こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

スヌーズでちょっと寝坊気分

2021年08月31日 | 日々思うこと、考えること
 最低気温がほんの少し下がっただけでよく眠れる。つい先日まで寝苦しさで目が覚めたこともあったが、昨晩は窓をすこし開けたまま眠ることができた。寝るときはアップルウォッチをつけている。これは私たち夫婦の健康管理にと息子が贈ってくれたものだが、思いの外重宝している。

 目覚ましは、ブルブルというか、トントンという感じで手首で時間を知らせてくれる。このとき、すぐに起きないで、スヌーズにして少しうとうとすると気持ちがいい。ほんの10分足らずのことなのだが幸せな気持ちになる。

 頭がはっきりするまで、仕事の段取りを考えたり、ウォッチを少しずらして血圧を測ったりする。もう一度アラームの振動がする前には起きだして身支度をする。留学中で不在の娘の部屋を占領しているコロを起こしに行くのだが、まったく無視される。彼にとってはまだまだ暑くてだるいのか。

 テレビをつけたら人身事故のため横須賀線も東海道も運転見合わせというテロップがあり、スマホから出勤が遅れそうな旨を技師さんに連絡した。ニュースでは、総選挙を前にしての自民党幹事長の更迭、アフガニスタンから米軍の撤退が完了したこと、デルタ株に変異が見つかったこと、などが報じられていた。そういえば、令和4年度の予算案の各省庁からの概算要求が出て過去最大級の110兆円になるらしい。お金をあちこちにつぎ込んでも景気が今ひとつ浮上しないのはコロナ禍のせいだけではないだろうに、その検証と改革を行って欲しい。
デジタル庁が明日から

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新型コロナウイルスワクチンをめぐり思うこと

2021年08月30日 | 自然災害・事故・感染症
 気がつけば8月30日。2021年の8月はオリンピックに始まり、パラリンピックに終わった1ヶ月だったように感じた人は少なくないのではないか。今や私自身はコロナ禍によるのか時間の流れがなんだかよくわからなくなってしまっているが、オリンピックやパラリンピックの選手の多くがこの時期にピークを持ってきているのをみると、そういう調整のできる人がいるということがわかる。そして逆にそういったことのできない人もいるし、時間が過ぎてしまったことで肉体が衰えてしまった人もいる。時間はすべての人の間を同じ速さで過ぎていく。

 新型コロナウイルスのワクチンが行き渡っていない若年層が予約なしで接種できるようにと東京都が渋谷に開設した接種会場で接種を受けたくても受けることのできない人が多数出ているという事態に陥っている。1日に接種のできるのは200人分で、倍率は6倍とか。企業単位での接種数と比較してもいかにも少なく、列に並んだ人が気の毒でならない。これでもなんとかかき集めることのできたワクチンなのだろうから東京都を責めるわけにはいかないが、接種を受けたくても受けることのできない方のことを思うと、自分が接種してもらうことのできなかった時期の不安が思い出されて胸が締め付けられる。ワクチン供給、なんとかしてあげられないだろうか。

 ワクチン接種について反対する人も少なくないようだし、反対論が荒唐無稽なおかしな論理だと決めつける気はないが、現在人類がコロナ禍をくぐり抜ける方法が他にないのだからワクチンに頼ることは仕方がない。とくに今、妊婦さんをどう守るかということが喫緊の課題となっている。妊婦さんを守るということは、妊婦さんはもとより、その宿している赤ちゃんを守るということでありすなわち、次世代の命を守るということだ。

 コロナ感染関連の組織として提出された検体を診断していると、状況の深刻さを実感する。妊婦もしくは今後妊娠する可能性のある人、さらにはそのパートナー、家族などのワクチン接種による感染防止の必要性を、私の知る産科医、研究者に病理医としての見解を伝えている。他に防ぐ方法のない、今まさに進んでいる問題であるということを多くの人に知ってもらいたい。そんな時期、モデルナワクチンへの異物混入問題は実に痛い。速やかに原因を究明してワクチン接種体制を正常化してもらいたい。
総力戦

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夏の終わりと蝉の声

2021年08月29日 | 日々思うこと、考えること
 遅い昼食だか早めの夕食だかわからない食事を蝉時雨の中ベランダで食べた。妻とワインを1本空けてしまったので、少々酔っ払ってしまったが、まだ蚊取り線香の匂いは感じている。

