あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

中野雄著「指揮者の役割」を読んで

2011-11-15 10:44:26 | Weblog

照る日曇る日第464回

欧州の三大オーケストラ、すなわちウイーン、ベルリン、コンセルトヘボウを中心に指揮者に課せられた役割について論じる著者の言葉は、夥しいライブの鑑賞者、世界の楽壇との交流、そして長年にわたるレコード企画製作者ならではの実体験に基づいているだけに、凡百の音楽ひょうげものの言説と違ってきわめて含蓄に富む。

冒頭、筆者はマエストロ(巨匠)と呼ばれてその生涯を全うするためには、1)強烈な集団統率力2)継続的な学習能力3)巧みな経営能力4)天職と人生に対する執念の4つの条件が必要であると説くあたりは全く当たり前の話ではないかといささか鼻白んだが、個々具体的にオケや指揮者の実態を鋭く抉りだすに至って語りはぐんぐん熱を帯び説得力を増す。

上記の4つをクリアーしているからといって指揮者の音楽性の高さの証明には全然ならない。その好例が小澤征爾であり、彼がウイーン国立歌劇場の音楽監督に就任できたのはトヨタが毎年拠金している四十億円!の貢献への見返りではないかという説は、楽壇の裏事情に暗い私にも充分に頷ける。

彼のウイーンフィル新年コンサート上演に際しては、いくらあがいてもウイーン訛りの音楽が出来ず、リハーサルで某コンサートマスターに手取り足取り教えてもらった、という噂もむべなるかな。その無惨な演奏を記録したCDがわが国では何故かベストセラーになったそうだが、近来あれくらい凡庸なコンサートもなかった。

小澤の師は斎藤秀雄だが、彼の指揮法は父秀三郎の英文法解釈を音楽に適用したもので、音を名詞や動詞や形容詞などと同じように細分化された音素に還元し、その音素の特性を演奏に反映しようという要素還元主義に立脚している。だからひとつひとつの音は音符通りに正確無比に表現されるが、音素と音素が連鎖して展開する音楽の有機的な流れの精神的な意味は等閑視される。福岡伸一の生命論を援用すれば、音楽は流れの中の淀みにあり、その音楽を微分積分して分けることは、音楽を殺すことになる、のである。

もちろん小澤とて再現音楽の本質が指揮者の脳内に確立されたその曲のイデアにあることは熟知しているのだが、いかんせん彼の前頭葉で生産された音楽像自体が貧弱な代物なので、それをいくら世界一の音楽テクノクラート(例えばサイトウキネンやN響)が精巧無比に再現してもなんの芸術的感銘も放射せず、いたずらに空虚な音塊に堕すのである。

ああ、またしても脱線してしまった。が、本書は珍しくもメンゲルベルグの衣鉢を継いだコンセルトヘボウの名指揮者ベイヌムやハイテインク、そしてわが偏愛のコンサートマスター、ヘルマン・クレバースについて詳説し、彼らの音楽について新しい光を当てた労作である。


逝くときは私がいや俺が息子を道連れにと争う夫婦ありて 蝶人
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アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の「父、帰る」を見て

2011-11-14 15:53:00 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.168

こちらは2003年に製作されたソ連ならぬ現代ロシアのカラー映画ですが、コッダックのフィルムを使っていながらモノクローム調の映像が素晴らしく透明で見事に調律された照明と相俟って独特の映像空間を造形することに成功しています。

母一人男児二人の母子家庭に突然長い間行方を晦ましてした父親が帰還し、なにやら不穏な雰囲気が漂う。やがてその謎めいた男が久闊を叙すべく、徒と父と子の絆を回復するべく二人の息子を連れて離れ小島で魚釣りをしに出発するのですが、ここからさまざまな行き違いが生じて、とうとう思いもかけぬ悲劇に発展してしまう。

幼い少年たちにとって初めての父親との水入らずの旅が、生涯で二度と忘れられない残酷な思い出を鋭いナイフのように刻むのです。それまで頼りなかった長男が不慮の事故で父を喪った直後から、あたかも父親に成り変わったように雄々しく逞しく変身するのがことのほか印象に残りました。

