでさかのぼれるかという話になりますが、とりあえずは縄文の土器や出雲大社で行き止まりということになるのでしょうか。

それはともかく江戸より室町、室町より鎌倉とあきらかに品が下る十二神将像を眺めながら、今日の私たちの時代との隔離隔絶を思ったことでした。

*同展は11月23日まで開催中。

芸術の価値とは内蔵する真善美の深さと大いさで測られる 茫洋


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「2001年宇宙の旅」を見て

2010-11-06 10:11:19 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.46

スタンリー・キューブリックがアーサー・C・クラークとの協働脚本でプロデューサー、特殊撮影監督を兼ねて製作したこの映画は、何回見ても難解な作品です。

猿たちの前に突如出現した巨大なモノリスという石碑だか鉄板だかは一体何なのか。400年前には地球にあったものが、今度は月で発見されたのはどういう訳か。そのモノリスの前で記念撮影をしようとして頭痛に襲われた科学者たちはその後どうなったのか。(そういえば新宿副都心にモノリスというビルがあるなあ)

また月で発見され、木星に向かって強烈な磁力を放つとかいうこのモノリスは生命体なのか。そのモノリスがどうして木星付近に現れて惑星直立の仲間になっているのか。もしかするとこの鉄板野郎こそは人類、いな宇宙創造の原器のような存在なのかもしれません。

人類初の木星探査船に備え付けられたIBMならぬHALコンピューターがどうして人知を凌ぐ知性や感情を身につけ探検隊のスタッフを殺戮したり、追放しようとしたのかも謎に包まれています。
HALをやっつけようとした隊長は最後にどうなったのか。末期の目に焼きついた夕焼け小焼けのカラースペクトラムは一体何なのか。小型捜査船が安置された白い部屋の出来事は一体何を意味するのか。そうして冒頭で鳴らされたカラヤン指揮ウイーン・フィルによるR・シュトラウスの「ツアラストラかく語りき」と共に出現した巨大な赤ん坊が象徴するものは何? もしかして探査船のボーマン船長のうつし世の仮姿?

謎は謎を呼んでこのままではとうてい終わりそうにない映画を締めるのはやはり音楽でした。動物の骨が武器となることを知った猿が大空に放り投げた骨片が落ちてくるとそれが同じ形をした宇宙船に変わり突如ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」が優雅に奏されるシーンは映画史に残る名場面でしょう。疾走する宇宙船のBGMに使われているリゲティの音楽も素晴らしい。ハーディー・エイミスのデザインによる宇宙服も美しさの限りです。


N響の下らぬ演奏に熱狂す見知らぬ人のうらやましくもあるかな 茫洋


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ラッセ・ハルストム監督の「ショコラ」を見る

2010-11-05 08:44:45 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.45

監督がどうこういうよりも、まあジュリエット・ピノシュ主演の映画です。

かつてゴダールに見出されたピノシュは、どこまで成長するのかと期待を抱かせましたが、はじめは処女の如く終わりは脱兎の如しとはよく言うたもの。堂々たるハリウッド映画で主演をとる立派なチョコレートおばさんになりました。まずはめでたし、めでたし。

フランスの寒村にふらりとやってきた親子連れが、ちょいとお洒落なチョコレート菓子屋さんを開く。ところがその村を統べる村長はがりがりの禁欲派のカトリック。教会にもいかずジプシーのようなフリーター集団と仲良くする自由派のピノシュちゃんをことごとに弾圧します。

一時はめげて脱出逃走を図った彼女ですが、心ある少数派の支えと甘いショコラの禁断の味を武器に、とうとう保守頑迷で冷たい村人たちの心を溶かすのでした。パチパチ!

なおこの映画のお話によれば、トウガラシの入ったチョコレートには萎えた男の欲情を強烈に刺激する効用があるようですが、どこかで通信販売すれば爆発的に売れると思います。近頃人気のジョニー・デップもピノシュの相手役で出ているようですが、いったいどこがいいのかさっぱり分からない俳優です。


青山の高級マンションのバスの中白き骨となりし美人モデルよ 茫洋

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スパイク・リー監督の「インサイドマン」を見て

2010-11-04 09:10:04 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.44

デビューしたての頃のスパイク・リーはハリウッドのユダヤ系白人文化とはまったく無縁の異界の地底人が土足で映像世界に乱入してきた感があって、1982年の「ジョーズ・バーバー・ショップ」は映像のつくりや文体は乱暴だがそれがかえって新鮮に思えたものである。