 蝉がうるさい。うるさいけれどもこれが当たり前だと思っているのでいやな気にならない。

 8月29日。早いものだ。学生時代から甲子園が終わったら夏休みも終わりと思っていたが、今年は雨のせいでずいぶん遅くなった。決勝は智弁対決だったとか。

 日が落ちて、蝉の声は秋の虫に取って代わられた。まだまだ暑い日が続くらしいが、明日からまた仕事、頑張っていこう。
今日もパラリンピック

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熱中症で足がつった

2021年08月28日 | 日々思うこと、考えること
 午後からオンライン形式で開催される研究会があったので、午前中のうちに外回りのことを済ませてしまおうとあれこれやっていたら、だんだんふらふらしてきて、動けなくなってしまった。熱中症だろうかと思って部屋に戻り、冷房を入れてポカリを飲んで横になった。そうしたら、足がつってしまった。熱中症で足がつるというのは聞いて知っていたけど、実際暑くて自分の足がつったのはあまり記憶にない。

 今日の鎌倉の気温は32度、体感温度は39度とか。まあ、都内の勤務先のあるところなどは体感温度43度などとなっていて一体どうなっているのだろう。東京パラリンピックではトライアスロンだとか陸上競技が行われていたが選手の皆さんは大変だったに違いない。渋谷でワクチン接種券を求めて並んだ若者たちもまたしかり。

 去年はバタバタしていたが、最近、各種の研究会がオンラインで再開されるようになってきた。いざ聴講してみると自分がいかにこの1年間ぼーっとしていたかよくわかる。後の祭りというかなんというか。それでもまあ、ぼちぼち原稿などは書いていたのでよしとする。遅まきながら巻き返しといきたいところだが、今日はずいぶん勉強したので明日はのんびりすることに。

 夕方になり、コロの散歩に出かけた。今日外に出たのはこれだけ。
オンとオフ

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医師のバーンアウトと私の幸せ

2021年08月27日 | 生き方について考える
 今日も暑かった。朝の時点で28度もあった。日差しは真夏のそれよりは少し弱くなっているが、湿度が高くて気持ちが悪かった。今週は月曜日にまとまった仕事が入ったせいで、押せ押せとなってあっという間に過ぎ、気がついたら金曜日。先日、ちょっと古い医学雑誌を開いたら、『医師のバーンアウト(燃え尽き症候群)を防ぐには』という小文があった。時間つぶしに読んてみたら自分では医師としてあるべき姿として正しいと思っていたことが、実は自分の首を絞めていたこともあるようで、もう少し気楽にやったほうが良さそうだということに気がついた。ちなみにバーンアウトは、’情緒的消耗感・脱人格化・個人達成感の低下’の3因子で定義されているそうだ。

 人間誰しもが、幸せになりたいと思っている。私が求めている幸せとはなんなのかと考えると実際のところよくわからない。”幸せ”というものには様々な種類があって、一概にどれがその典型例かを決めることはできない。ただ、生きているほとんどの人はそれぞれの”幸せ”に少しでも近づきたいと思っているはずだ。そんな幸せというものが私には上手に描けない。

”それは、あなた(コロ健)がいま幸せだからだよ”

と言われてしまうだろうが、周りを見て羨ましいと思うことはたくさんある。才能、名声、地位、財産、健康・・・これがあったら、こうありたいというものをあげていったらきりがない。だから、幸せとは、こういった事項によって満たされるものではない。

 人間の欲なんていうものはそれほど大それたものではなく、ほとんどの人のそれはささやかなものなのだろうと思う。衣食住が確保され、命が守られていたらそれで御の字だ。その上で幸せを求めるとしたらそれは自己実現ではなかろうか。私の場合、理想の医師像、病理医像というのがあって、そこに届きたいと手を伸ばし続けているもののなかなかそうもならずもがいている。

 これまで、”足るを知る”という言葉(日の出、月の出 2014年11月14日)になんども向き合ってきた。全てにおいて理想的な存在というものなどどこにも存在しないわけで、人間にできるのはそれに向けて日々近づいていこうとするしかない。そして、理想像は自分なりに設定していいものなのだから、それを目指すあまり自分を見失うようなことがあってはならない。
ブログで息抜き

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いまここに正義はあるか

2021年08月26日 | 日本のこと、世界のこと
 朝から暑い。これを乗り切ったら残暑も終わり、となってほしいところだがさて、どうなるだろう。

 ”正義”とは一体なんなのかということを考えさせられることが多い。私なりには、人として正しいこと、すなわち人としてあるべき姿に則った行動もしくは考え方。では、そのあるべき姿とはなんなのだろう。既存の価値観に基づいた人としてのありようなのか、それともそのような枠にとらわれることなく行動することなのか。