菊池寛の「父帰る」やバイブルの「父帰る」とはだいぶ違うお話でした。


嫌嫌嫌嫌嫌嫌ああと叫んでいました 蝶人
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アンドレイ・タルコフスキー監督の「サクリファイス」を見て

2011-11-13 14:16:45 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.167

1987年に製作された偉大な偉大な監督の遺作です。第3次世界戦争の勃発で人類滅亡の危機に直面した主人公の恐怖と絶望、そして精神の危機からの自己犠牲による劇的な転生を描いている、といえばなんだかもっともらしいが、私にはどうもよく分からない。

この未曽有の危機に直面した無新論者の男が、神への信仰に目覚め、愛する者たちを守るためにすべてを捨てて犠牲を払うと神に誓うところまでは理解できます。

タルコフスキー専売特許の水が流れたり、登場人物が突然昏倒したり、空中遊泳したりするのはいっこうに構わないのですが、主人公が、その願いを実現するためには、魔女である召使のマリアと寝る必要がある、とニーチエの永劫回帰を説く郵便配達からそそのかされ、思い切ってそのようにすると核戦争が回避され平和が訪れる、という荒唐無稽のお話には、いくらなんでもついてゆくことができません。

ひところのような全面戦争と核戦争への脅威がうわべだけにもせよ一歩後退したかにみえる現在から見れば、これをタルコフスキーの狂気と思いこみから生まれた幻想譚と評し去ることも可能でしょう。なにゆえ男の祈りを神が嘉し給うたのかは、それこそ神と監督のみぞ知るという不可解な映画です。

けれども、この映画の冒頭で主人公が「枯れ木に毎日3年間水を与え続ければ花が咲くであろう」という教えを我が子に教え、最後に息子がその遺言を忠実に実践しているシーンになると、私は日本のある障碍者施設で、雨の日も植物に水やりをしていたという愚かで無垢な少年の姿が胸に迫ってくるのです。


私たちは、バッハのマタイ受難曲の「憐れみたまえわが主よ」のアリアと共に植えられた枯木にいつか満開の花が咲く日を、いついつまでも待ちたいと思います。




いつか来る枯れ木に桜咲く朝が  蝶人
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横浜銀行由比ヶ浜支店跡を訪ねて

2011-11-12 14:34:51 | Weblog


茫洋物見遊山記第70回&&勝手に建築観光第45回&鎌倉ちょっと不思議な物語第250回&


鎌倉文学館ツアーの途中で、窓や外装に施したアールデコ風のデザインが印象的な、古くて懐かしい小さなビルジングに出会いました。ちょうど芥川龍之介が亡くなった昭和二年に建てられた横浜銀行由比ヶ浜支店です。昭和一二年に死んだ中原中也もきっとこの銀行を利用したことでしょう。

このビルは大佛様に向かう道など五本の交差する場所に立っていて有名な長谷の六地蔵もこの近所にあり、この界隈のちょっとしたランドマークの役割を果たしています。

私のなけなしの貯金はぜんぶ横浜銀行に預けてあります。こんなお洒落なオフィスなら、駅前からざわざわここまで足を運んでも利用しても構わない、とさえ思うのですが、残念ながら現在はその名も「ザ・バンク」というバーに姿を変えてアルコールを一滴たりとも口にすることを医師から禁じられている私には無縁の存在と化しているのはちょっと残念でした。

鎌倉でお洒落な銀行といえば、お洒落とは無縁なビジネスを展開している三井住友銀行が、最近若宮大路にモダンな外装の支店を開設したのですが、よくよく見ればそれは倒産したラルフローレンの直営店。おされと言わんよりは、弱肉強食を地でいく買収劇の残骸なのでした。


鎌倉では生き残れなかったねラルフローレン 蝶人
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芥川龍之介の借屋跡を訪ねて