その後着々と地歩を固めた彼は、89年には「ドウーザライトシング」、92年には「「マルコムX」を撮った。これらはまさに彼の出自とその文化的特異性をフルに発揮した作品ではあったが、私は映画の内容以前にその政治的アジテーションが鼻に付き、この人は映画監督より政治家にでもなればいいのにと思って、長い間放置していた。

ところが先日偶然目にした「インサイドマン」という映画の監督が彼だったので、その後のスパイク・リー選手はどのような展開を遂げたのであろうかと興味津々で見物してみたのでしたが、いったいこれはどういう映画なのか。

もちろんニューヨークの銀行強盗のお話ではあろうが、手口は映像で説明していても動機や背後関係は最後まで不明であり、リー選手がナチ協力者である銀行の頭取や金融資本、司法行政の権力者共に対して非友好的な態度を堅持していることはうすうす分かってもだからこの映画の落とし前をどうつけるんだ、と私が怒鳴ったときにはデンゼル・ワシントンを主役にギャラだけが高いジョディー・フォスターなども起用した鳴り物入りのハリウッド映画はすでに終了していました。これほど龍頭蛇尾の作品も珍しいでしょう。

不幸なことにスパイク・リーはいたずらに馬齢を重ねているようです。


♪馬齢なら俺だけで十分じゃと茫洋いい

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ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」を見て

2010-11-03 10:03:49 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.43

ポーランド生まれで家族そろってナチスドイツにひどい目にあったポランスキー監督が己の辿った受難の歴史を深く噛みしめるようにして描き出した反戦映画です。

自伝ではなく、あえて同じポーランド出身のユダヤ人ピアニストの自伝を原作に借用しているのは、それがドラマにふさわしい劇的なエピソードを備えていることと共に、自分史をストレートに映画にすることにためらいがあったからでしょう。ポランスキーはシャイな人なのです。

私はそんなポランスキーという人を嫌いではありません。シャロンテート事件や幼児暴行疑惑を持ち出すまでもなく、この人物には暗い疑惑と深い謎が秘められているようで、その奇妙に屈折した彼の個性がすべての作品に微妙に反映されています。例えば「赤い航路」におけるマゾヒズムへの傾斜はその好例でしょう。

そういう意味ではデヴィッド・リンチやデニス・ホッパー、オリバー・ストーンなどにちょっと似たタイプかも知れません。彼自身も、アラン・レネのような正統派監督ならいざ知らず、正統的な反戦映画など絶対に撮るまいと決意していたのではないでしょうか。

様々なスキャンダルに追われて金と仕事に困った変態派監督が、イチローのように狙い澄ましてはなった場外ホームラン。それが見事に2002年のカンヌでパルムドールを獲得したのでしょう。

しかし映画は1時間半が基本の作法。映画名人をめざすならいたずらに2時間以上の映画を作ってはいけません。デレクターズ・カットなんてみな愚の骨頂です。ここぞという泣かせどころでショパンを鳴らすというのもちょっと平仄が合いすぎる恨みがあります。

いや別にナチのユダヤ人狩りが正しいとか、ポーランドの人たちのワルシャワ蜂起にけちをつけるつもりは毛頭ありません。ナチの暴圧に堪え凌ぎ、一家離散の悲劇を懸命に生き抜いた実在のピアニストの過酷な生涯には敬意を表するにやぶさかではありませんが、私はこの手のテーマの反戦映画には「主題としては食傷気味である」と一言申し上げたいのです。


正論を清く正しく吐く人のなぜかそれほど美しくはなし 茫洋

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ブリジット・バルドーの「気分を出してもう一度」を見て

2010-11-02 08:40:02 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.42

ミシェル・ボワロン監督のどうしようもなく下らない1959年のコメデイ作品。ゆいいつの取り柄は当時売り出し中のBBの軽やかなマンボのステップとキュートな美貌と肉体を拝めることくらいか。

しかし当時は次元の低いどたばたやお笑いやスリルトサスペンス?を振りまいてよしとするこの種の映画が、世界の映画界の主流であり常識だった。そしてこの「映画はこうしたもの」という旧態依然たる常識を果敢に打ち破ったのが、バザンやトリュフォーやゴダール、ロメールなどのヌーヴェルバーグだった。