 ”正義”の存在を疑ってしまう出来事は、しばしば組織的な行為に起因することが多い。軍事クーデター、独裁政権、組織暴力、そういったものによって、個人の自由が侵害される。個人対組織もしくは集団、”正義”を必要とするのは個人であり、逆に”正義”を強要するのはいわば徒党だ。だが、その徒党にも”義”はある。その”義”がいかに理不尽なもの、すなわち不義であったとしても、その集団の中で正当化されていたらそれは彼らにとっては”正義”となる。

 ”正義”とは結局のところ、個人個人で考え希求していかなくてはならないことであり、その集合体だ。その考え方というものが、善的なものか、美的なものか、それともまた別の何かであるかは人それぞれだろうが、人間という存在が共生を前提としているのであれば、他者の存在をないがしろにしたり、馬鹿にしたりするようなことがあってはならない。今この世界に”正義”はあるだろうか。この世界ですべての人が”正義”を求めることが当たり前になったら、今よりは住みやすくなるのではないかと考える。
よりよい共生がSDGsへ

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正義・・・広辞苑第6版より
①[荀子(正名)]正しいすじみち。人がふみ行うべき正しい道。「ーを貫く」
②略
③(justice)
ア 社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること。プラトンは国家の各成員がそれぞれの責務を果たし、国家全体として調和があることを正義とし、アリストテレスは能力に応じた公平な分配を正義とした。近代では社会の成員の自由と平等が正義の観念の中心となり、自由主義的民主主義社会は各人の法的な平等を実現した。これを単に形式的なものと見るマルクス主義は、真の正義は社会主義によって初めて実現されると主張する。現代ではロールズが社会契約説に基づき、基本的自由と不平等の是正とを軸とした「公正としての正義」を提唱。武者小路実篤、荒野「愛なきーは恐るべし、同情なきーは呪うべき哉」
イ 社会の正義にかなった行為をなしうるような個人の徳性。

子どもはやっちゃいけませんよ

2021年08月25日 | 日々思うこと、考えること
 蒸し暑さが戻ってきた。これからお彼岸までの残暑は苦手だ。ただ、花が元気になるので良しとしてしのぐしかない。もう水曜日。昨日一昨日と猛烈に忙しくて、一体何がどうなっているのかわからなくなってきている。まあ、通勤時間が長いおかげでこうしてブログを書くことができるのは救いだ。

 昨日から、東京パラリンピックが始まった。開会式を少し見ることができたが、いろいろなことを考えさせてくれる内容であり、落ち着いた雰囲気でよかった。その開会式に合わせて国立競技場周囲には多くの人が集まったそうだ。ただ、集まるなといっても関係者の歓迎会が開かれたというのを知っている人からしたら、”そんなのちゃんちゃらおかしい”ということになる。40人程度ならどうということはないし、おそらくほぼ全員がワクチン接種を済ませているだろうから、その集まり自体が新型コロナウイルス感染症感染拡大を引き起こすことはない。ただ、人流抑制を声高に求められている緊急事態宣言下ではまずかった。

 このことを知って、私は高校時代、喫煙者である先生が喫煙学生を灰皿の置いてある職員室で指導していたのを思い出した。あの頃私は、あまり疑問を感じなかったが、注意されている奴にとっては理不尽さを感じていただろう。私にしても、”最初の1本”は親父のタバコだったし、その親父に喫煙を叱られた。

 ”大人はいいけど、子どもはダメ”

みたいなことで、すべての子どもがおとなしく従うわけがない。

 正常性バイアスとは微妙に違うが、自分のことだけ都合よく考えているということに気がつかないでいる人は少なくない。自分の考え方を正当化して行動することは当然のことだが、常に逆の見方、考え方というものがあることを意識している必要がある。社会的影響力の大きい立場にある人の場合はとくにそうしなくてはいけない。緊急事態という中で、総理大臣や与党幹事長といった人が会食を平気でやっているようでは、なかなかそれに従うことは難しい。押さえ込みがなかなか進まないことについて、為政者も責任を感じて欲しい。上の歓迎会もホテルなんかじゃなくて、都の施設の体育館的な広いところでやったらよかったように思う。
バッハさんも慎重に