2011-11-11 10:41:55 | Weblog


茫洋物見遊山記第69回&鎌倉ちょっと不思議な物語第249回


由比ヶ浜の下宿の後で芥川が居を構えたのは若宮大路をはさんで遠く離れた由比若宮(元八幡神社)の傍らでした。

由比若宮は鶴岡八幡宮の前身で、前九年の役で奥州を鎮定した源頼義は、康平六(1063)年に石清水八幡宮を源氏の守り神として当地に勧請し、治承四(1180)年に頼朝が新たな社殿を現在地にまで移転するまではここが源氏の本拠でした。

現地を訪ねてみると赤い鳥居の神社の境内にはイチョウなどの巨木が高くそびえ、狭いながらに歴史と風格を感じさせてくれます。

大正七年、新妻の塚本文と共にこの若宮の近所に居を構えた龍之介は、教職を辞して創作に専念しましたが、翌八年には東京の滝野川(学生時代に私も住んでいたことがあります)に引越し、二度と帰らぬ死出の旅路に向かったのです。

「芭蕉が軒をさえぎったり、広い池が見渡せたり」する龍之介の借屋は、ある実業家の広大な別荘の中にあって八畳、六畳、四畳半に湯殿と台所がついた家賃八円未満の一軒屋で、短い間でしたが新婚夫婦はこの寓居で「泰平無事に」暮らしていました。

漱石の後継者としての重責に耐えず昭和二年に自裁して果てた若き天才でしたが、死の直前に彼自身が振り返っているように、おそらくこの時が生涯でもっとも幸福な時だったのでしょう。

現在はなんの変哲もない二階建てのアパートになっている借屋跡を呆然と眺めていると近所の婦人が出てきて「一五年前までは当時のままで残っていたんですよ」と往時を懐かしむように教えてくださいました。
(参考資料 鎌倉文学館、鎌倉の神社、芥川龍之介全集)


ずっと鎌倉なら自殺はしなかったかいややっぱり死んだだろうな芥川 蝶人
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高浜虚子旧居を訪ねて

2011-11-10 15:26:29 | Weblog



茫洋物見遊山記第68回&鎌倉ちょっと不思議な物語第248回&勝手に建築観光第44回&茫洋広告戯評第15回



若き日の芥川龍之介の下宿からほどちかいところになんと高浜虚子の旧居がひっそりとたっていました。虚子の死後は次女の星野立子さんが住んでいたようですが、その後は人手に渡って現在に至っているようです。すぐ傍に江の電が走っているのですが、その音がやむとまた秋の日の静寂に包まれてしまいます。

相当に古い木造家屋の前にはかなり広い庭があって、一輪の紅い薔薇が咲き残り、他にもさまざまな花が植えられていましたが、私は隅っこに小さな花弁をつけていたホトトギスに目を奪われました。

虚子が正岡子規の推挽で俳誌「ホトトギス」を出したのは明治30年のことでしたが、その「ホトトギス」と子規ゆかりの杜鵑草がこの庭にあるのは当然と言えば当然とはいえ、いったい誰が植えたのだろう、もしかして虚子が手ずから植えたのではないだろうかと思って、私はしばらく生垣の間からじっと眺めておりました。

庭の外と狭い路の間には「高浜虚子旧居」の小さな石碑と「浜音の由比ヶ浜より初電車」と立子の書で刻んだ虚子の句碑がうずくまっていました。これなどは例の「花鳥風詠」をうたい文句にした偉大なる俳人のいかにも凡庸な作品ですが、毎朝江の電の由比ヶ浜駅から鎌倉に出て、横須賀線で東京駅の近所の丸ビルになった編集所まで通っていた虚子の几帳面な性格を窺わせるには充分です。

私は時折丸ビルのその「ホトトギス」事務所を用もないのに尋ねては明治の俳人の面影を慕っていたのですが、それにしても、(と話は飛びますが)、その立派なビルジングを耐震性がどうたらこうたらと抜かして1995年に一夜にして倒壊させ、下らないコンクリートの残骸ビルを再建した三菱不動産は許せません。

あまつさえ彼らはてめえがぶっこわした歴史ある建築物の土台となった米国産パイン材をば社長が登場する広告に使って、そのまだまだ使用できる頑丈さを誇示していますが、それならなおさら巨大な犬小屋の新丸ビルなんぞ必要はなかったのではないでしょうか。

