昨晩、鎌倉に帰ってきたら夜桜見物の人で段葛はごった返していた。
これではのんびり見ることはできないと、そそくさと帰った。
この先何度見ることができるかなどわからない、今年は今年で桜を目に焼き付けておこうと、いつもより早く出てきた。
十数年来の歩き慣れた風景、ビュースポットはわかっているが、どこも結構人がいて、写真を撮るのに誰かが映り込まないようにするのは工夫がいった。
人が少ない時間にゆっくり見物したいと思うのは誰しも同じ。
見事な桜にしばし見とれていると、癒されるという言葉の意味がわかる。
段葛に桜が植えられたのはほんの100年前(大正7年)で、昔の人がこんなに美しい景色を見ていたら、今の世の中はどうなっていただろうかと思う。
少し歩いて振り返ると三の鳥居の向こう、静御前の舞殿ごしに本殿が見える。
1000年前にこのような構造の街を造った源頼朝という人は、大した人だった。
歴史を振り返れば、頼朝、尊氏、信長、秀吉、家康、それぞれの時代を作った人というのがいずれも傑物だということがわかる。
そして、そういう人物はそうそう世の中に現れるわけではないし、残念ながらそんなリーダーは今の日本にいない。
段葛はかつては一の鳥居まであったというが、今は二の鳥居までのほんの500メートル。
桜を見ながら歩いているといつの間にか終わっている。
出勤前の散歩にはこの程度の時間の方が合っている。
あと何度、桜を見ることができるだろうというのは毎年思うこと。
今年が最後かもしれないし、運がよければ来年も見ることができるかもしれない。
命のありがたさを自覚する
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