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私はこうだけど、あの人はこう

2021年08月24日 | 日々思うこと、考えること
 昨日、女子高校野球の決勝戦というのが甲子園で行われたそうだ。(男子の)高校野球のちょうど休養日に開催したとこのことで、いいアイディアだった。女性であればソフトボールだと思っていたが、公式野球をやっている女性もずいぶんいるものだと知り驚いた。

 それぞれの人にはそれぞれの人の事情があって、それぞれのことをして日々を送っている。老若男女、氏育ち、病気のあるなし、みんな違って、一人として自分と同じ人はいない。物理的にも自分の今いるところを占める存在というのはあり得ない。

 今日から東京パラリンピックが始まる。車いすラグビーとかボッチャなどはパラ競技でしかないもので、それぞれ奥深いものがあり、一流の選手たちの技は素晴らしい。最近の報道では、”片足がない”とか”腕が上がらない”とか、選手の症状を具体的に示すことで、”足に障害”がとか”腕に障害”が、と言ったようないい方が減ったように思う。報道する側はいろいろ工夫しているのだろう、大変いいことだ。私だって、腰痛持ちだから、ある意味障害を持っている。それに老化は誰にも訪れる障害だ。

 多様性というものを理解することはできても、実生活でそれらのことを受け入れて行くことはなかなかできない。道路にしても駅にしても、その他もろもろのことは、最大公約数的なところに落とし込まれていて、それぞれの人の細かな違いは考慮していない。個々人の生活はオーダーメイドであるべきだが、どこかで全体に合わせなくてはならない。そのことを埋めるのが、個人個人間の思いやり、すなわち相手の立場になって行動するということだ。パラリンピックで躍動する選手たちの姿を目に焼き付け、自分の行動を今一度振り返らなくてはならない。
みんながんばれ

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ダウン症の弟が私にプレゼントしてくれた素晴らしいこと

2021年08月22日 | 生き方について考える
 私はロクな人間ではないと思って生きてきた。こんなことを言うと、

 ”じゃあ、私との人生はロクでもないとでも言うの?”

 と、妻が悲しむが、そんな意味で言っているのではない。それに常々書いているが、私のようなロクでもない人間を救ってくれたのは妻だし、妻が育てた子供たちだ。

 私がロクでもない原因の一つは自己肯定感が極めて低いということだ。原因は去年ガンで亡くなった父にあると思っているが、いまさら責めたところで何もならないし、子育てに正解はない。父と私の関係をプラスマイナスで勘定したら、父から受けた愛情の方がよほど大きい。

 私は自分の人生で誇れるものが一つもない。もちろん、妻や子供達を否定するものではないが、彼らは彼らであって、私のものではないし、私の本質を示してはいない。ただ、昨日だか一昨日、ダウン症の弟が私にとても素晴らしいことを贈ってくれていたことに気がついた。

 昨今、いじめとか差別のことが話題に上がり、過去のそのような問題が取り上げられて社会的地位を失う人すらいる。私自身、人に意地悪したり冷たくしたことはある。だから、誰にも責められることのない人生を歩んできたなどとは口が裂けても言えないし、人を傷つけたこと、悲しませたことを思い出すと、やっぱり私は自分に誇れるものなどないのだと知る。

 ところが、私が気がついたこととは、ダウン症の人のことを差別したことがないということだった。ダウン症の人だけでなく知的障害のある人のことを差別したこと、違和感を感じたことというのがない。これは、弟が知的障害のあるダウン症だからだろうし、さらには弟の友人の知的障害のある人のことに対しても、いじめとか差別とかそういったことをした記憶がない。これは当たり前のことなのかもしれないが、私にとっては素晴らしいことだ。こんな私であっても自信を持っていいと思えることを、弟はプレゼントしてくれていたのだと知り、とても感謝している。
自信を持って

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勉強したらずいぶんと疲れた

2021年08月21日 | 日々思うこと、考えること
 1日中、オンラインで講習会を受けたら、頭も体もヘトヘト。

 歳のせいだろう、何を勉強してもなかなか頭に残らない。一番いいのは日頃から慣れ親しむことなんだろうけど、やらなきゃいけないことが多岐にわたるのでそればかりともいかず。
あれもこれも勉強するのは、大変です。

あすには

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医療崩壊を食い止めるため、1日も早く強力な新型コロナウイルス感染症対策を

2021年08月20日 | 自然災害・事故・感染症
 数少ない家事の一つであるゴミ出しをして戻ってきたらお向かいの奧さんに、

”はい、万願寺とうがらし”