「一丁倫敦」を模したジョサイア・コンドル設計の三菱一号館を1968年にさっさと解体しておいて、世間の風潮が歴史や回顧や環境保全の方向にむかうと、突如美術館として再建したよなどといばっている会社は、所詮文化を語る資格のない金もうけだけの土建屋であり、亡くなった虚子も草葉の陰でよよと泣いていることでしょう。



江の電や虚子邸で咲くホトトギス 蝶人
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芥川龍之介の下宿跡を訪ねて

2011-11-09 17:14:04 | Weblog


茫洋物見遊山記第67回&鎌倉ちょっと不思議な物語第247回


恒例の鎌倉文学館の文学散歩で学芸員の方のガイドに導かれて、秋の半日をそぞろ歩きました。自転車から転落して腕の骨を折った細君は無念の欠席です。

今回はまず江の電由比ヶ浜駅から芥川の下宿跡を訪ねました。芥川は大学卒業後横須賀機関学校の教師となり、大正5年から鎌倉に住みますが、その最初の住まいがFMかまくらの向かいにある旧野間西洋洗濯店の下宿でした。彼は同年12月の日記に「朝六時から起きて全速力で小説を書いて居る。鎌倉の物価の高いのにはあきれかえる」と書いていますが、この頃から当地の物の値段は馬鹿高かったのですね。

 高いのは物価だけではありません。税金も気位も高い。あまけに市役所の職員の給料は全国で一番か二番目に高い。私なども細君の実家が当地になかったらまったく無縁の地であったに違いないのですが、気がつけば三〇年以上この海と山と谷間の地にへばりついています。やれやれ。

それはともかく鎌倉は人口に比してクリーニング屋さんが圧倒的に多いのは、そもそもが当時の富裕層の避暑地だったから。街中をてくてく歩いているとすぐに「西洋洗濯店」が見つかります。若き日の文豪もそんなお店に下宿しておそらくは「鼻」か「芋粥」を書いていたのでしょう。

*参考資料は鎌倉文学館に拠る


     秋風に松寥々と聳えけり芥川が「鼻」書きし家の跡 蝶人
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リンダ・ハッテンドーフ監督の「ミリキタニの猫」を見て

2011-11-08 15:01:21 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.166

最初はNYのソーホーでうろつく中央アジア系のホームレスの話かと思ったのですが、この段ボールにうずもれた一画で妙な絵を描き続けている薄汚れた爺さんがなんとジミー・ツトム・ミリキタニ(三力谷勉)という純然たる日本人と知って驚きました。

ジミーは一九二〇年にアメリカのサクラメントで生まれました。三歳で郷里の広島に戻ったのですが軍国ニッポンに幻滅しプロの画家を夢見て渡米。しかしおりしも始まった日米戦争でツールレイクの日系人強制収容所に連行され、五年間の苦難の日々が続いたあとも全米各地を放浪します。

そして二〇〇一年NYのソーホーであの運命の9・11にも相変わらず絵を描いているところを、たまたま若い奇特な女流監督に見出されてこのドキュメンタリー映画ができたというわけです。

興味深いのはこの古風な日本人画家の強烈な個性と魅力的な人柄で、非商業絵画のマスターと自称して雨の日も風の日も絵筆をふるい続けるその年齢を感じさせない情熱、日本を捨てアメリカを選んだのに、市民権をはじめすべてを奪って強制収容所に叩き込んだ強国への不信と怒り、にもかかわらず独力でおのれの運命を切り開こうとする太陽のように明るい生命力が見る者を次第にひきこんでいきます。

はじめ老人が野垂れ死にする悲惨な映画かと心配しながら見ていた私でしたが、次第に理解者やサポーターが現れて環境が変わり、弱肉強食の格差社会の片隅でそれなりに仕合わせな居場所を見出していく、背筋をぴんと伸ばした国際的日本人の生き方に共感を覚えると同時に、アメリカおよびアメリカ人の懐の深さに感嘆せずにはいられませんでした。


