こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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医師不足と病理診断科

2008年01月14日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

医師不足は産婦人科、小児科、外科だけの問題ではなくなってきている。病理医も少ない。最近では、どうせいないんだから、もう切り捨てちゃえ、みたいなことまでいわれることがある。なんで、こんななのかな、考えてみた。

1.病理専門医の高齢化

病理医のうち、病理専門医の平均年齢は52歳だそうだ。現役を引退した先生方を含めての計算だから、若干上に引っ張られるとは思うが、それにしても高い。

若い先生が入ってくることで、平均年齢は基本的には変わらないと思うのだが、毎年新しく病理専門医になる医師数は70名前後で、年長の病理医の減少がどれくらいのスピードで進むか不明だ。ある程度の年齢までは病理学会の会員だというだけで専門医資格が付与されていたから、病理診断をそれほどやっていない病理学者でも病理専門医になっているからだ。当時の病理学者の多くは病理解剖や病理診断に精通していたが、実験と論文執筆を主たる仕事としていた病理学者も少なからずいて、そのようなバックグラウンドで病理専門医になれた世代を差し引くと、病理医の不足は数字以上に深刻だと思われる。

2.病理診断の認知度の低さ

病理診断はなくてはならない仕事のひとつだということは、臨床医の半分くらいは認識している。おかげで、病理診断科が標榜科のひとつとしてこの4月から認められる。私の勤務している病院でも4月から病理診断科がスタートする。現在の臨床研修でCPCレポート(臨床病理カンファレンス:解剖例を整理報告する)が必修化されたおかげで、必要と思うか思わないかは別として、病理診断、解剖のことをほとんどすべての医師が理解するようになって来ているはずだが、私の実感では病理診断がなくてはならない仕事のひとつだと思っている医師の割合は、外科医の8割、産婦人科医、整形外科医の7割、内科、皮膚科医の5割、小児科医の3割くらいのように思う。しかし、医療従事者全体となると認識はどーんと下がる。これも私の実感だが、看護師の6割くらいは病理医の存在を知らない。薬剤師、臨床工学士あたりとなると2,3割しか病理医のことは知らないと思う。さすがに臨床検査技師に病理の仕事を説明することはないが、同じ医療従事者に病理診断の内容を説明するというのは、いつもながら情けない。

「俺、こんなに認知度の低い仕事をしているんだ・・・」と病院内で思うこともしょっちゅうだ。

さらに、一般の人は、病理医の仕事はほとんど知らない。自分が癌やそのほか病理組織診断が必要な病気になったため、生検や手術で組織をとられた患者さんでも、2割くらいしか知らないと思う。診断の内容を臨床医(=主治医)が説明するからだ。主治医は病理”診断”ではなく、病理”検査”だと認識している。検査結果は自分が診断を”やらせた”上で得た結果なので、臨床医のもので、病理医が出した結果という認識はない。だから、結果(診断)の意味をよく理解していなくても、「あなたはこういう病気です」ということを、自分がわかったつもりになって、患者に伝える。だから、患者さんのほとんどは病理診断を下した病理医のことは知らない。

3.病理診断科の標榜でどうなる?

患者さんが病理医から直接、診断の説明を聞くことができるようになるのが、今度の病理診断科が標榜できるようになる利点である。「何で私はがんなの?」「何で私は膠原病なの?」といったことを病理医から直接聞ける。「なんで、あなた(病理医)は私をこう診断したの?」ということだ。

患者の前に立つということは、病理医にとっては大変なことだ。病理診断はこれまで大切な仕事だったが、医師として行わなくてはいけない”患者さんへの説明”の部分を臨床医に任せていたからだ。これがわれわれ病理医がやらなくてはいけなくなるとき、われわれ病理医自身は診断の意味をよく理解しているか、ということをいま一度自戒して精進しなくてはいけない。

病理診断科が標榜科となると、患者さんから自分で組織を採って、自分(または検査会社=衛生検査所という)で標本を作って、自分で診断する医者も、病理診断科を標榜するようになる。このあたりは、皮膚科、消化器内科、消化器外科、腎臓科、婦人科あたりの医者がやるようになると思う。このへんの領域の医者はトレーニング中の一時期病理学教室で勉強したことのある人間がいたりして、その道だけならそこらへんの病理専門医よりよっぽどできたりする。さらに、皮膚科や腎臓科あたりになると病理学とは別のワールドを形成して、病理総論(病理学総論)すなわち奇形とは?変性とは?循環障害とは?炎症とは?腫瘍とは?といったようなことを理解していなくても、自分の患者への治療がある程度できるので、病理医には何も求めないという領域まで出現している。病理総論というのは、それぞれ奥深いもので、医学の根源に近いもので、これらの意義を理解することは大変難しい。私たち病理医は病理医という仕事の訓練の一旦として、病理総論を病理解剖を通じて学ぶ。他の臨床科と同様に患者さんから学ぶ。病理解剖を通じて、人一人の一生を見直し、人類の来し方まで思いをめぐらす。”病理診断科”とは、そのような訓練をつんだ医者のみしか行ってはいけない。そんな思いが、病理医自身へのプレッシャーとなる。認知度の低さとあいまって、病理を続けることがつらいと思う医師は多い。私自身何度か病理をやめたいと思ったことがある。