と、両手いっぱいに下さった。実のつきがなかなかよくならない我が家のキュウリも収穫して家に入って妻に見せたら両方とも早速今日の弁当に入れてくれた。
 新型コロナウイルス感染症の感染爆発が止まらない。昨日の新規陽性患者数は22828人で制御不能となっている。自宅療養者の数も増えていて、神奈川県では13740人(2021年8月19日)。念のため入院して様子を見ましょうという状況からはほど遠く、市中広くに感染者がいるということだ。子供の感染、妊婦の感染というようなことが取り沙汰されているが、子供はかかりにくいというのは盲信だったし、妊婦のリスクは考えられていた以上に高かったということだ。

 自分自身、いつどこで感染してしまうかわからなくなっているが、いざ感染しても入院などできず、自宅で安静にしているしかない。一週間程度じっとしていたら治る病気であったら喜んでじっとしているのに、COVID-19感染はそうは問屋が卸さない。下手をするとそのまま肺がやられて死んでしまう怖い病気だ。病床、医療者の逼迫は極限に近づきつつあり、通常医療は崩壊しつつあり風前のともしびだ。心筋梗塞や脳卒中で倒れても十分な手当てを受けることができるかわからない、癌の手術を予定していたのに延期になった、なんてことに自分が追い込まれたらどうするか。病理医のような一見新型コロナウイルス感染と関係のなさそうな立場である私がワクチン接種の仕事に駆り出されている、ということは、病理医としての仕事に新型コロナウイルス感染症が食い込んできているということに他ならない。そして市中感染の広がりは、新型コロナウイルス感染症は感染対策を十分にしてきた人にとっても対岸の火事ではない。

 日本ではエビデンスに基づいた感染対策ができていないとうのは、記者会見はじめ、多くの局面で政府と分科会の意見の相違を目の当たりにする。政治家や役人の面子ばかり優先していたら感染拡大に歯止めはかからない。他の人がトップをやっていたらなんとかなったんじゃないかと思うが、そうもいっていられない。その審判は2ヶ月後にあるので、いまさら体制を変えることはできない。

 世界の感染者数・死者数をみると、日本の感染者数、死亡者数はスウェーデンと同じぐらいで、アメリカ、インド、ブラジルなどよりよほど少ないし、英仏独西伊などにも及ばない。やがてはこれらの国に追いついて飽和状態になっていくのを待っていたら、経済活動の本格再開はどんどん遅れてしまう。この国から経済活動を取ったら、死んでしまう。

”またやったって、効果ないじゃない”

と、バカにされ続けている緊急事態宣言は早急に見直して、強力な施策を打ち出してほしい。進行した病気であっても途中で食い止める、最悪の状態を先延ばしにすることはできる、それと同じことで医療崩壊も今からでも食い止めることはできるし、再生も可能だ。
行動制限を

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生かされていることに感謝し、他人を思いやる

2021年08月19日 | 生き方について考える
 夜明けまえ、雨音に気がついて薄眼を開けたら空がオレンジ色に染まっていた。朝焼けに染められた雨雲が鎌倉の街をおおっていた。大雨の中にスマホだけ突き出して写真を撮ったら屋根の庇が写り込んだ。
 ほんの5分後には空は灰色になった。昨日、いただいたコメントを読み返し、自分で自分を追い込んでいたのかもしれないと考えているうちに2度寝して、いつもの起床時刻になったら、雲はどんどん流されていて青空が広がり始めていた。今日もにわか雨には注意しなくてはいけないが、基本的には晴れるとの予報だ。
 夏空がわかるのか、草花も元気にみえる。ここ数日の心の落ち込みは大雨のせいだということにしてスイッチを入れなおそう。実は今日もどちらかといえばネガティブな話を書きそうだったが、思いとどまったのは青空のおかげだ。
 心が弱っているときは、過去の失敗に心が捕らわれ自縄自縛となる。そのことを忘れる必要はないが、受け入れて自分の成長に結びつけなくてはならない。自分が今生かされていることを実感し、そしてそれが自分を取り巻く無数の人のおかげであることを理解するということは難しいことだけれど、それができたら人生というものをより大切にしたくなるに違いない。
 昨日のエントリーに責任を持たないわけではないが、今日は早めに更新することにした。
待ちかねた青空

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いつのまにか人生あとわずか

2021年08月18日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 久しぶりの夏空。雲が全くないくないわけではないが、とにかく空は灰色より青いほうがいいにきまっている。風が強く、湿度も気になるが、しばらくはこの天候が続いて欲しい。