コラボとは対ナチ協力者のことであるコラボコラボと連呼するな馬鹿者 蝶人

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四方田犬彦・石井睦美著「再会と別離」を読んで

2011-11-07 17:11:56 | Weblog

照る日曇る日第462回


一人の男と一人の女が出会えば、光と闇の中でさまざまな記憶がはぐくまれ、二人の間にはいくつもの時間が音を立てて流れはじめる。

これは五〇歳代の真ん中までてんでに漂流し続けてきた二人の作家が、来たるべき再会を前にして、彼らの過ぎこしと行く方をゆくりなく心をこめて語り尽くした真情あふれる魂の交流録である。

それは期せずして彼らの半生の呼び出しと向き合いの機会ともなり、男が幼き日々の父親への憎悪と軽蔑をあからさまにすれば、女は別れた夫の自滅の原因はおのれの不明にあるとする心も凍り付くような告白を行い、彼らの交換日記は単なる消息通知から突如お互いの全存在を賭けた魂の格闘技の様相を呈して読む者を慄然とさせる。

彼らが閲したあまたの生、そしていくたの死! 失われた時が一挙によみがえり、闇の奥に秘められていた彼らの実存が色をなして立ち上がる時、希望と絶望の鐘が鳴り響き、彼らはたしかにもうひとつの生を生きはじめるのである。


今日こそは毀れた夢を繕う日愛する魂よ美しく装え 蝶人
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小倉慈司・山口耀臣著「天皇と宗教」を読んで

2011-11-06 17:12:29 | Weblog


照る日曇る日第461回


「天皇の宗教」と聞かれれば、そりゃあやっぱり神道でしょう。なんたって国家神道というくらいだから、ものすごく格調高いんじゃないか、と思うのですが、実態はそうでもなさそうです。

私はときどき正月二日に鎌倉宮の正式参拝に訪れて、神主さんかその代理人の年頭のメッセージを聞くことがあるのですが、その内容たるやおそまつ君そのもの。犬が西向きゃ尾っぽは東、なんて地元の古老の人生訓に比べてもいちじるしく劣る内容を偉そうに演説しています。かつて口丹波は丹陽教会の名牧師、塩見森之助先生の素晴らしい説教に接した私にすれば、今は亡き我が家の愛犬ムクにでも喰われろという超低レベル。おそらく現在の神道の教義のレベルなんて、かの靖国神社でも伊勢神宮でもその程度に違いありまっせん。 

もちろん戦時中の高松宮のように「皇族よ、信仰に目覚め神ながらの道を拝せ。いまぞその時!」なーんていう性急に神道を国家宗教にしたがるファナチックな方々も大勢いらっしゃったようですが、古代から近世、現代に至るまで天皇家では紆余曲折の限りを尽くして、総合的には「神道6割、仏教4割」くらいの比重で恭しく信仰され、宮廷内の儀式として機能しているようですね。

本書を読むと、天皇の葬儀にしても江戸時代の大半は火葬してから京都の泉湧寺に葬っていたのに、明治維新で神道が巻き返して現在では懐かしの神式で土葬しています。されど当代の皇后陛下はカトリックの家に育った人だが、それでおよろしいのか? 死んで花実が咲くのでしょうか? それとも皇族には宗教の自由なんてないのかしらん。

この際、天皇や天皇家や天皇制のことなんかどうでもよろしいが、いったい神道って何なんですかね。広辞苑では「もと自然の理法、神のはたらき。我が国に発生した民俗信仰で祖先神や自然神への尊崇を中心とする古来の民間宗教が外来思想である仏教・儒教などの影響を受けつつ理論家されたもの」とあります。「信仰」とはあるが、「宗教」とは書いてない。

そこで思い出すのがかつて明治の初めに米欧を訪ねた岩倉使節団の当惑です。本書によれば彼らは西洋人に事あるごとに「何宗か?」と聞かれて往生したようですが、そのアナーキーな事情は現在もあまり変わっていないのではないでしょうか。

私たちの大半は冠婚葬祭のときだけは仏教や神道やキリスト教信者の振りをしていますが、一部の例外を除いて本当にそれらの神を信仰しているわけではない。かといって無神論者でもなさそうだ。宗教と無宗教の間をふらふらと彷徨いながら、じつは世界史上まれな自然の理法、すなわち「新しきかむながらの道」を模索しているのではないでしょうか。


