少し前まで、”LINE一本”で休みの連絡を済ませるというのが、顰蹙を買うようなことがあったけど、今やそれも普通になりつつある。
メールなら良くて、LINEならダメという基準はそもそもない。職場で、住所はおろか電話番号の交換もしないのが当たり前の世の中になってきて、そんなのでどうやって連絡を取れるのだろう、もう、他人とは連絡が取れなくなってしまう時代が来るのではないかと思っていたら、案外、そうでもない。
先日も、急ぎの電話を職場に入れたかったのだけど、病院の代表電話番号しかわからず、いつまでたっても繋がらずに、根をあげてとりあえず、Facebookのmessengerにメッセージを入れたらそちらの方で先に連絡がついたという同僚がいた。
今や、どんなところからでも、いろいろな方法で連絡がつく。
”職場”には実体がある。病院には患者さんがやってきて、臨床医がいて、同僚の病理医がいて、コメディカルの人がいる。でも、その人たちはその”場”を離れたら、それぞれの繋がりはなくなる。職場以外での繋がりというのは極端に薄くなっている。
誰がどこに住んでいて、どのような家族構成でといったようなことは、もはや意味を失いつつある。とても遠くにいる友人や知り合いの動静の方がよほどよく知っているということにすらなっている。
一人一人の人間は、アドレスとか、IDに置き換えられている。マイナンバーにもそのうち”連絡のつくメールアドレス”なんていうのができて、携帯の番号とともにある意味、その人の存在を定義するような時代が来るのではないか。
そして、最終的にそれぞれの人間はいろいろな方法で固定化されて、身動きが取れなくなってしまうのではないだろうか。
がんじがらめ