 先日、ある研究会の幹事を引き受けることになった。小さな会だが、一応会員の投票で選ぶ。自分ではそれほどやりたい仕事ではなかったから、自分以外の人の名前を書いて投票(郵送)したが、どうやら自分に入れてくださった方が少なからずいたようだ。選んでくれた人の負託にこたえないわけにもいかないので、”大変光栄です”と書いて受諾する旨のメールを事務局に送った。

 あとになって任期を勘定してみたら、これで最後になりそうだということを知った。以前、事務局をやっているときには定年間近そうな先生の年を推測して、被選挙権がどうとか調べていたが、いつの間にか自分がそんなことで気を使われる対象になっていた。やがて定年を迎え、さらに年老い命が尽きる。人生というのは思っていた以上に短いということを実感する。

 ここのところ、政府や役所に対して文句ばかり言っているが、いざ、自分がそういう役に回ったらどうすべきか。もともとやる気がなかったから、などという言い訳は封印して、次世代の育成をはじめ、お手伝いできることがあればやっていきたい。
コロナ感染にも気をつけて

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情報の平坦化は感性を磨耗させ愚鈍を招く

2021年08月17日 | 電脳化社会
 明日あたりから天候が回復するらしいが、そんな気配はまったくなくて、太陽が待ち遠しい。NHKの連続テレビドラマ…実際に視ているのは帰宅後の録画か、23時のBS放送だが、つい”朝ドラ”と言ってしまう…では先週のパラリンピック編に続いて、今週は豪雨災害・土砂災害の話となっていておどろく。パラリンピックの話を挿入するのはなんとかなったのかもしれないが、ピンポイントで風水害の話まで入れてくるとは、いくら天気がテーマのドラマとはいえ、偶然の一致にしては出来過ぎのように思う。その、”おかえりモネ”、視聴率があまり良くないことが、しばしばネットニュースの俎上に載せられている。

 アフガニスタンではタリバンが全土を掌握したということだ。アフガニスタンの人、戦争に派遣された軍人、復興に汗を流し志半ばに斃れた人、多くの命は一体なんのためだったのだろう。そして、この先世界にもたらされるのは一体なんなのか、誰にもわからない恐怖に襲われる。

 gooでもYahoo!でもその他どんなポータルサイトでもいいのだが、どれもトップページの注目記事には、無策な政府、おかえりモネの視聴率とアフガニスタンのタリバン情勢、新型コロナの緊急事態宣言と大谷翔平のホームラン、さらには芸能人の離婚だの、炎上発言だのの話が一つの枠内に並んでいるのは、三面記事と芸能記事とスポーツ欄と政治、国際記事がごっちゃになって、どれも同じで情報の価値が平坦化しているのだ。今ではすっかり当たり前となってしまったこの画面に、最近少々疲れというか違和感を感じるようになった。

 ネットニュースはわたしのブログでも情報源としてしょっちゅう引用しているので大いに助かっているが、このところ全ての情報がリアリティーを失って、平坦化しつつあるのではないかと感じる。全ての出来事は愚かな人間の営みであり、貴賎軽重はない、だからといってそれを読む人たちが強制的に取捨選択能力を失わされ、”どうでもいい情報”に絡め取られていいわけではない。他の人のブログを読んで”この人がこんなことについて書くの?”とその影響を受けてしまったのではないかと驚いてしまうことも少なくない。

 私はNHKと朝日新聞という固定情報を得ているが、このことが正しいというわけではない。これらのソースによって考え方を操作される危険性を持っている。ただ、いずれもネットの平坦化されたくだらない情報の羅列よりは、捏造さえなければよほどましだ。3大紙、NHK、写真週刊誌、女性週刊誌、3流スポーツ紙、民放というのはそれぞれ”相応の目的”を持って書かれたり、放送されていたわけで、対象とする人間が異なっていた。だが、今ポータルサイトではそれらがごちゃ混ぜになっている。

 私自身がお高くとまっているつもりはない。ツイッターでは右寄りの人から左寄りの人まで”私なりに正論と思えること”を語っているひとのことをフォローして考え方を学んでいるつもりだ。星野源と新垣結衣の結婚には関心があったし、大谷翔平がホームランを打ったらうれしい。そんなことを言っているのではなく、私としてはネットニュースを開いたときに、不必要に心を乱すような記事に触れたくないだけで、そういった類のものにむやみに視界に入ってこないでもらいたい。これこそが偏りだと言う人もいるだろうが、こんなことが続くと多くの人の感性が摩耗し愚鈍になっていくのではないか。
流れを止めねば

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