汝等あらゆる宗教原理主義を拝しあたらしき自由の道を歩め 蝶人
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記崔洋一監督の「クイール」を見て

2011-11-05 19:29:35 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.165

京都府亀岡市を舞台に盲導犬のクイール君が大活躍するお話ですが、崔洋一監督の演出はクールと言うか、さっぱり燃えないというか、観客が期待するお涙頂戴のペット感動物語に走らないところが、妙に印象に残りました。

彼がスポットライトを当てているのは主人公のラブラドール・レトリバーよりも、彼がケアする渡辺という中年の盲人で、このあまり好きに慣れない人物を小林薫が苦労しながら演じています。

渡辺氏はこの地域の盲人協会の会長をしているらしいのですが、無類の頑固者で性狷介にして固陋頑迷、一筋縄ではいかない孤高の人物です。こういう人は健常者にもいますがもちろん障碍者に世界にも存在していて、みずからのハンディキャップにひるむことなく、それをかえって社会的な優位性や武器と捉え直して、規制の秩序や権威にはげしく挑むのです。

健常者を中心に高くそびえたつ民官産からなる行政や医学、教育界コンツエルンの巨塔は、ある範囲まではかれら障碍者を敬して遠ざけるためのスペースを準備してかれらの抗議や要求に柔軟に対応しますから、このあらかじめ許容された領域をば、なにを勘違いしたのかわがもの顔で振舞う哀れな障碍者リーダーもあら悲しや往々にして登場するのです。

この映画では、渡辺某氏が日課にしている役所への陳情シーンにそれが如実に表現されており、この障碍を持つリーダーの怒りと悲しみ、そして第三者から眺めれば嗤うべき思い上りが見てとれるのですが、その重複する複雑怪奇な心理の綾を知ってか知らずか、氏の生涯に亘って一意専心献身のまことを尽くす一頭の忠犬のいきようが、氏のそれとだぶってこれまた哀れでした。

密教とかけてアッコちゃんと解くその心は秘密と魔法がいっぱい 蝶人

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鎌倉国宝館で「鎌倉×密教」展を見る

2011-11-04 15:59:23 | Weblog


茫洋物見遊山記第66回&鎌倉ちょっと不思議な物語第246回


秋風薫る八幡宮の傍らにある国宝館で「秘仏光臨」「鎌倉ゆかりの密教尊像が一堂に集結」と銘打たれた特別展に行ってきました。

どうでもよいことですが、最近は大小を問わず展覧会のタイトルやキャッチフレーズにプロの宣伝マンを起用してああだこうだとカッコを付けていますが、往々にして実態とかけ離れたこけおどしの惹句であり羊頭狗肉そのものです。映画のアホ馬鹿宣伝の悪い影響が芸術美術の世界にまで及んできたようで寒心に堪えません。

さて今回の「鎌倉×密教」展における発見は鎌倉新仏教における密教の怪しい浸透ぶりで、たとえば寿福寺を創始した臨済宗の開祖栄西や浄妙寺を興した同じく臨済宗の退耕行勇は禅宗の僧侶であると同時に密教の徒でもありました。鎌倉新仏教の推進者の大半が密教の熱心な信奉者でもあったということはそれが否定的な媒介として作用したにせよ改めて注目しておく必要があると思われます。

会場には私にはあんまり興味のないまんちゃらかんちゃら曼荼羅の薄汚れた図像がどっさりぶら下がっておりましたが、それよりも2つの木造坐像が私の耳目をとらまえました。一つはしどけなく優美な姿態が印象的な来迎寺の「如意輪観音菩薩坐像」でこれは性的な風紀が乱れに乱れた南北朝の製作ですからここまでセクスイーであることが許されたのでしょう。

もう一つは象の頭と人間の身体を持つ異様な2体が抱擁するように向かい合って立つ「歓喜天像」です。見るからに奇怪なやはり南北朝のこの立像は敵に呪いをかけるための秘仏だそうですが、それ以上に異常なまでの性的なメッセージを会場全体に強烈に発散しているようでした。おお見るだけで目が瞑れそう。怖や怖や。