4.医師間の格差

美容、アンチエイジング、サイコセラピー、コンタクトといった、さほどの訓練が必要ではなく、”楽にはじめられ”て、何よりも”お金になる”分野に転向しようと思ったことがある。自分たちが税金の助けを受けて得た医療技術を転用して、その分野で巨万の富を得ている医者は多い。この間、やせ薬を医師でないものに処方させた疑いでつかまった医者も、何のために医者になったんだか、わかりゃしない。彼は名門の医学部の出身だが、医者になるために自分が血税を使ってもらったことなんて、ほとんど意識してないのではないか。ホームページをみたが、そこには私が、「これをやれば金になるだろうな」と思ったことのほとんどが載っていた。医師という医療技術を駆使した錬金術の極致だ。格差社会の頂点の領域である富裕層から金を巻き上げ、自分も富裕層に入る。富裕層内での金の循環で、格差は完成する。もちろん、富裕層は金を貧困層から収奪している。

だが、医師は金のためになる職業なのだろうか。ヒルズ族のエースとして一世を風靡して、数千億の富を築いた実業家が「金で買えないものはない。金で買えないものは、差別につながる。血筋、家柄、毛並み。世界で唯一、カネだけが無色透明で、フェアな基準」といっていたが、たしかにそういった差別から抜け出る手段として金を得るために医師になる人も多いだろう。

お金を追いかける医者がいるのは仕方ないし、そういった医師が増えて収入格差が広がれば、そういう医者は増えこそすれ、減りはしないだろう。医師不足の深刻化を医師会は、政府の診療報酬抑制が原因だとしている。確かにそうだが、まずは一般病院に勤務する医師の収入を開業医の8割程度くらいに引き上げることが大事ではないのだろうか。一般病院でもひどいところでは、医者は使い捨て、だ。人件費が安い若くて、”理想に燃えた”医者をぼろぼろになるまで使って、人件費が上がってくる40歳前後には辞めてもらうのが、儲かる”病院の理想”だ。

今朝のNHKニュースで患者やその家族によって医療従事者に対して振るわれる”院内暴力”が取り上げられていた。医者を含め、医療従事者はただのサービス業となっている。拝金主義の医者、医療関係の業者(介護関係の会社にもこの傾向が見られると思う)がこれだけはびこれば、これもむべなるかなである。サービスをうける人(=患者さん)はそれなりのサービスを期待するのはいたしかたない。でも、サービスの料金は全国一律だ。大都市の一等地にあるホテルのような病院も、自治体の財政難から設備のメンテナンスにも苦労するような地方の病院も・・・そして、そこに勤務する医療従事者も全国一律のサービスを要求される。

勤め先の病院からは”使い捨て”扱いされ、患者からは暴力を振るわれる。開業医の多くは勤務医の二倍近い高い報酬を得て比較的悠々とした生活を送る。というのも最近は自分の家で開業する地域密着ではなく、職住分離のオフィスクリニックがどんどん増えているからだ。とすれば、国公立やこれに準じた公的病院が主となる、地域の中核病院に勤務する清貧医師はどんどん減少する。仙人じゃないから、霞を食っては生きていけないし、自分の生活、ましてや身体的不安もあるからだ。

客観的な立場からの医療行政の見直しを図らないと、医師不足は解消されない。今のカリスマ的野球日本代表監督が民放で勤務医の大変さをコメントしたら、官僚出身の司会者がそれをさえぎるようにして、話を終わらせたときには、何らかの政界マスコミ一体となった医療回への圧力を感じざろう得なかった。マスコミだって、情報の多角化に対応するには、視聴者に迎合するのか、行政側に立つのか、立ち位置をしっかり持っていかなくてはいけない。一方で、医師不足を、一方で、医療費の高騰を責め立てては、いったい何がなんだか、わからない。

5.病理医として、医師として

私の病院は給料が高くない。病理医を雇っているような病院は良心的で、病院全体として儲かっていない(病理=不採算部門と考えられているから)。良心的とはいっても、病理医を3,4人やとう余裕のある病院はないので、病理はいつも人手不足となる。病理診断科となったところで、医療従事者を含め、認知度はたいして上がらず、医療の中ではこれからも決して表舞台に立つことはないだろう。病理の仕事は日々進歩する医学をキャッチアップしていかなくてはいけない苦行だ。他の科もそうだが、病理はすべての科の進歩を知らなくてはならないから余計だし、それぞれの科には、病理解剖を通じて病理総論を学んだことはないけど、ある特定の臓器領域だけに長けた、臨床医で病理も大変できる大家の先生方との軋轢もある。病理医自身に関しても、自分をえらく見せたいという病理医が他の病理医の診断に難癖をつける。ディスカッション以前の、病理医同士の足の引っ張りあいもよくみる。

構造的に、病理を志そうという医師は増えないと思う。だけど、自分は逃げ出さない。「(本当はもっと認知度の高い科に入りたかったのだが)だまされて病理に入りました」などと自嘲的にいう病理医がいるが、そんな病理医をつくらないようにしたい。内科や外科ではこんな医師はいない。病理診断科も誇りを持ってやれる科のひとつだと、そういう気持ちでがんばりたい。

あとがき

今日は、ちょっと時間があったので、病理診断に関して普段から思っていることをながながと書いてしまった。次は混迷を続ける日本バスケットボール協会についてかな・・・