1963年に製作されたゴダールの「軽蔑」と、本作におけるBBの描かれ方の違いに驚かない人はいないだろう。
ある意味ではそんな映画革新運動の絶好の標的あるいは反面教師となった点でのみ歴史的な意味を持つ映画といえるかもしれない。

原題は「VOULEZ-VOUS DANSER AVEC MOI?」。これを「気分を出してもう一度」と意訳した映画配給会社のセンスは素晴らしい。


どんな下らなき映画にもひとつ二つはとりえがあるもの 茫洋
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モラヴィア&ゴダール監督の「軽蔑」を見る

2010-11-01 08:47:48 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.41


男のさすらいの人生の頼りの綱は女性です。もしも愛する女性に軽蔑されたら、男なんてどうやって生きていったらよいのか途方にくれてしまうでしょう。漂流しながらおんおん泣いて、ついでに海に飛び込んで死んでしまうしかないでしょう。これがこの小説の主題です。おそらくモラヴィアの実際の体験と女性観がこのテーマに色濃く反映されていることは間違いありません。

 しかしこの軽蔑はいつ、どこから女の心の中にやってきたのか。それがいまひとつ最後まで読者にはよくわからない。というのは男自身もよくわからないからで、主人公がわからないのは作者がわからないからで、モラヴィアは別れた元女房の謎をわかろうとしてこの心理思弁小説を書いたのですが、苦労して書いてみても結局はよくわからなかったのではないでしょうか。

 モラヴィアは仕方なくホメロスの「オデッセイア」におけるオデッセウスとペネロペの関係をフロイト的に論じ、この単純明快な問題をペダンチックに取り扱おうとします。つまりペネロペに言い寄る男たちに寛容な態度を示したオデッセウスをペネロペは軽蔑していて、それが嫌さに7年もの間故郷イタケに寄り付かなかった。夫が妻の愛を取り戻せたのは求婚者どもをオデッセウスが皆殺しにしたからだ、などと唱えるのですが、こういう暴力をこの小説の主人公が振るえるくらいなら、そもそもこんな哀れな境遇に陥っているはずもないのです。

 実は主人公があまりにも草食系のインテリゲンちゃんであるために優柔不断過ぎて、妻の危機を体育会系の男からちゃんと守ってやらなかった、というよくあるとってつけたような解説も飛び出てくるのですが、どうもそれだけでは説明できない事情がどこの夫婦にもあるのです。ともかくこの小説の無残な失敗は、最後のおちの付け方を見れば一目瞭然でしょう。

 このモラヴィアの原作を、1963年に映画にしたのがジャン・リュック・ゴダールです。悩める脚本家には名優ミシェル・ピッコリ、辣腕プロデューサーにゴリラ男のジャップ・パランス、フロイト流の「オデッセイア」を論じる映画監督には名匠フリッツ・ラング、そして単純な精神と見事な肉体の持ち主であるヒロインにはブリジット・バルドー、という豪華なキャステイング、それにカプリ島の風光明媚をあざやかに駆使して、彼一流のわかったようでわからない演出を繰り広げているのですが、これこそモラヴィアの世界にもっともふさわしい「絵解き紙芝居」だったかもしれません。

 けれども今回この映画を再見して何よりも驚かされたのは、室内のインテリアのおしゃれでシックなデザインと配色の美しさでした。おそらくゴダールほどファッションに敏感な映像作家はいないでしょう。(かの「ドイツ零年」を見よ!)
カプリ島のロケにしても青い海と空、白と茶色の別荘の絶妙な対比がラングの幻の映画「オデッセイア」を立派に顕現させています。ブリジット・バルドーを容赦なく全裸にひんむいて当時の彼女の唯一の魅力であった桃色の尻をもっとも効果的な美術意匠として使い倒したのもゴダールのお手柄でしょう。

そして映画のラストで、この物語の定型的な落とし前としてやって来る自動車事故も、1971年のゴダールの運命的なバイク事故を予見しており、また1963年の「軽蔑」のラストシーンは、来るべき1965年の傑作「気狂いピエロ」のランボオ的終幕の穏やかな前章曲となったのでした。


ランボオが海の彼方に見つけた永遠をラング=ゴダールの「オデッセイア」に見る 茫洋


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