なお本展は来る11月27日まで当地で開催されています。



せっかく料理をお勉強したいと思っているのに細かいことをグチャグチャいわないでよ 蝶人
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シャルル・ミュンシュ指揮「後期ロマンチック作品集」を聴いて

2011-11-03 11:36:34 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第227回

ワーグナー、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、マーラー、リヒアルト・シュトラウスを天才指揮者ミュンシュがボストン交響楽団をドライヴして聴かせる7枚組のCD。

どれも素晴らしく聴きごたえがあるが、特に凄いのがマーラーの歌曲「さすらう若者の歌」と「亡き子をしのぶ歌」で、カナダの歌手モーリン・フォレスターの沈湎たる歌唱が深々と心に響く思いもかけない名盤である。

チャイコフスキーの4番と6番の交響曲、「ロメオとジュリエット」、「フランチエスカ・ダ・リミニ」「弦楽セレナーデ」もオケが歌いに歌いまくっており、彼らが当時のクラッシック界のトップを走る名コンビであったことを立証してあますところがない。これほど輝かしいオーケストラを30年近くかかってメタメタにした小沢に無理矢理聴かせてやりたい珠玉の演奏揃いである。


表には野尻裏には大佛と書きたり大佛次郎旧邸 蝶人

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リチャード・ブルックス監督の「熱いトタン屋根の猫」を見て

2011-11-02 11:51:46 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.164


まるで熱いトタン屋根の上の猫のようにおのれの性欲を向こう三軒両隣に発散しているエリザベス・テイラーは耀くように美しい。

猫どころか荒野を疾走するピューマのように自分の欲望をまっしぐらに貫こうとする動物的生命の燃焼と躍動の光波は、人生に拗ねているポール・ニューマンのみならず見る者すべてを圧倒する。

これとは対照的に、親友を自殺に追いやったのは自分だと自責の念に駆られ、自棄自暴に陥りアルコール漬けの退嬰的な生活を送っているホッモセクシュアルのポール・ニューマンの悲惨な姿は映画とはいえ真に迫っている。

そして死病の告知を受けながらもそんな息子と正面から向き合い、彼の複雑に入り組んだ精神の暗闇にともに侵入してついにコンプレックスを紐解き、父親としての責務を果たそうとするバール・アイヴスの熱演は、「大いなる西部」で名演技をしのいで素晴らしい。

最後の終わりよければすべてよしというハッピーエンドは強引にとってつけた感があるが、それでもテネシー・ウイリアムズ原作のこの映画は、一匹の熱いトタン屋根の雌猫が、恋する雄猫の同性愛をほんの一瞬でも異性愛に転換させ、彼女の思惑通りに晴れてベッドインするという大人の幸福な寓話たりえて見事である。


雅子妃よ愛児を連れて実家へ戻れ諸悪の根源は天皇制にあり 蝶人
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アーネ・グリムシャー監督の「理由」を見て

2011-11-01 08:59:27 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.163

ショーン・コネリーが主演する1995年製作のミステリー・サスペンス映画である。

私は年々記憶力がはげしく減退しているので、前に見たことをすっかり忘れてまた見てしまうことが多いのだが、映画の半ばを過ぎてもそのことに気付かず、終わり近くになってようやくなんだ2度目じゃないかとがっくり来ることもしばしばだが、これもその例にもれず、前半の善人が後半で悪人に変身してしまうあざといプロットも忘却の彼方であった。

しかし少女を暴行殺戮した死刑囚を、お人よしの正義の味方ショーン・コネリーが再審法廷闘争に勝利して無罪にしてやったのに、無罪放免されたその男が恩人の妻(地方判事)と娘に対して昔の事件の意趣返しにまたぞろ残虐な復讐に乗り出すなんて、じつにあほらしい話で、こうやって160分かけて観終わった後味も気色悪いことはなはだしい。

コネリーは良い役者なのだから、もっとまともな映画に出るべきだ。


日帝を制圧したりアワダチソウ 蝶人
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